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拓海のホルン  作者: 鈴木貴
第4章 吹奏楽コンクールへ練習と準備の日々
91/132

91.譜面との距離

体育館の入口に集められた。


内田先生は緊張感を漂わせながら話し始めた。


「ここが舞台袖だと思え。

ここにいるときは、前の団体がステージで演奏している。

この待機中の時間は、自分の演奏に集中しろ。

これから出す音、奏でる音楽のことだけを考えるんだ。


そして、入場時は、前の列がチューバ、フルート、クラリネット、 次の列がバスクラ、ユーフォ、ファゴット、オーボエ…というように入っていく。 まずは席につき、譜面を譜面台に置くこと。

落ち着いたところで、一度通し、演奏が終わったら向こう側に退場する。


この一連の流れを確認する。

本番では椅子や譜面台のセッティングはある程度、会場の人が準備してくれるが、 最終的な調整はお前ら自身がやることになる。

だから、この感覚をしっかり覚えておけ。


後で映像と図面、さらに個人のセッティング時の注意をカルテとして 配布してもらえるそうなので、それも頭に入れておくように。


やるぞ!」


部員たちは「はい!」と気合の入った返事をした。


俺は絵馬先輩の後に続いた。 自分の席について、譜面台を置いた。


しかし、低い…遠い…。

思わず癖で譜面台を引き寄せようとした、そのとき——


「触らないでください!何かありましたか?」

さっきの社長が駆け寄ってきた。


「ちょっと見えづらくて…。 低くて、角度ももう少し立てたいんです。」


そう答えると、内田先生が——

「だから!覚えてこいと言ったんだ!」

ものすごい声で怒鳴った。


「さっき音楽室で説明した!

椅子や譜面台の角度や高さで音楽が変わると!

この状態を覚えてセッティングしろ、と言ったはずだ!

何度も同じことを言わせるな!


それに、わからなかったら聞けと説明した時、お前は黙っていただろう!

自分の未熟さで、人の苦労や努力を無神経に踏みにじるな!」


ショックと驚きで声すら出なかった。 空気が冷たく、息苦しくなった。


「他にもいたな。

譜面台を触った者、椅子の位置や角度を変えた者たち。

一度そのまま退場だ!

話を聞け!

理解しろ!

何のためにこれをやっているのか、さっき説明したはずだ!」


内田先生は怒りをあらわにした。


俺たちは再度体育館の入口に集められた。


千葉さんと社員2人がPCを見ながら、 いそいそと椅子や譜面台の位置・角度を調整していた。

千葉さんが写真を撮影し、内田先生にOKのサインを送った。


「入場」

内田先生の指示に従い、今度こそ触らない、動かさない。

セットされた場所に譜面を置き、ただ座る。


しかし——


譜面台が少し遠い。

角度が平たい。

もう少し立ててはダメなのか?


