88.迷いながら奏でる
内田先生が指揮棒を構えると、クラリネット、ユーフォ、オーボエが構えた。
振り始めると、クラリネットとユーフォが音を出す。
静かで、きれいで、熱い。
同じメロディが、次々と違う楽器へとつながれていく。
まるで音のリレーみたいだ。
原曲ではほとんど尺八が吹いている。
ホルンも一部担当するけれど、全体的に三味線の要素が多いのかもしれない。
音源に吹奏楽バージョンがないから、聞きながら探してみるが、 「これか?いや、これかな?どの楽器だ?」と迷う。
映像を見ても、その場面がアップになっていない。
八分音符の部分は、アルヴァマーと似ているかもしれない。
そうか…構成が少し似ているから、 さっきいきなりやらせたのも、理由があるのか?
ホルンには対旋律っぽい動きが多く割り当てられている気がする。
こっちは、アルヴァマーよりもさらにパターンが複雑だけど…。
…これは、かっこいいんじゃないか?
散々練習して、ようやく今ここで気づくなんて、遅いかもしれない。
この感覚をもっとのぞみ先輩に伝えられたら、 最後の会話も違っていたかもしれないのにな…。
曲が終わり、指揮棒が下された。
「一回、メゾフォルテやメゾピアノの『メゾ』を取って演奏してみて。
フォルテかピアノだけで。
どれくらい変わるか、確認する。
クレッシェンド、デクレシェンドはなし。
その他のアクセントとスラーは譜面通り。」
「はい!」
部員が返事をすると、先生が黙って指揮棒を掲げた。
最初のパートが構える。
やってみると、意外に難しい。
いつも無意識で演奏していた微妙な音の違いを、 「ピアノ」か「フォルテ」の二択にするって、結構大変だ。
簡単に考えていたけれど、そんな単純じゃなかった。
ちょっと分かったことがある。
クレッシェンドやデクレシェンドがないと、音のつながりが途切れてしまう。
いきなり音が「でん!」と飛び出したり、 強く吹いていたのに突然弱くなると、違和感がすごい。
まるで「力抜いたのか?」って聞こえてくるようだ。
内田先生の指揮についていくけれど、 なぜこんなことをやらせているんだろう?
曲が終わると、先生が指示を出す。
「ホルンは、1からのメロディを抜けて、八分音符のほうへ回れ。
テナーはもう一台、明日までにフォルテの部分で誰か持ち替えて加われ。
同じくフォルテの部分で、フリューゲル、クラ3rd、 動きを強調する意味で入る。
全体のバランスを考え、変更の可能性もあるので、そのあたりはまた伝える。」
該当部員が返事をした。
メモを取る音が聞こえる。
ホルンのフォルテって…。
全体で音を出している部分がほとんどだけど、 それでも足りなかったってことか…。
そうだよね…。
ここにテナーサックス、フリューゲル、クラが加わる。
全く想像つかない。
てか、合わせられるのか?
俺がついていけるのか?
「もう1回、通す。
次はピアノかフォルテに加えて、 クレッシェンド、デクレシェンドも意識して演奏する。
クレッシェンドは『前に出る』。 デクレシェンドは『次へ渡す』。
その意味を考えながらやる。」
部員が返事すると、先生の指揮棒が上がり、演奏が始まる。
『前に出る』…?どうするんだ? 立ち上がるわけではないよな。
心で…ってこと?
次に渡すって、誰に何を?
みんな「はい!」って返事してるけど、 わかって返事してるのか? 分からないの俺だけ?
もうしんどいし、頭がいっぱいだ。
だから、誰に何を渡すかなんて考えられない。
音をただ、大きくするか、小さくするか、それだけで精一杯だった。
内田先生が続ける。
「明日、再度自由曲の合奏をする。
それまでに、さっき言ったことをすべてできるようにしておくよう。
あと、ホルンは、高橋の楽器を藤村に。 藤村の楽器を鈴木に変更する。
その準備もしておくこと。」
俺は慌てて返事した。
…コンクールまで楽器を変えるなって言ってなかったっけ?
やることが山積みじゃん…。
「今、時間を測ったら、あと1分以上縮める必要がある。
テンポアップできなければ、どこかを大幅にカットする可能性がある。
ただ、あまり削れる部分がない。
もう少し早めに演奏し、ritのかけ方を調整するので、 各々そのつもりで。」
「はい!」
部員と一緒に返事するけど、 それって一体どんなつもりでいればいいんだ…?
みんな本当に分かって返事してるのかな?
いつも疑問なんだけど…。
「終わり!
20分後からミーティング。
体形はコンクールが終わるまでこのままOK。」
「ありがとうございました!」
練習が終わった。
色々わからなさすぎて、絵馬先輩に話しかけた。
「あの…。」
絵馬先輩は俺の顔を見て、笑いながら言った。
「たくみん、顔、おじいちゃんになってるよ。」
それを聞いて、隣の白川先輩が俺の顔を見て言った。
「鈴木ー、おま、顔ひどいなー。
目は死んだ魚だし、顎引け、口閉じろ。虫入るぞ。」
呆れた笑顔だった。
慌てて姿勢を正し、再び聞いた。
「内田先生の言ってることが全くわかんないんですけど… 分かって返事してるんですか?
わかんないの俺だけ?
返事しないわけにはいかないから、反射的に返事してるんですけど…。」
白川先輩は、サックスに布を通しながら聞いてきた。
「どこが分かんないんだ?」
「『前に出る』とか、『次に渡す』とか…。 あと、ritのかけ方、『各々で』とか…。
返事はしてるんですけど、 気持ち悪くなるくらい全く意味が分からない。」
ぼやきながら言うと、白川先輩は俺をじっと見て、
「スコア、ちゃんと見てないな?」
と鋭く指摘した。
「あー…そうっすね…。
見ましたけど、見ただけっていうか…。 理解できないっす。」
おろおろしながら答える。
「まあ、そうだよな。 今日は疲れたし、明日教えてやるよ。」
「ありがとうございます。」
そう答えると、絵馬先輩が楽器を指しながら言った。
「今日、このホルン、つば抜きしてあるから、 明日からこっち使ってね。間違えないように。
こっち、いい楽器だから、たくみんも上手くなりやすいと思うよ。」
「はい…。」
返事はしたけれど、そんな気は全くしない…。
同時に、のぞみ先輩のことを考えた。
コンクールだけでも、来れないかな…。
部屋から出られないって、どんな状況なんだろう。
いつ、出られるんだろう…。
つば抜きしながら楽器をケースに戻し、 マウスピースだけを自分のタオルハンカチにくるんで、 楽器のリペアセットに入れた。
「今までのホルン、お疲れっす。」
静かに、今まで使っていた楽器を片付けた。
絵馬先輩が使っていた楽器ケースに、自分のマウスピースを入れる。
帰りのミーティングが始まった。
内田先生が説明する。
「明日、午前中は学校で終業式、 クラスで学活が終わった後、いったん下校。
その後、14時集合で練習となる。
先に言っておくが、その次の日、20日は9時から13時までの練習となる。
時間が長めのため、おにぎりやゼリーなどの軽食を準備していい。
その日はさっさと家に帰れ!以上。」
本当に今日は お疲れ様でした という感じだった。
色々、追いつかない。