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拓海のホルン  作者: 鈴木貴
第4章 吹奏楽コンクールへ練習と準備の日々
92/132

92.大人たちの本気

重たい気持ちで楽器と楽譜を音楽室へ置き、体育館へ打楽器運搬に向かった。

部員たちの顔には笑顔がなく、 ただ黙々と、慎重に打楽器を運ぶことだけに集中していた。


その間、社員の2人は椅子を重ねたり、譜面台を集めたりしている。

千葉さんは内田先生と並んで、指揮台のそばで話していた。 だが、その内容はまったく聞こえなかった。


打楽器の運搬は、想像以上に大変だ。

これ、コンクールの前にもやるのか? それだけで神経がすり減るし、体力も消耗する。


ひとまず、打楽器を運び終えた。


そのとき、白川先輩が黒沢に声をかけた。

白川:「おい、クロ、ちょっとついてこい。」

黒沢:「え?俺、何かしました?」

白川:「いや、あいつよ、今日の仕事だけで50万円持ってくって、 内田先生、ぼったくられてるんじゃないか?」

黒沢:「いや、多分まともな金額ですよ!というか、赤字です! 人件費やその他の経費で、50万円なんてすでに吹っ飛んでます。 社員の2人は、今日の分の給料も手当も出てないかもしれません。 それに、千葉さんだって、経営者なのにただ働きさせられてるようなものです!」

白川:「でも、内田先生から50万円受け取ってるんだろ? それが今日の作業だけの報酬だとしたら、違和感があるんだけど。」

黒沢:「千葉さん、応援の気持ちって言ってましたから…。」

白川:「でも、あの物の言い方とか、引っかからねえか?」

黒沢:「それは……」


白川先輩は不信感を拭えない様子だった。

白川:「なんかある、って思うだろ?」

黒沢:「ありそうではあるんですけど……。」

白川:「よし、行くぞ。」

黒沢:「ちょっと待ってください!多分、先輩の考えとは方向性が違います! 僕は少なくとも、悪意があるとは思ってませんし、ぼったくりとも感じてません。」

白川:「お前、あっち側か?」

黒沢:「部内で分断を煽るのはやめませんか?違いますし。 まず、バカのふりして真意を聞き出すのが先です。」

白川:「はぁ?」

黒沢:「それに、俺、努力が足りていなかったのは事実です。 謝罪するのが筋ですし、それが先です。」

白川:「……確かに。」


白川先輩のイライラを、黒沢が必死になだめる。

その様子を、花火メンバーはただ見守っていた。


白川:「俺のモヤモヤは、俺だけか?他にいないのか?」

白川先輩が部員たちを見渡す。


しかし——

誰も反応する気力すらない。 下を向いている者、涙をこぼしている者

—— その場に漂う空気は重かった。


(白川先輩、エネルギーあるな。)

もし、黒沢が巻き込まれていなかったら——

もし、近くに花火メンバーがいなかったら——

泣いていたかもしれない。


ただ、花火メンバーと一緒に、おろおろしている。


俺も口を開いた。

「全く譜面を覚えられていませんでした。

この時期で譜面を覚えているのが普通だとは知りませんでした。

でも、他の学校はすでに覚えていて、次の段階に進んでいる——

それを知ると、焦りが強くなって……。

どうしたらいいのか、相談したいです。」


白川先輩は眉間にしわを寄せる。

「あいつらに聞くのか?」


その時、山田先輩が近づいてきた。

「ちょっと、これ見て。」

手にしていたタブレットを見せてくる。

そこに表示されていたのは、千葉さんの会社紹介のページだった。


「事業内容……音楽系プロデュース全般、広報、戦略、教育、 新規事業のコンサルティング、AIを活用した音楽活動支援——」


画面をスクロールすると、千葉さんの代表メッセージが載っていた。

正直、写真は実物よりもイケメンに写っている。

昔の写真だろうか?

今日見たら、少し太ってるぞ……。


さらに役員欄を確認すると、先ほどの40代の社員が執行役員と記されていた。

(執行役員って、何をするんだ?)

もう1人の名前にはCTOの肩書き—— (CTO……って何?)

