第6話 行動パターンを読むとは
朝食を全て一口サイズに変えてもらってからケネス様の質問に対してはその日の朝に一番美味しかった料理ではなく、二口目を食べたくなった料理を答えるようになった。
以前は自分の好きそうなもの、食べられそうなものを選んでいたから好みに偏りが出ていたけれど、今では出された全ての料理を食べているから、よりわたしの好みがはっきりとしたらしい。
これはコックたちが厨房で話している内容を偶然にも立ち聞きしてしまったセラが口を滑らせたものだ。
突然、味付けがわたし好みに変わったように思っていたのだけれど、間違いではなかったようね。
あの不思議な箱を購入してからケネス様への印象が変わり、以前のように避けることもなくなった。
まだスムーズにお話することはできないけれど、ここ数日は確実に距離を縮められているように感じる。
それもこれもあの魔法具のおかげね。
今日もアンティークなナイトテーブルの上に置いた小箱を布で綺麗に拭く。
高価なものであると同時に、あの老婆が言った通り今のわたしに必要なものだから大切に扱うようになった。
「……疑問なのだけれど、この中にいらっしゃる小さなケネス様は普段はどこにいるのかしら」
夜にしかお話ししてくれない小箱。
その時間は決まっているわけではない。
0時近くが多いけれど、時にはもっと早い時刻からしゃべり出すこともある。
セラがいる時にあのジジジ……という音が聞こえ始めた時は大慌てで彼女を部屋から追い出したもの。
だって、ねぇ。小さなケネス様とはいえ、お声はケネス様本人なのだから何か勘違いされても困るし。
……ちょっと待って。
この前の朝食時、ケネス様はわたしが公爵家に来てから初めてしっかりと目を合わせてくださったわ。
あれって深夜の小さなケネス様が反省会の後に言っていた『明日は頑張って目を見て話そう』という宣言を実行されたということにはならない?
大前提として、この箱の中にケネス様が入っているという仮定は正しいのかしら。
そもそも小さなケネス様ってなに?
わたしが勝手に言い始めたことだけど、まったくもって意味が分からないわ。
ケネス様はケネス様よ。この世にたった一人しかいらっしゃらない公爵家の御子息様よ。
であれば、この箱がお話されているのはケネス様本人のお言葉…………はぇ!?
そ、それはマズいわ。
だってあのケネス様がわたしを大切にしたくてもできなくて、実はお優しくて、食の好みをメモしているってことになるのよ!?
「本当なの? この箱はわたしの心を見通して、わたしの思い通りに話してくれるものではないの? それとも別室にいらっしゃるケネス様の声をわたしに届けてくれるだけのものなの?」
そう考えるとまたしても頬が熱くなるのを感じた。
あの老婆がちゃんと説明してくれていないから判断がつかない。
もしも、あの言葉の一つ一つがケネス様のものであり、本音だったとしても簡単には信じられない。
男の人が何を考えて行動しているのかなんて想像もつかないわ。
それに、わたしは一度裏切られた――
それがたとえケネス様ではなかったとしても、たやすく人を信じられるほどお人好しではないつもりだ。
ジジジ……ジジ……ジーー
突然、しゃべり始めた気まぐれな不思議アイテム。
わたしはそっとナイトテーブルの上に置いて、布団に潜り込んだ。
「今日は早いのね」
最近では、小さなケネス様のお声を聞きながら瞳を閉じるのがマイブームとなっている。
こうすると気づかぬうちに眠っていて、翌日の寝覚めも良いのだ。
『最近は毎日のようにウィリアンヌと会えているな。いいぞ、俺。以前は朝食以外の時間帯に出会うことはなかったのに……。避けられていたということか』
「申し訳ありません、ケネス様。推察通りでございます」
『構わないさ。避けられるようなことをしているのは俺だ。俺が悪いんだ。俺がウィリアンヌを探せばいいんだ』
どんどんケネス様の声が小さくなっていく。
「そんなに落ち込まないでください。これからは頑張って会う努力をいたしますから」
そもそも、公爵邸が広すぎるのが悪い。
レッスン場も複数あって移動が面倒なのに、ケネス様がどこで何をしていらっしゃるかなんて検討もつかないわ。
『よし。俺のスケジュールをもっと簡素にしてみよう。そうすれば、ウィリアンヌも俺の行動パターンを読みやすくなるはずだ』
んん!?
