第22話 誇りを問う声 ― 女剣士アレクシア
一幕 氷のような日常
舞踏会の熱気が去ってから、王宮の空気は一層冷ややかになった。甘い香りが残るはずの余韻は、むしろ刺すような寒気となってニナの肌を撫でていく。
第二王子ルイスは突如、西方防衛へと駆り出された。
あまりに急で、あまりに不自然な辞令。
宮廷では「改革派に肩入れした罰だ」と囁かれ、ニナの立場は一夜にして脆く危ういものへと変わった。
――「改革派の魔女」。
その蔑称は、廊下にも、控え室にも、陰湿な湿気のように忍び込んでくる。
侍女仲間はいつの間にか保守派の者と入れ替わり、湯殿では冷水しか与えられない。食卓には乾いた黒パンと冷めた粥。令嬢たちは白い扇の陰で笑い、
「東方娘が図に乗っただけ」
「いいえ、魔女の呪いで殿下を踊らせただけですわ。あら、でも魔力はお持ちじゃなかったんですって?」
そんな言葉が、冬の霜のように降り積もる。
ニナは唇を噛み、ユリアにも言えずに耐えていた。
しかしユリアは、わずかに漏れ聞こえるだけでも怒りを燃やした。
「ニナ、もう我慢しなくていい。あなたを傷つける者は、わたしが追い出してやる」
「だめです、ユリア様……。そんなことをなさったら、あなたまで悪く言われます」
「構うものか!」
王女は拳を震わせて食い下がったが、ニナはそっと微笑んで首を振る。
「……大丈夫です。どうか、お願いします」
反抗は炎をあおる。今は、耐えるしかなかった。
二幕 冬の剣の祭典
冷たい季節が訪れた。雪はまだだが、凍てつく空気が王都を包む。宮廷では冬恒例の剣の親善大会が催され、華やかな一方で、観覧席は令嬢たちの社交の舞台にもなっていた。
ユリアに付き添い、ニナは会場へ向かった。白い吐息をこぼして席に座ると、すぐに背中へ刺さるような視線を感じる。
「まあ、あれが“魔女”だって」
「殿下に取り入った子よ」
「レイザルト家でも、平民の血は隠せないのね」
笑い声は冬空に溶けず、氷の刃となって胸を細かく刻んでいく。置いていたはずの毛皮の膝掛けも、いつの間にか消えていた。指先は痛むほど冷たい。
「……ひどい。見ていられない」
ユリアが身を乗り出す。だがニナはすぐに袖を引いた。
「お願いです、ユリア様。私のために……怒らないでください」
その仕草は儚げでありながら、どこか必死だった。
三幕 誇りの剣
そのとき、鍛えられた剣が空を裂く音と歓声が会場を揺らした。小麦色の髪を高く結い上げた騎士が、華麗に勝利した――アレクシア・ラディアンス。
陽光を受けて輝く翡翠の瞳は鋭く、立つだけで空気を張り詰めさせるほどの威圧と美しさをまとっていた。男装の軍服に包まれた引き締まった体、風に揺れ光を弾く長いポニーテール。
「……なんて凛々しいの」
令嬢たちが頬を染めるのも無理はない。刃を振るう姿は勇ましく、微笑めば心を攫われる甘さがある。同性も異性も虜にする麗しき騎士――それがアレクシアだった。
その姿を遠くから見つめながら、ニナの胸が、ちくりと痛む。
(……アレクシア様……なんて、美しくて、強く、気高い方……)
(あの方こそ、ルイス様の隣に立つべき人……私より、ずっと……)
そう思った瞬間、胸の奥に小さな棘のような痛みが走った。
(でも……それでも……?)
続く言葉は、胸の奥で溶けて、形にならなかった。
※ ※ ※
試合後、その視線がまっすぐニナに向いた。令嬢たちがざわつくが、アレクシアは気にも留めず、歩み寄る。
「……レイザルト嬢。少し、いいか」
ユリアが身構えたが、ニナは頷いて席を立つ。風が吹き込む石の回廊へ向かうと、まさにその瞬間、今年初めての粉雪が舞い降りてきた。
重たい扉の影、二人きり。
アレクシアの瞳は氷のように鋭かった。
「私の取り巻きが、くだらない嫌がらせをしているのは知っている」
淡々とした声の奥に、怒りと苛立ちが混じる。
「止めなかったのは理由がある。……お前を見ていたからだ。
なぜ黙っている? なぜ言い返さない? 平民の血があるからか? 誇りはないのか。」
ニナの胸に、その一言が深く突き刺さる。
「舞踏会の夜、殿下が誰と踊るか――皆が私だと思っていた。私自身もそう信じていた」
悔しさ、屈辱、そして微かな寂しさが滲む声。
「だが選ばれたのはお前だった。……嫉妬もした。
けれど一番腹が立ったのは、お前が自信なさげに俯き、まるで許しを乞うように殿下の手を取ったことだ。」
アレクシアの表情は厳しくも真摯だった。
「私は、生まれつき強くも美しくもなかった。醜く、愚かで、誰からも期待されなかった。だが変わりたくて剣を握り、鍛えた。女は強いだけじゃ認められないから、女としても磨いた」
風が吹き、彼女のポニーテールが揺れる。
「……努力して、誇りを得た。だから今、殿下の隣に立てる。
誇りを持たぬ者が、どうして殿下の隣に立てる? お前がうつむくから、殿下まで侮られる。」
ニナは息を呑んだ。
――ルイスが差し伸べてくれた手。
――ユリアが怒りを燃やし、自分を守ろうとする姿。
――「お前には特別な力がある」と言った伯父カイロス。
自分を認めてくれた人々の顔が、胸の奥であたたかく灯る。
「……わたしは、平民の血を恥じてはいません」
細くとも、芯の通った声だった。
「魔力がなくても、人々は知恵を寄せ合い、泥にまみれながら文化を紡いでいます。
私は貴族には平民だと蔑まれ、平民には貴族だと疎まれ……居場所はありませんでした。
でも、その両方を知ったからこそ、見えるものがあるんです。」
ニナは顔を上げ、凛とした瞳でアレクシアを見返す。
「互いを理解し合い、欠けたものを補えば、もっと豊かな未来を築けるはずです。
私は、その“間”に立てることを誇りに思っています。」
その言葉に宿る力は、ユリアの信頼と、ルイの温かな眼差しが支えていた。
アレクシアは目を細め、沈黙する。
やがて、ふっと唇の端を上げた。
「……相変わらず、平民の血は好きにはなれない。
だが――誇りを持つ人間は、嫌いではない」
それはアレクシアなりの譲歩であり、確かな賛辞だった。
雪が静かに二人の間に降り積もる。
― ―互いの間に、わずかな理解の気配が漂う。友情とはまだ言えない。
それでも、この先に何かが始まる予感があった。
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