第11話 心に萌ゆる、二人の影
ルイス王子と護衛騎士シオン――。
初めて、異性として意識してしまった自分に気づくニナ。
胸が小さく震え、心の奥にわずかに芽生える、淡い「何か」。
まだ名前を持たぬ感情――
夜の王宮に、それぞれの胸に小さな火がひそやかに萌ゆる――
ルイスとの夕立ちの日から、しばらくの時が過ぎた。
王宮は晩夏の陽光にきらめき、白亜の塔が青空の下で眩しく光っていた。
ニナの日々は、侍女としての務めとユリアを支える仕事でますます忙しくなっていく。
だが、侍女たちからかつてのような陰口はもう聞こえなくなっていた。
むしろ――
「ニナ様!」
朝、離れに駆け込んできた侍女マリナが、瞳をきらきらさせて声を上げる。
「昨日の夜、見ましたわ! あの若い騎士様と歩いておられたでしょう!」
「……え?」
「やっぱり! 羨ましいですわ! あのユリア殿下の護衛の金髪の方ですよ。“シオン様”というお名前ですけど、夜によくお見かけするので“謎の騎士様”って呼ばれてるんですよ! 侍女の間で大人気なんです!」
矢継ぎ早の言葉に、ニナは思わず目を瞬かせた。
「ルイス殿下は正統派。凛々しいお顔立ちと落ち着いた物腰……冷たそうに見えて、微笑まれた瞬間の破壊力は絶大!
隠れた逞しい身体、隠せない大人の色香……あれはもう、罪ですわ!」
「そ、そうでしょうか……」
ルイスの姿を思い出し、ニナは頬を熱くする。
あの日、肩越しに落ちてきた低い声音。雨粒に濡れた睫毛の奥から向けられた優しい眼差し――。
初めて「異性」として意識してしまった自分に気づき、慌てて視線を伏せた。
「でも、謎の騎士様は……!」
マリナは両手を胸に組み、夢見るように語る。
「あの宝石のような紫の瞳で見つめられたら……胸が苦しくて……!
笑うと可愛らしく、でも剣を構える姿は凛々しくて……
親しみやすいのに、どこか秘密めいていて、魅力的なんですわ!」
「そ、そんな……」
ニナの耳まで赤くなる。
「で、どちらがお好みですか? 王子殿下と謎の騎士様」
「……えっ?」
思いもよらぬ問いに、心臓が大きく跳ねた。
(わたしが……お二人をそんなふうに見てもいいの……?)
曖昧な笑みでごまかしながらも、胸の奥に小さな熱が芽生えるのを感じていた。
(どうして、こんなにも胸がくすぐったいのかしら……?)
***
その夜。
王都の回廊は静まり返っていた。
月光が高い塔の間から差し込み、石畳に細く長い影を描く。
重厚な柱やアーチの向こう、庭園の噴水が銀の光を静かに揺らめかせている。
遅くまで働きを終えたニナの前に、柔らかな足音が響いた。
深く輝く紫の瞳の少年――シオン。
護衛騎士の装いのまま、静かな笑みを浮かべて歩み寄る。
「遅くまでご苦労さま」
「ありがとうございます。でも昨日も……」
「気にしないで。俺が勝手にやっているだけだから」
並んで歩く足取りは軽やかで、ふとした瞬間、回廊の影と月明かりが二人を優しく包む。
こうして送ってもらう夜は、もう幾度も重なっていた。
最初は戸惑うばかりだったけれど、今ではそれが日常の一部になっている。
それでも、彼への感謝の気持ちは少しも薄れなかった。
「今日もずいぶん忙しかったね」
「ええ……書類に目を通していたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました」
「なるほど。じゃあ、俺が剣の型をひとつ披露して気分転換にでも……」
「えっ、いきなりですか?」
シオンはにやりと笑い、軽やかに剣を抜いた。
月明かりを受けて刃が閃き、空を舞うように動く。
その姿はまるで夜気をまとった精霊のようで、若い肢体のしなやかさは夜風さえ見惚れるほどだった。
ニナは思わず微笑む。
「相変わらず華麗ですね」
「まぁ、ニナに笑ってもらえればそれで十分」
にわかに和やかな空気が流れ、ニナの肩の力も自然と抜けていく。
彼と歩く夜は、安心だけでなく、心がほどけていくような温もりがあった。
「そういえば――噂を聞いたよ」
「噂……?」
(もしかして、今朝マリナさんたちが話していたことかしら)
「侍女たちの間では、“ルイス王子派”と“謎の騎士派”があるんだって」
にやりと笑うシオン。
「……謎の騎士、というのは……」
「俺のことらしい」
思わず吹き出すニナ。
「シオンは“謎”には見えませんけど」
「どうかな? 結構ミステリアスだと思われてるらしい」
「そうは見えません」
「……ニナには、ね」
冗談めいた言葉の奥に、ふいに熱を含んだまなざしがのぞく。
その瞳が星のようにきらめき、胸の奥がそっと震えた。
ニナは胸の内に、静かな温かさが満ちていくのを感じた。
(……どうして、こんな気持ちになるのかしら……)
それがどんな名を持つ感情なのか、自分でもわからない。
ただ――
彼と並んで歩くこの瞬間に、確かな信頼と安らぎがある。
この夜道が、少しずつ、かけがえのない思い出へと変わっていくのだと、静かに噛み締めた。
⸻
そのとき――
遠くから、静かに見つめる影があった。
月明かりに照らされた二人……ニナとシオン。
ルイスは無言で立ち尽くし、胸の奥がざわつくのを感じた。
――あれは……確かユリアの護衛か。
ただの護衛のはずなのに。
ただの侍女のはずなのに。
なのに、どうして。
その距離の近さが、あれほどまでに気にかかるのか。
雨に触れた彼女の細い肩の感触が、不意に蘇る。
自分でも理由がわからない。
視線の先で、二人の影が月光に重なり、静かに揺れる。
なぜ、自分はこんなにも気にしているのか――
その答えを、まだ言葉にできずにいた。
知らぬ間に、心が動き出していた。
それを認めるには――まだ、早すぎた。
月の光だけが、揺らぐルイスの横顔をそっと照らしていた。
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