メディアのページを開くと——

経済系の雑誌への掲載、番組出演、内閣の評議員としての活動、 さらには著書の出版—— 思っていた以上に広範な仕事をしているらしい。


山田:「白川、あんた……この人がわざわざ内田先生をぼったくるほど、 お金に困っているとは思えないよ。」

山田先輩の言葉に白川先輩が黙る。

「もう少し言葉の意味をよく考えれば、 非があるのはどう考えてもこっち側だと思う。」


さらに山田先輩は続ける。

「50万円で来てくれる人たちじゃない。

代表や役員、CTOが直接肉体労働をするなんて普通はあり得ない。

会社の規模が60人くらいだったら、他の社員に任せるはずじゃない?」


白川先輩は呆然としていた。

「いったん冷水器で水を飲んできな。 その後、もう一度じっくり考えよう。」


(……たしかに。)


白川先輩は黒沢に促され、冷水器の方へ向かった。

俺と、他の花火メンバーも後を追う。

交代で冷水器の前で水を飲む。


白川先輩が、ふっと息を吐き、口を開いた。

「変に巻き込んで悪かった。 俺、あんまり情報を集めたり考えたりする前に、 行動しがちで……クロも、ごめんな。」


後輩たちは一斉に、 「いえいえ、大丈夫です!」 といった姿勢を見せる。

白川先輩は、ゆっくりと顔を上げる。

「……なんか、頭も心も落ち着いたわ。 山田と対策を練るか。おのれらも一緒だ。」

——「おのれら」。 完全に内田先生の口調だ。


後輩たちはまとめて、

「はーい!」

と元気に返事をする。


その瞬間——

白川先輩が急に立ち止まり、 後輩たちが次々と追突した。

白川先輩は、さっと階段の影に隠れる。 俺たちも、慌てて身を潜める。


踊り場では、千葉さんと内田先生が話をしていた。

その表情は、先ほどとは全く違う。

内田先生も千葉さんも、穏やかに微笑んでいる。

「じゃあ、ちょっと会議室でお話しましょうか?」


——何だ?


千葉さんの表情は、先ほどとはまるで違う。

内田先生も同じだ。

どこか穏やかで、なごやかな空気が漂っていた。


俺たちは息をひそめ、内田先生たちが会議室へ入っていくのを確認した。

それぞれ、顔を見合わせる。

——思ったことは、同じようだった。


そおーっと会議室の方へ向かい、ドアに耳をぴったりと押し当てる。


内田先生:「今日はありがとうございます。」


千葉さん:「いえいえ、若い方はやっぱりエネルギッシュで素直ですね。 ただ、正直、全国を目指すにはまだまだレベルアップが必要だと感じました。」


内田先生:「そうですよね……実力はあるはずなのですが、 いろいろあって、動揺や体調不良なども影響して……。 コンクールの舞台では言い訳は通用しないとわかっていても、 調整に苦労が絶えなくて。」


千葉さん:「顧問の負担は並大抵のものではないですよね。 取り急ぎ、今出せたのは、さっきのセッティング表と譜面台の角度、 椅子との距離のデータです。送っておきました。

また、個人の演奏についての課題も分析結果が出ました。

譜面のセクションごとに、どの楽器に課題があるか、 どのような表現が好ましいかのアドバイスと、その見本音源も作成しました。


さらに、入場と退場のタイミング、打楽器運搬のマニュアル、 服装のまとめ、本番の前日から当日までの精神管理、 日々の健康管理、基礎練習時に意識すべきこと——

これらをまとめております。あと10分ほどで送信できる予定です。」


内田先生:「……すごいですね。生徒の名前と顔まで把握されている。」


千葉さん:「また、ちょっと合奏を見て気づいたことがありました。 確実に指揮をとらえて演奏で応えられているのは、 3年生の白川さん、船井さん、山田さん。

指揮のポイントを見逃しがちなのは、他の3年生ですね。

その他のメンバーは指揮を見ているだけで、 先生の指揮のどこに、自分たちへの指示が含まれているのかを察知できていません。

ニュアンスだけを直感レベルで感じ取っているメンバーが多いようですね。

指揮への理解を深める勉強をさせてもよさそうな気がします。」

例えば、オブリガートのニュアンスを肘と体の距離で指示されていましたよね?