わたし、ケネス様の行動パターンを読み取ろうなんて考えついたこともありませんよ!?
"ウィリアンヌも"というからには、ケネス様はわたしの行動パターンを読んでいるということでしょうか。
あぁ! だから、最近は行く先々でお会いするのね。
一人で納得していると小さなケネス様はこんなことを言い出した。
『では、明日はバルコニーではなく、庭園で読書をしてみよう。本はウィリアンヌの好きそうなロマン物語にしよう。時間は昼食前にしようか』
なるほど。ケネス様は庭園とは真反対に位置しているバルコニーで読書をされていたのね。
わたしはお屋敷の東側には滅多に行かないから気づかなくて当然だわ。
で、明日は西側に来ていただけると。
「試してみましょうか」
翌日の昼頃。
早速、わたしは庭園に向かってみた。
そこにケネス様がいらっしゃって、わたしが好きだと勘違いされているロマン物語を読んでおられたら、あの箱はケネス様本人の声をわたしに届けていると確信が持てる。
「…………うそ、でしょ」
わたしの視線の先には本当にケネス様がいた。
庭園に置かれた白の椅子に腰掛け、足を組みながら読書をされている。
ページをめくる手は速く、洗練された速読術を身につけられているのだと直感した。
ケネス様本人に見つからないように廊下の影に身を潜め、息を整える。
これで確定よ。
あの不思議アイテムはただのしゃべる箱ではない。
過去に名を馳せた魔法使いが作成した魔法具で間違いないわ。
今日の目的は達成したのだから、さっさと立ち去ってしまえばいい。
それなのに足は重かった。
「……もうっ!」
わたしは廊下の影から出て、一直線に庭園へ。
「あら、ケネス様……?」
満月にも引けを取らないほど目を丸くされたケネス様が、本を閉じて立ち上がる。
ついさっきまではわたしが見下ろしていたのに、あっという間に見下ろされてしまっていた。
「偶然ですね。いつもはお姿をお見かけしませんが、今日はこちらで読書を?」
我ながら完璧だわ。
これなら、わたしがあらかじめケネス様が庭園に来ることを知っていたとは思わないでしょう。
「あ、あぁ。いつもは反対側のバルコニーで。今日はたまたまだ。気分転換に、と思って」
「そうでしたか。ここは風が心地良くて好きな場所です。ここでの読書は集中できますよ」
「そうか」
相変わらずのぶっきらぼう。
だけど、以前よりも思いやりがあるような気がした。
「ウィ……お、お前は、こういう本を読むのか?」
視線をテーブルの上にある小説へ向けてから迷わずにかぶりを振った。
「こういう本を好みます」
そして、小脇に抱えていた本をケネス様に渡す。
ケネス様はそれを受け取り、裏表を見てからパラパラと興味なさげにページをめくった。
「随分と難しいものを。……借りても?」
「もちろんです。では、わたしはこちらをお借りしてよろしいですか?」
「あぁ」
お互いに本を交換し、立ったままでページをめくる。
これはまた随分と甘い物語を読まれていたものね。
巷で流行っているという夢小説の類いだ。どうやって入手されたのかしら。
きっと使用人の誰かに頼んで買ってきてもらったのでしょう。だって、本屋さんで気まずそうに視線を逸らしながらこれを購入しているお姿なんて想像できないもの。
「……ふふっ」
「ん?」
「いえ、ちょっとおかしくて」
「本の内容がか? そんなに笑うシーンはなかったと記憶しているが」
「違いますわ。ちょっと、です」
「ちょっと、とはなんだ」
「ふふっ」
「あ、おい!」
わたしはお借りした本を抱き、羽根のように軽い足取りで庭園から屋敷へと続く石畳を歩く。
「公爵様と夫人を待たせてしまいます。参りましょう、ケネス様」
もう昼食時だ。
ばつの悪そうなケネス様に先導していただき、わたしは半歩後ろを続く形で食堂へと向かった。