第28話 公爵令嬢の素顔
魔法具を手放してから無音の夜に慣れるまでには時間がかかった。
と、言ってもまだ完全に慣れたわけではなく、どうしてもナイトテーブルの上に視線を向けたり、寝ぼけて手探りで魔法具を探してしまう。
今は代わりにケネス様からのお土産の品であるドーム型の置物を毎朝必ず撫でる日々を送っていた。
「ウィリアンヌ様、ケネス様は本日お戻りになると知らせがありました」
「ほんとっ!?」
朝からやってしまったわ。
どうしてこうも感情のコントロールが下手になってしまったのかしら。
セラにはニヤニヤ笑われるし。
朝から憂鬱。いえ、ケネス様がお戻りになるのは心待ちにしていたから喜ばしいことに変りはないのよ。それを露骨に表わしてしまう自分が情けなくて嫌なの。
ともあれ、今日もケネス様からいただいたバレッタで髪をまとめ、ダイニングルームへ。
わたしが着席してしばらくすると、ケネス様の妹君であるメルティア様が静かにやって来られた。
おかしいわ。
すとん、という擬音がぴったりの座り方で、背筋を伸ばして朝食を待っているなんて変よ。
痛んでいたものでも食べたのかしら。
あるいは体調が悪いとか。
「あの、ルティ様。もしも体調が優れないのであれば、お部屋に戻られた方がよろしいのではありませんか?」
「まぁ。ウィリアンヌお義姉様は何を勘違いなさっていらっしゃるの。わたくしは普段通りですわ」
「???? いえ、絶対に具合が悪いですって。きっと、ご自分で気づいておられないだけです。いつものようにあくびをしながら入室されていませんし、ピンと背筋も伸びています」
「……ぐっ。ウィリアンヌお義姉様の中のわたしくは相当なぐうたら娘のようですわね」
「え、違いますか⁉︎ 考えを改めた方がよろしいでしょうか」
「って、なんで認めちゃうんですか! そこは、そんなことありませんよって嘘でも言う場面でしょう!」
「良かった! おはようございます、ルティ様」
いつも通りのお姿に安心して手を打ったわたしを見たルティ様は、だらしなくテーブルの上に突っ伏した。
これよ、これ! これでこそ、ルティ様だわ。
あんなにシャキっとしたルティ様なんて見たことがないもの。
「アンねぇ様。わたくしは戻る時が来たのですよ」
「戻る? あぁ、そういえば、度々、お屋敷を離れられるとか」
「そうです。遂にその日がやってきてしまったのですわ」
綺麗に並べられたフォークの一つを持ち、手遊びを始めるルティ様はいつもよりも子供らしく見えた。
「わたくし、王太子殿下の婚約者なんですの」
「まぁ、それはそれは楽しそうな夢でしたね。もう日が昇って随分と時間が経ちますよ」
「夢ではないですのよ。紛うことなき現実ですわ」
「そうですか。誰かルティ様をお部屋へ。お医者様を呼んでちょうだい」
「だ〜か〜ら〜。その痛い子を見るような目をやめてくださいまし」
わたしがどれだけ周囲に助けを求めても誰も取り合ってくれない。
いよいよ不安になってきたわたしはルティ様ではなく、控える執事に問いかけた。
「ほんとなの?」
「さようです」
「みんなでわたしを騙そうとしたり、驚かせようとしたりしていない?」
「我々にメリットがありませんので」
な、なんですって。メリットがない……?
ケネス様なら例え騙そうとされていたとしても、「驚いただろ。ウィリアンヌは良い反応をするから、ついからかいたくなるのさ」なんて言ってくださるに違いないのに。
「もう、アンねぇ様はわたくしをただのぐうたら公爵令嬢だとでも思ってらっしゃるの?」
「はい」
「そ、即答……がっくりですわ」
え、ほんとに本当なの?
この人が王太子殿下の婚約者、つまり未来の王太子妃。ゆくゆくは王妃?
全然、想像がつかないわ。
だって、ベーコンの脂を舐め取って、その指をテーブルクロスで拭くような子よ。
王宮でそんなことをしたら引っ叩かれるだけで済むのかしら。
「言っておきますが、普段のわたくしはこんなではありませんからね」
「そうなのですか?」
「当然ですわ。でなければ、息苦しい王宮で過ごすことも、妃教育もままならないですもの」
妃教育。
聞いただけで肝が縮み上がる。
公爵家の教育でいっぱいいっぱいになっている、わたしには耐えられない内容なのでしょうね。
「ルティ様って実はすごい人なの?」
「今気づきましたか。ケネスお兄様に負けないように、公爵令嬢として誇り高く生きていたらこうなりました」
遠くを見つめていたルティ様が体を起こし、姿勢を正した。
「と言っても、それは昔の話ですけどね。今ではイザーク王太子殿下の前ではこんな感じです」
「こんな感じ……だらしなく、ぐでーっとされていても叱られませんか?」
「そっちではありません。自由気ままにお話しできるという意味です」
あぁ、ずっとしゃべり倒しているということね。
王太子殿下が話し下手だったり、聞き上手だったりするのなら相性は良いのでしょうね。
ルティ様と同じタイプなら相性は最悪でしょうけど。
「とにかく、わたくしは王宮に戻るので巷に流れている噂通りの絶世の美女、イザーク王太子殿下の婚約者、メルティア=ユミゴール公爵令嬢に戻る練習の必要があるのです。しばし、お付き合いいただけますか」
結局、この子も自分の気持ちを曝け出せる場所があるというだけで、普段は仮面を被っているということね。
仕方ないわ。
それが上手な女としての生き方だもの。
「分かりました。心中、お察しいたします」
「ありがとうございます。ウィリアンヌお義姉様」
久々に格式張って名前を呼ばれると少しだけ寂しさを覚えた。
運ばれてくる数々の料理をフォークとナイフで切り分ける所作も、口に運ぶ所作も、ナプキンで口を拭う所作も全てが美しく、さっきまで手遊びをしていた人と同一とは思えない。
わたしがどれだけ努力を重ねても、それを上回るレベルで努力されている方には敵わないのだと思い知らされた。
血反吐をはくほどの努力をされているからこそ、実家にいる時くらいは自由でありたいと願うのでしょう。
ルティ様がわたしのような者の前でも素を晒してくれることに感謝しつつ、いつになく静かな朝食の場で公爵令嬢の本気の礼節を学ばせていただいた。




