異世界退職代行 魔王編
【魔王は辞めたい】
「はあ、また今日も部下のミスの尻拭いか…」
魔王ヴァレリウスは王座に深く腰を沈め、手にした報告書を重々しくため息とともに机に放り投げた。
『人間の村襲撃に失敗、逆に村人に説教される』
『魔物軍団、迷子になって帰ってこない』
『四天王の一人、勇者と恋に落ちて駆け落ち』
どれもこれも頭痛の種ばかりだ。
「魔王様、新たな報告が…」
扉から入ってきた部下の魔族も、なぜか申し訳なさそうな顔をしている。
「今度は何だ?」
「は、はい…勇者一行が城に向かっているとの情報が…」
「またか」
ヴァレリウスは疲れ切った表情で天井を仰いだ。もう何人目の勇者だろう。最初の頃こそ張り切って迎え撃っていたが、最近は正直面倒臭い。
特に最近の勇者たちは妙に常識的で、話し合いで解決しようとしてくる。「なぜ人間を襲うのですか?」「魔王にも事情があるのでは?」などと真剣に聞いてくる。
困ったことに、ヴァレリウス自身も最近その答えが分からなくなっていた。
「…もう、魔王辞めたい」
思わず口に出してしまった言葉に、部下は目を丸くした。
「ま、魔王様!そんなことを…」
「いや、本当にそう思うんだ。毎日毎日同じことの繰り返しで、やりがいも感じないし、部下の管理は大変だし、何より世界征服する理由が思い出せない」
ヴァレリウスは頭を抱えた。
「でも、魔王って辞められるものなのでしょうか?」
部下の素朴な疑問に、ヴァレリウスもはたと困った。確かに、魔王の退職なんて聞いたことがない。引き継ぎはどうすればいいのか?部下たちの今後は?年金は出るのか?
その時、城の窓に突然光る魔法陣が現れた。
「なんだ、今度は…」
光の中から現れたのは、スーツを着た人間の男性だった。胸には『異世界退職代行サービス』という金ピカのバッジが光っている。
「初めまして、魔王ヴァレリウス様。私、異世界退職代行サービスの佐藤と申します」
男性は丁寧にお辞儀をして、名刺を差し出した。
「い、異世界退職代行?」
「はい。異世界の方の退職に関するトラブルを解決するサービスです。お困りのご様子ですが、もしかして退職をご希望でしょうか?」
ヴァレリウスは驚きを隠せなかった。まさか、こんなピンポイントなサービスが存在するとは。
「実は…その通りなんだが、本当に魔王を辞められるのか?」
「もちろんです。これまでも多くの異世界の方の退職をサポートしてきました。魔王様、勇者様、賢者様、王様…皆様それぞれの事情で転職されています」
佐藤は手慣れた様子で資料を取り出した。
「魔王業界の離職率は実は78%と非常に高く、その多くが適切な退職手続きを取らずに問題となっています。弊社では、円満退職のための各種手続きを代行いたします」
「具体的には?」
「まず、後任の選定と引き継ぎ業務。魔王城の管理権限移譲。部下の魔族たちの処遇についての相談。そして何より重要な、『勇者との最終決戦イベント』の適切な終了処理です」
ヴァレリウスの目が輝いた。
「それは素晴らしい!ぜひお願いしたい!」
「承知いたしました。それでは契約書にサインを…あ、その前に一つだけ確認があります。退職後のご予定はお決まりでしょうか?」
「それが…まだ決めていないんだ」
佐藤は微笑んだ。
「でしたら、弊社の転職支援サービスもいかがでしょう?異世界の方に人気なのは、『平凡な村の村長』『街角の占い師』『異世界食堂の店主』などです。特に最近は『異世界スローライフ』が大変人気ですね」
「異世界スローライフ…」
ヴァレリウスは目を閉じて想像した。毎朝のんびりと起きて、畑を耕し、村人たちと穏やかに挨拶を交わす生活。勇者に怯える必要も、部下の失敗に頭を抱える必要もない。
「それだ!」
「かしこまりました。それでは『元魔王のスローライフ転職パッケージ』でご契約させていただきます」
こうして、魔王ヴァレリウスの退職手続きが始まった。
佐藤の手際は見事だった。まず四天王の残り三人を集めて後任選出の会議を開き、最も責任感のある第二天王のザルガンを新魔王に推薦。引き継ぎ資料の作成、城の管理権限の移譲、部下たちへの説明会、そして最も複雑だった「最終決戦イベント」の処理。
「勇者様には、『魔王が改心して平和的に引退する特別ルート』を提案いたします」
結果、勇者一行は困惑しながらも「平和的解決」を喜び、ヴァレリウスは無事に魔王業を卒業することができた。
そして一週間後。
緑豊かな小さな村で、ヴァレリウスは『ヴァル』という名前で新しい生活を始めていた。小さな畑で野菜を育て、時々村人の悩み相談に乗り、夜は星空を眺めながら読書をする。
「あの時、退職代行を頼んで本当に良かった」
彼は心からそう思いながら、今日も平和な一日を終えるのだった。
そんなある日、村に一枚のチラシが舞い込んだ。
『異世界転職フェア開催!』
『元魔王歓迎!農業指導者募集!』
『経験者優遇、福利厚生充実!』
ヴァレリウス改めヴァルは、チラシを見ながらくすりと笑った。
「異世界も、なかなか面白い時代になったものだ」
空には今日も穏やかな雲が流れていた。
【完】
現代的な働き方の問題を異世界に持ち込んだ、少し風変わりな退職物語でした。魔王にも働く権利があり、転職の自由があるという発想から生まれた短編です。