第1話 夜、不思議アイテムがしゃべり出す
「ケネス様、紅茶の用意ができました」
「お前が淹れたのか?」
「いいえ、メイドたちが――」
「いらん。下げろ」
中庭でのお茶会に適した麗かな季節に移り変わった頃。
わたしは新しい婚約者であるケネス=ユミゴール様の前で立ち尽くした。
そっか、ケネス様は紅茶が苦手なのね。覚えておかないと。
「お前は座らないのか?」
「はい。わたしはこれから屋敷教育がありますので」
「それなら俺がここにいる必要もないな」
威圧的な態度でそう答えたケネス様が立ち上がり、わたしの隣を颯爽と通り過ぎて中庭から屋敷の中へ向かう。
わたしはその大きな背中に視線を送り、うやうやしくお辞儀した。
「ウィリアンヌ様……」
新たな嫁ぎ先となるユミゴール公爵邸にまでついてきてくれた侍女のセラが心配そうにか細い声をかけてくれた。
わたしは努めて何でも無いように笑顔で首を横に振った。
「さぁ、行きましょう」
ケネス様を追うように屋敷に入り、ケネス様とは逆方向へ進む。
この屋敷に来てまだ一週間足らず。
広大な屋敷の構造も、ユミゴール公爵家一族のことも、公爵家に仕える使用人たちのこともまだ知らないことばかり。
味方はわたし自身と後ろをついてきてくるセラだけ。
わたしはもう選択肢を間違えるわけにはいかないのよ。
◇◆◇◆◇◆
今日分の屋敷教育を終えたわたしの元にセラが駆け寄ってきてくれた。
「平気よ。実家で仕込まれたことを応用できるもの。ユミゴール家の方が格式が高い分、少しだけ堅苦しいだけ」
「ウィリアンヌ様、ご無理をなさらないでください。まだこちらに越してきて日が浅いのに慣れない環境でこんなにも過酷な教育を始めるなんておかしいです。よろしければ、このセラが!」
「ダメよ。やめて。やめなさい」
叱責されて肩を落としたセラは小さく、申し訳ありませんと謝罪した。
「行きましょう」
侍女を守ることが主人であるわたしの務め。という矜持もあるけれど、もっと大きな理由があった。
傷物となったわたしに唯一、婚約の打診をくれたのがユミゴール家だ。
一人息子であるケネス様の妻に欲しい、と言ってくださったユミゴール公爵様の顔に泥を塗るような真似は絶対にできない。
だから耐えるの。
どんなに辛くても、どんなに心ない言葉を投げかけられても。
それに、わたしには心の支えがあるから――
深夜0時。屋敷中に置かれた時計が一斉に鳴り出す深夜。
与えられた部屋に備え付けられたナイトテーブルの上で、ツー、ジジジジと無機質で不気味な音が鳴り始めた。
音の主は箱型の不思議アイテム。
女のわたしでも片手で持てるくらい小型の箱の右側にはダイヤルと文字盤が、左側にはいくつもの小さな穴が空いている。
文字盤が【ケネス=ユミゴール】と表示するまでダイヤルをひねる。すると箱は小さな穴から彼の声でしゃべり始めるのだ。
『紅茶はウィリアンヌに淹れて欲しかった。絶対に美味しいに決まっている。あんなにも一生懸命で、所作が美しく、確かな審美眼を持つ子だ。紅茶一つにも妥協はしないのだろう』
そうなのね。
ケネス様は紅茶が嫌いなのではなく、誰が淹れたのかという点を気にしておられたのね。
「つまり、わたしが淹れた紅茶を飲みたいってこと?」
返答はない。
この箱は一方的に話すだけで、わたしとは会話をしてくれない。
『それに教育があるのなら事前に教えて欲しかった。知っていればお茶会の時間をずらしたのに』
まぁ、そんな気遣いまで。
なんてお優しいのかしら。
「わたしと一緒に過ごしたくて時間を作ってくださったのに、わたしが椅子に腰掛けなかったからあんなにも不機嫌そうに屋敷の中へ戻られたのね」
それを、「俺がここにいる必要もない」だなんて。
あぁ……ケネス様、本当のあなた様もこんな風に思ってくださっていれば嬉しいのだけれど。
わたしは毎晩のように自分の都合の良いように日中のケネス様との会話の答え合わせをする。
これが心の支えであり、恥ずかしながら縋りつく心の拠りどころ。
実際にケネス様がわたしのことをどう思っているのかなんて分からない。
だって面と向かってお話ししてくださらないのだから。
だから、妥協するの。
この不思議な小箱が話すノイズ混じりの声が、ケネス様の心の声だと自分に言い聞かせて――
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