それを正確にとらえて演奏していたのは—— ホルンの藤村さんだけでした。

オブリガートに慣れていることが影響しているのかもしれません。」


内田先生:「おっしゃる通りです。すべて…すごいですね。生徒の名前と顔まで…。」


千葉さん:「あとは内面の部分、意識づけの部分です。 おそらく、今日あえて厳しいことを伝えました。

先生から話すと、先生の厳しさが"日常"になり、 その厳しさに慣れや甘えが生じてしまうことがあります。

私のような第三者が客観的に現実を伝えることで、 より強く響くものがあるのではないかと思います。」


内田先生:「……顔つきも、目つきも変わっていましたね。」


千葉さん:「普段の会社のコンサルでは、 一人ひとりと面談を行い、状況分析を丁寧に進めます。

しかし、短期間集中コンサルでは、 訪問3回以内に劇的な変化を生み出す方法を取り入れます。

それが、厳しさを前面に出した理由のひとつです。

とはいえ、場合によっては逆効果になることもあります。

もし問題があれば、すぐに対応しますので、何かあったらすぐにご連絡ください。」


内田先生:「助かります、ありがとうございます。」


20代社員:「千葉さん、一通り、分析と対策がまとまりましたので、共有します。」


千葉さん:「ありがとうございます。内田先生、こちらもすぐ送ります。 ……やはり、指揮と演奏のシンクロ率が低いですね。

ただ、1stと他のメンバーとのシンクロ率が高いことを考えると、 演奏力は十分にあります。

一刻も早く譜面から目を離し、指揮と一体感を出すことが重要かもしれません。

その過程で、この吹部が持っている独自のカラーが見えてくるはずです。

本来、私たちが目指しているのは、そこなのですが……。」


内田先生:「申し訳ございません。 せっかくご足労いただいたのに……。」


千葉さん:「あっ!いや、こちらこそ、失礼な言い方をしてしまいました。 申し訳ありません。

ただ、可能性があるからこそ、私たちは動いていますし、 必要に応じて柔軟に対応いたします。

一応プランは準備してありますが、それ以外のことも、 今回は実証実験を兼ねています。

来年は『コンクールコンサルティング』として、 さまざまなプランを設計する予定です。

AIによるセッティングプランだけで50万円、 演奏分析でいくら、合奏分析でいくら、 マニュアル作成でいくら——

こうした内容を細かく分け、プランニングします。

今回のような総合パッケージだと、 おそらく300万円ほどになる見込みです。

音楽経験のある担当者によるマネジメント、 AIエンジニアによるサポートも含まれますので、 それくらいの金額になる予定です。

今回、ご協力いただき、本当にありがとうございます。」


内田先生:「松下から話を聞いた時は、正直よくわからなかったのですが、 お願いして本当に良かったです。

いろいろな業務に忙殺されてしまい、 吹奏楽部の運営に十分集中できない時期が続いていました。

遅れを感じるたびに焦りもありましたし……。

それに、これからはAIの時代だと言われていますよね。

私たち教員の立場も、AIによって変わっていくのでしょうね。」


千葉さん:「勘違いしないでほしいのですが、AIは完璧でも正解でもありません。 それどころか、意外と大きな間違いをすることもあります。

今回のステージセッティングも、ウィーンやイタリア、ドイツの楽団を参考にし、 過去の金賞受賞校の配置データを学習させて割り出しました。

しかし、それが必ずしも正解とは限りません。 もっと良い配置があるかもしれませんし、

もしかすると、生徒が安心して譜面台に向かえる位置のほうが、 結果的に良いパフォーマンスにつながる可能性もあります。

その最終判断は先生に委ねられます。


AIが人間の勘や感覚まで再現できるわけではありません。

私たちとしては、AIの力を借りながらも、 先生方が本当に音楽を高めることだけにエネルギーを使えるようにしたいのです。

現場には、本来どうでもいい問題まで丸投げされてしまうことが多いですよね。

音楽と教育に純粋に取り組もうとする先生方が、 関係のないことに巻き込まれることもあるでしょう。

それも先生のやりがいなのかもしれませんが……

