第9話 二度寝の後
き、気まずいわ。
本当なら一人または公爵夫人と食べているはずの朝食の席にケネス様がいらっしゃる。
黙々とパンをちぎっては口に運ぶお姿はいつも通りすぎて、まだ夢を見ているのかしら!? なんて乙女チックなことは考えられなかった。
昨日(正確には今日の深夜)は私室まで送り届けられたわけだけど、ケネス様は部屋に入ることなく、ろくな挨拶もせずにそそくさとお部屋へ戻られてしまった。
別にやましい気持ちがあったわけではないし、残念がってもいないわよ。
紳士的な対応と言われればその通りなのでしょうけど、せめて、おやすみの挨拶だけでも出来れば良かったな。と後悔してみたり。
再び、ベッドに潜り込んでからも完全に目は冴えてしまって一睡もできずに朝を迎えてしまった。
鏡に映る寝起き顔はひどいことになっていて、朝からセラには迷惑をかけてしまったわ。
くま隠しのためにメイクが濃くなってしまうし、髪のご機嫌はななめだし。
はぁ……今日は大人しくしておきましょう。
「おい」
「ひゃい!」
突然の呼びかけに声が裏返る。
にしても、おいって何よ。
いくら何でも呼び方ってものがあるでしょ!
「体調が優れないなら部屋に戻れ」
「え?」
「食事も進まないなら無理に食べるな」
いえ、空腹です。
昨日からほぼ断食状態なので。
そういえば、わたしお腹が空いているわ。
ケネス様の食べっぷりの良さに見惚れていたなんて言えないから、適当なことを言って乗り切ろうとした。
が、寝不足の頭はわたしが思う以上に回っていなかったらしい。
「お腹ぺこぺこですよぉ」
――沈黙。
ケネス様は手に持っていたパンを落とし、次の料理を運んできた給仕係は足を止めた。
壁際に控えるセラは口元をおさえ、他の侍女や執事、メイドなんかも顔を背けて肩を小刻みに震わせている。
なんでぇ?
「……失礼」
食事を終えるまで絶対に離席しないケネス様が立ち上がった。
マナー違反です!
ここにマナー違反している公爵家の息子がいます!
頭の中はもう真っ白を超えてプラチナ色で、自分が何を言っているのか分からなかった。
ケネス様が戻ってくる前にスープは飲んでおきましょう。
冷めると美味しくなくなるので。
こんなに頭がぼーっとしていても、音を立てないでスープを飲めるわたし偉い。
だって、教育がんばっているもの。
誰も褒めてくれないから、わたしが代わりに褒めてあげるわ。
今日もこれから教育か……お昼寝したいなぁ。
そんなことを考えながら次々に一口サイズの料理を口に運んでいたらしく、気づけばお皿は空っぽになっていた。
「あら。なくなってしまったわ」
それくらい長い間、ケネス様は離席していたのだけれど、何事もなかったように戻られると着席する前にセラへと目配せした。
「早く部屋へ連れて行ってやれ。濃すぎる化粧を落として、ベッドに縛りつけてでも寝かせるんだ」
「は、はい!」
「セラ、わたし寝るの?」
「そうですよ。行きましょう、ウィリアンヌ様」
無理矢理、椅子から立たせようとするセラ。
わたしは自分の足で立って、ケネス様へと小首を傾げた。
「教育はどうするのです?」
「やめだ。一日くらい休んだところで何も変わらない。分かったな」
その「分かったな」はわたしだけに向けたものではなかったらしく、控えている執事や侍女もしっかりと頷いていた。
「では、ごきげんよう」
去り際だけでも格好つけないと。
これではただの食いしん坊の寝坊助だと思われるわ。
と、思っていたのだけれど、現実のわたしはセラの腕に抱きつきながらダイニングルームを後にしていた。
◇◆◇◆◇◆
どれくらい眠っていたのだろうか。
目を開けると空は赤く、遠くの方でカラスが鳴いていた。
「……あら、まぁ」
部屋に誰もいないことを確認してから思いっきり伸びをする。
気持ちいい。
凝り固まっていた背中が伸ばされて、気の抜けた声を出してしまった。
夕食にはまだ早い。
一日中、寝ていた身としてはこのまま夕食の時間まで部屋で過ごすのは心苦しく、何かできることはないかと部屋を出た。
「あ゛」
「……あ」
廊下でばったり、と表現するには無理のあるタイミングだ。
扉を開けた先にケネス様がいるだなんて誰が予測できようか。いいえ、できるはずがないわ。
「だ、大丈夫ですか⁉︎ お怪我などされていませんか⁉︎」
「平気だ」
良かった。
猫が尻尾を踏まれた時のような声を上げられたから、てっきり扉がぶつかったのかと。
「えっと、ケネス様はどうしてこちらに?」
最近になって気づいたのだけれど、ケネス様はわたしと話している時だけ表情が険しい。
朝食時にセラと話しておられる時はもっと凜々しく、ハキハキされていたのに今は葛藤が見て取れる。
どうして、わたしの時だけ……。
これまでこんな不満を感じたことはなかった。
ケネス様との間にも特別な感情を抱くことはなかったのに。
一度、頭の中に悲観的な言葉を浮かべると悲しみの波が押し寄せ、胸がきゅっと締めつけられた。
「……これを」
気づけばスカートを握り締めていた。
だから、ケネス様からドーム型の何かを渡されても直ぐには受け取れなかった。
「気に入らなかったら捨てて構わない」
なんて寂しげで、儚げな、お顔をされるの。
わたしはケネス様のそんなお顔を見たいわけではないのに。
突然の贈り物に動揺して体が動かなかった。
洋服の時とは違う。
あの時は事前にケネス様がプレゼントを選んでくださっていることも、いつお渡しになるのかも知っていた。
でも、今回は全くの無防備かつ心の準備不足。前方不注意にも程があるほど、わたしは油断していた。
「受け取ってもくれないか」
悲しげな瞳が揺れる。
あまりにも悲痛で見ているだけでわたしの胸も張り裂けそうになった。
「ち、違います!」
とっさに出た大きな声が廊下に響き渡る。
「突然のことで驚いてしまって。嬉しいです、とても」
「では、なぜ?」
この前はあらかじめ知っていたからです。とは言えない。
だから嘘をつくしかなかった。
「まさか二つ目のプレゼントをいただけるなんて思っていませんでした。お洋服だけでも畏れ多いのに」
「ただ目に付いたから手に取っただけだ。お前が気にする程のことではない」
「そう、ですか。ありがとうございます」
ケネス様の手から直接受け取ったドーム型の置物の中にはキラキラ光る粒子や貝殻などが入っていた。
「訪問先の名産品で貝殻と真珠の装飾品らしい」
まるで小さな海がドームの中に閉じ込められているようだ。
今にも波の音が聞こえてきそうな雰囲気で思わず見とれてしまった。
「綺麗です。本当にいただいてよろしいのですか?」
「そう言っている」
わたしは海を模したドーム型の置物を落とさないように両手で持ってケネス様を見上げた。
「ありがとうございます。大切にさせていただきます」
「……あぁ」
今日もまた、そそくさと行ってしまったケネス様を見送り、出てきたばかりの部屋へ戻ったわたしはナイトテーブルの上にある小箱の隣にいただいたお土産を置いた。
「素敵。同じ服は毎日着られないけれど、これならいつでも愛でることができるわ」
なぜここかって?
ここなら毎日起床してすぐに目に入るでしょ。
もちろん、いただいたお洋服はクローゼットを開けてすぐ目に付く場所にかけてあるわ。
折角の贈り物だもの。これくらいして当然よ。