第14話 祭りの宵、ふたりの距離
夕暮れの王都は、祭りの賑わいに包まれていた。
石畳の通りに並ぶ屋台からは香ばしい匂いが漂い、赤や金の布で飾られた提灯が灯り始めている。子どもたちの笑い声や楽師の笛の音が重なり合い、あたり一面が熱気に満ちていた。
「わあ……こんなにたくさんのお店が」
思わず声をあげるニナに、隣の少年は誇らしげに胸を張った。
「全部回ろう。どれから試す?」
「え……でも……」
シオンに自然と手を引かれ、まずは焼き菓子の屋台へ。
彼は勢いよく投げ輪のゲームにも挑戦し、見事成功。
景品の小さなうさぎのぬいぐるみをニナに差し出す。
「はい、ニナに」
「えっ、わたしに?……ありがとう」
思いがけない贈り物に頬が緩む。
少年が自分より無邪気に楽しそうにしている姿は、見ているだけで可愛らしく、心が和んだ。
だが次の瞬間、人波に押されてニナはよろめいた。
「きゃっ……!」
とっさに伸びた腕が、彼女を抱き寄せる。
「危ない!」
気づけばシオンの胸に支えられていた。
至近距離で見上げた横顔は、驚くほど大人びて凛々しい。鼻先が触れそうなほど近かった。
「……大丈夫?」
「は、はい……」
互いに顔を赤らめて身を離し、何事もなかったように歩き出す。けれど頬の熱はしばらく引かなかった。
(わたし……どうして。
ルイス様のときから変だわ……
シオンにとっても、わたしはきっとただの守るべき人なだけなはずなのに……こんなに胸がどきどきするなんて……)
やがて、広場の片隅で子どもたちが木剣を振り回して遊ぶのを見つける。シオンはすぐに混ざり、子どもと同じ目線で笑いながら剣を受け止め、わざと負けて倒れ込み、周囲を笑わせていた。
その様子をしばらく眺めながら、ニナは胸の奥が温かくなるのを感じた。
――この人は、本当に優しい。
子ども達とシオンの笑顔が、この上なく尊く美しく見えた。
屋台の明かりが橙に瞬き、甘い蜜菓子や焼き栗の匂いが風に乗って流れてくる。
シオンが子どもから貰った石を得意げに見せてくる姿に、ニナは思わず「小さな子どもみたい」と笑ってしまう。
少しどきっとすることもあるけれど、シオンと過ごすひとときは落ち着いていて穏やかで、心があたたかくなる。
まるで……大切で、守りたくなるような……言葉にできない感情。 (……きっと、かわいい弟みたいだから?)
ふと、ルイスとの乗馬のことを思い出す。
胸の奥がちくりと疼く。
あのとき馬の背で感じた、緊張と高鳴る鼓動――
そして湖での語らい。真摯に話を聞いてくれた優しい眼差しの喜び。
その記憶は、胸の奥にそっと火を点すように鮮やかだった。
この湧き出る歯痒い気持ちは、まぎれもなく「特別な感情」なのだろうか……。
(恋……なんて、そんなはずない。)
言葉にできない複雑な感情が、静かに心を揺らしていた。
***
軒先の露店には、小さなアクセサリーが並んでいた。
色とりどりの石をあしらった指輪や耳飾りが光を受けてきらめいている。
「おふたりさん、いかがかな?」
髭面の店主がにこにこと勧めてくる。
「お揃いで買っていく若い人が多いんだ。恋人や仲のいい子とね」
差し出されたのは、対の銀の指輪だった。
ミモザの小花を象った細やかな彫金がされていた。
「わ、わたしたちは……そういうのでは……」
慌てて首を振るニナの横で、シオンがじっと指輪を見つめている。
「アクセサリーを貰うのは嬉しいものなの?」
無邪気な問いに、どこか探るような響きが混じった。
ニナは少し考え、恥ずかしそうに答える。
「一般的には……そうだと思います。女性はきれいな飾りを贈られると嬉しいと聞きます。
でも……大切な人からなら、どんなものでも嬉しいと思います」
シオンはふっと微笑んだ。
「……そう。じゃあ、君に贈るなら、なんでもいいってことだね」
胸が小さく跳ねる。けれど、あまりに無邪気な声音に、からかわれたのだと思い直す。
「ユリア王女にこのお揃いを買ってあげたら、きっと喜ぶと思うよ」
シオンの提案に、ニナは笑顔で頷いた。
シオンは二つの指輪を買い求め、一つを懐に仕舞い、もう一つをニナの指に通した。
少しぎこちない仕草だったが、眼差しは優しかった。
指先に触れたほんの一瞬の温度だけで、胸がふっと温かくなる。
赤く染まる空の下、その微笑みはどこか大人びて見え、ニナの胸にじんわりと染み渡った。
***
広場の提灯の光が石畳を淡く照らし、秋の夜風が肩にそっと触れた。軽快な笛と太鼓の音に合わせ、人々が踊り始める。
シオンがそっと手を差し出した。
「一曲だけ……どう?」
無邪気な笑顔。紫の瞳がより一層輝く。
ニナは緊張で指先がこわばったが、その表情に安心を覚え、手を握り返した。
「わ、わかりました」
一歩踏み出すと、音楽に合わせて二人はゆるやかに回り始める。
支える腕の温かさに胸が高鳴るが、どこか心地よかった。
周囲の人々が楽しげに手拍子し、子どもたちが駆け回る祭りの喧騒に溶け込みながらも、二人の姿には自然と視線が集まっていた。
羨望や微笑ましい視線に気づき、頬が赤くなる。
「なんて美しい恋人たち!」
囁く声が耳に届いた。
視線が合うたびに微笑み合い、胸の奥にぽっと温かい光が灯る。
ルイスの隣にいる時の息苦しいほどの緊張とは違う。
(……恋人なんて、とんでもない。シオンに申し訳ないわ。でもこの気持ちは……何?)
ただはっきり分かったことがあった。
これは、心から安心できる――穏やかな幸福感だった。
遠くの塔の上に小さな光がちらりと瞬いた。
二人はまだ手を取り合ったまま、ゆっくりと回っていた。
秋の夜が、魔法の光で満たされるのはもうすぐだった。
お読みくださりありがとうございます!
次回は、祭りの続き、
そしてルイス王子殿下も登場します。
毎日更新予定です。
お楽しみにいただけたら嬉しいです!