もしそうであれば、そのやりがいをさらに充実させるため、 負担を軽減できるシステムを作りたいのです。

先生が先生として、より生徒や部員とのコミュニケーションを深めることができるように。

それこそが、私たちの本来の目的です。……少し話が散らかってしまいましたね。申し訳ありません。」


内田先生:「いえ、現場や教員の心理をよくご理解されていて……ありがたいです。

このような支援を必要としている学校は、他にもあると思います。

ただ、予算面の問題が……。

300万円となると、公立校ではかなり厳しいかもしれません。

現実的ではないというか……

吹奏楽部へ入る段階で、ある程度お金がかかることは理解されているでしょうが、 出せてもせいぜい30万円くらいが限界かもしれません。」


千葉さん:「今回のようなフルパッケージでは、確かに高額になりますが、 必要な部分だけを選んでいただけるような形も検討しています。

1つのプランを5万円から始め、最大で300万円のプランまでメニューを揃えます。

先生のポケットマネー、部費、寄付、学校や教育委員会の予算—— さまざまな選択肢の中で検討していただけるよう、予算の申請書類の書き方についても提案する予定です。」


内田先生:「さすが……。」


千葉さん:「もう商品化は完了しています。 コンクール後にリリースし、予約受付を開始する社内体制も整っています。

あとは、内田先生が結果を出すだけです。 そのために必要なことは、何でもサポートします。

先ほどのような、第三者による指導も含めて——。 学校の先生が直接言うと、いろいろ問題になることもありますよね。

これは隠れオプションとして、1回30万円で提供する予定です。 まあ、リスクはありますが(笑)。」


内田先生:「……あの子たちは、すでにかなりの金額をかけられているのですね。」


千葉さん:「ええ、軽く1千万円レベルと考えていただければ。」


1千万円!? 部員約50人で割ると……1人20万円の投資!? 計算、合ってる……?


白川先輩と仲間たちは顔を見合わせる。


(……なんか、大人たちの壮大な企みを聞いてしまった気がする。)


——その瞬間。


ドアが開き、全員がバランスを崩した。


「……というわけだ。すでにおのれらは、給料をもらったようなものだ。 それに見合う演奏をしなくてはならないな……。」


鬼の形相の内田先生が、そこに立っていた。


白川先輩:「……いつから気づいていたんですか?」


内田先生:「入って正座、全員。」


白川先輩:「はい……。」


内田先生:「盗み聞きとは、それに顧問の話となると…… 覚悟はできているんだろうな?」


全員、震えている。


そのとき——


黒沢:「すみません。言われた課題をやっていなかったので…… その謝罪をしに来たのですが、どのタイミングで入ろうかと伺っていたら、 聞き入ってしまって……。」


(ナイス、黒沢!)


多分、本気で言っていると思うけど—— 俺は単純に好奇心で流されていたから、 そんなことを言ったら、めちゃくちゃ怒られていた場面しか浮かばない。


内田先生:「ここで聞いたことは一切黙っていろ。 もし、少しでも漏らしたことが発覚したら…… ただでは済まないことだけは伝えておく。

親セットで呼び出すから、その覚悟をしておけ。 内容は、その時に伝える。」


白川先輩:「何を言うんですか?親に……。」


内田先生:「教員の会話を盗み聞きし、それを部内に広める—— それがどれほどの重罪かわかっているのか?こちらは黙っていてやると言っているのだ。内容によっては、停学……。」


白川先輩:「す、すみませんでした……!」


他のメンバーも続いて謝罪した。 ほぼ、土下座。


(こんなことで停学とか……。)


内田先生:「まあ、すっとぼけるにも限界があるだろうから、 楽器運搬のノウハウがあったとか、それをどう伝えるかの話をしていた——とか、だな。

……それ以上は言うな。

わかったか? わかったら、とっとと音楽室へ行け!」


全員:「はい!」


気合の入った返事とともに、全員で音楽室へダッシュした。

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