このままだと姿勢がおかしくなりそうだし、 ページをめくるのも大変だ…。


どうしよう…。


内田先生が指揮台に上がり、お辞儀をした。

そして、指揮棒を振り始める。


その瞬間——


自分の音がもろに響く。 他の人たちの音がはっきり聞こえてくる。


今まで大音量の中でひっそり音を出していた。

合わせているつもりだった。


しかし——


自分の音が浮いているような気がする。

怖い。

だんだん音が細くなる。


すぐ隣に絵馬先輩がいると、 音の振動まで感じられるから安心していた。


ここまで距離が離れると、 もう、不安でしかない——

体育館だと、人と離れるし、 自分の音が混ざっているのかもわからない。

そんな気持ちのまま、課題曲から自由曲まで通し演奏し、 内田先生が指揮棒を下した。

俺たちは楽器を下ろした。


内田先生がお辞儀をすると、社長と社員2人が拍手を送っていた。


内田先生が千葉さんに問いかけた。

「どうでしょうか?変更が必要な点はありますか?」


千葉さんはPCを見ながら答える。

「現時点では、おおむね響いているし、まとまりもあります。

指揮との一体感を生み出せるよう配置しましたし、 チューバなどの楽器は奏者の顔が隠れがちなので、 客席からも指揮者からも見えやすい角度に調整しています。

指揮がしっかり見えることはもちろんですが、 客席や審査員席から奏者の顔、特に目がしっかり見えることも重要です。

慣れるまでには時間が必要でしょう。

それに、ここは体育館ですので…これが最適解とは言えません。

まだ改善の余地はあるかと思います。」


内田先生はうなずき、言葉をつなげる。


「来週、もう一度体育館で練習を行います。

さらに、その次に1回、コンクール会場ではありませんが、 区民ホールの大ホールでの練習を予定しています。

その頃には、演奏ももう少し仕上がっているはずですので、 変化があると思うのですが…。」


千葉さんは問いかける。

「ホール練習の際に、さらに調整が必要になる、ということでしょうか?」


椅子や譜面台は、ただ奏者のためにあるものではなかった。

それすらも、音楽をより良くするための要素だったのだ。

そんなこと、考えたこともなかった。


それにしても譜面が見えづらい…。

いきなり覚えろと言われても、限界を超えている。

そんな無茶な話があるか——


そんな気持ちが頭の中でぐるぐると渦巻く。

そのとき、内田先生が千葉さんに向き直り、口を開いた。

「部員たちに、何かアドバイスをいただけますか?」


千葉さんは、一瞬こちらを見てから、淡々とした口調で問いかけた。

「本当に全国に行きたいと思って、 今、この練習をしているのですか?」


鋭く響く問い。 おなかのあたりが冷たくなった——


淡々とした低い声が響く。 冷静な口調で、千葉さんが話し始めた。

「以前からの課題に向き合っていない。 緊張感もない。

言われたことを理解しようとせず、 自分の都合を当然のように押し付ける。

どれも、ほんの少しの努力で前に進めるはずなのに、 それすらしようとしない。

他のライバルは、そんなレベルではありません。

運よく金賞を取れたとしても、 代表として上位大会へ進む団体には、

"このチームに託したい"

と思わせる説得力が求められます。

少なくとも、僕にはそれが感じられません。

ただの口先だけ。

それでも内田先生は、あなたたちに期待しているんです。」


少し間を置き、千葉さんは続ける。


「これは余計なことかもしれませんが、あえて言います。

今回のコンサル料は、一式で50万円。

内田先生のポケットマネーです。

学校の予算でもなく、部費でもなく、保護者からの援助でもない。

あなたたちが今したことは、内田先生に50万円を捨てさせたということです。

50万円あれば、何ができるでしょう?

何が買えるでしょう?

どこへ行けるでしょう?


ディズニーランドへ行き、関連ホテルに宿泊できる。

新しいゲームやソフトだって買える。 そ

こそこのスペックのPCや楽器も購入できる。


内田先生が、このコンクールにかける熱意を、 もう少し感じ取って、行動できませんか?」


静まり返った空気の中、千葉さんはさらに言葉を続けた。

「楽器を運ぶこと、入場時の姿勢、演奏中の態度、目線。 どれをとっても、だらしない。

本気の音を出してください。

本気の音とは、音程やリズムを整えることはもちろん、 奏者同士の解釈の統一、指揮者との意思疎通と一体感。

それ以上に、現実も、コンクールの点数も、ライバルの存在も、 審査もすべて忘れさせ、 聴く人を夢中にさせてしまう魅力的な音楽を奏でること。

基本的なことをさっさと身につけ、次の段階へ進んでください。

せっかくの仕事として応援しようと思っていましたが、 このままでは応援したくありません。

私たちは、 奏者の魅力を客席のすべての人、審査員のすべての人に届けるために、 セッティングを考えています。

下手な音楽を、上手く聞こえさせるための技術ではないんです。」


千葉さんの視線が部員たちを一人ひとり、静かに見渡す。

「私たちにも気持ちがあります。 音楽へのこだわりがあります。

今年の吹奏楽部は、この程度のレベルなのでしょうか?

正直に言います。 今のままでは、銅賞です。」


……そんなことまで言うのか?


思わず息をのんだ。


「一事が万事です。

すべてにおいて認識が甘い。

特に1年生は、入部したばかりだからと言い訳するかもしれないが、 コンクールではそんな言い訳は通じない。

すべては舞台上での演奏です。」


千葉さんの言葉が響く。


「後ほど、今撮影した演奏の映像を内田先生に転送します。

このセッティングで、この程度の演奏しかできなかった事実を、 正直に言えば、応援する気力がなくなりました。

自分が受け持ったクライアントが下手な演奏をした、 なんてことになるくらいなら、 もっと成功しそうな人たちと新たにビジネスパートナーになりたい。

そう思ってしまいます。」


——え、そんなに厳しく言われるのか…。

一言一言が刺さる。


千葉さんはさらに続けた。

「僕たちは、お金だけで仕事をしているわけではありません。

3人でこれだけの労力をかけたら、正直、赤字です。

『今度こそ全国へ』と聞いたからこそ、 赤字覚悟で、応援の気持ちを込めて全力で取り組んできました。

なのに、その気持ちを無自覚のまま踏みにじられるのなら、 僕たちは手を引きます。

どうぞ、好きなように譜面台や椅子を調整してください。

本番に少しでも慣れるため、音を会場に届けるために 提案をしましたが、部員の皆さんは不満しかないようですね。」


冷たい空気が流れる。


「僕たちの戦略のせいで演奏しづらくなり、 結果として賞を逃した、なんて思われたくありません。

よって、ここで手を引かせていただきます。

音楽室へ楽器や打楽器を運び終えたら、 あとは私たちで撤去作業を進めます。

お疲れ様でした。」


突き放されたことは、はっきりと理解できた。 ぐうの音も出なかった。

自分の無意識の行動が、 いろんな人の努力や配慮を無にしてしまっていたのだと痛感する。


内田先生を見ると、静かに下を向いている。

髪で顔が隠れていて、表情は見えなかった——。

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