80.守るための意地と攻防
「鈴木、ちょっと起きてくれ。」
目を開けると、有岡先生がいた。
「せっかく休んでいたところ申し訳ない。
今、昨日の件について吉川と池田、それぞれの両親、そして警察と話し合っているんだが…。
鈴木が受けた嫌がらせについて、君から話してもらえないかということになってな。
話せそうか?」
「なんで?」
と聞くと、
「うーん…いくつか証拠も上がっていて、鈴木への嫌がらせがあったのは確かだ。
黒沢が鈴木をかばったこともわかっている。
だけど、相手側はただ『黒沢が悪いから処分しろ』『サッカー部の活動制限を緩和しろ』と言っている。
警察を交渉材料にしているのかもしれない。
だからこそ、鈴木がされたことやその時の気持ちを話してほしいんだ。
もちろん、無理なら改めてもいいし。
これからお母さんも来るから、一度相談して決めてくれて構わない。」
頭の整理が追いつかず、気持ちもぐちゃぐちゃだ。
「たくみーん、出るなー。」
横で寝ていたはずの黒沢が、寝たまま会話に入ってきた。
「起こしてごめん。」
と言うと、黒沢はゆっくり起き上がり、テーブルに置いてあったお茶を一口飲んでから話し始めた。
「俺、全部話しましたよね。
それで必要ならいくらでも謝罪しますし、怪我も自己責任だってわかってますから。」
黒沢がそう言うと、有岡先生は大きく息をついた。
「正直に言うけど、相手側が厄介なんだ。
警察も怒っていて『本当の被害者は鈴木君だろ!そっちへの謝罪が先だ!』と言っている。
それで、校長も鈴木君を呼ぶことにした。
でも、一人では心細いだろうから、親御さんも一緒に来てもらうことになっている。」
黒沢がポツリと
「俺のカメラ、作動か?」
と言うと、有岡先生が「今日は警察がいるから、いらん!」と即答した。
「何だ?黒沢カメラって?」
と聞くと、
「コナンみたいなやつ。」
と黒沢が答えた。
コナン?
その時、ドアがコンコンとノックされた。
母さんだった。
有岡先生が
「お忙しいところ、急で申し訳ありません。」
と言うと、母さんは「いえいえ。」と軽く答えた。
どうやら、先生は母さんにある程度の事情をすでに説明しているようだった。
「拓海、どうする?
嫌なら、出なくていいと思う。
あんたは被害者なんだから。
加害者と顔を合わせて被害について話すなんて、心の負担が大きすぎる。」
「俺は…嫌だ、話したくない。会いたくもない。」
思わずそう言ってしまった。
「だよな。わかる。」
黒沢がうなずく。
すると、母さんが
「私だけ行きます。」
と言った。
俺が「え?」と驚くと、
「ずっと言ってやりたいと思っていたことがあるんです。
いい機会だから、それをぶつけます。」
母さんがそうつぶやいた。
母さん、怒ると何を言い出すかわからない…。
そう考えた途端、焦りが込み上げる。
「やっぱり、俺、行きます!」
と言った。
黒沢は
「たくみんは休んでろ!」
と制止したが、俺は母さんの性格をよく知っている。
我慢強すぎて、爆発した時が怖い。
俺のせいで、ずっと我慢させていたんだ。
俺のことなのに、俺が出なくてどうするんだ。
「行きます。」
母さんは
「拓海、嫌なことは嫌でいい。
でも、行くならいい機会だから、言いたいこと、何でも言ってしまいなさい。
今日、全部終わらせよう!」
と言った。
「うん。」
そう答えて、行こうとすると、母さんがポケットからスマホを取り出した。
俺のスマホだ。
「父さんとつないで。今日はMeetの方で。」
「え、父さん寝てるんじゃ…」
「今は仕事から上がって家にいるって。
だから参加できるよーってさっき言ってた。」
そっか。
そういう手で来たか。
Meetにサインインすると、
「おー拓海!えらいことになってるなぁ!」
と、気の抜けた反応が返ってきた。
「父さん、ごめん。こんなことでいきなり呼び出して…。」
「いや、こういう時にそばにいられなくてごめん。
せめてこれで参加させてくれ。」
「うん、ありがと。」
ちょっと支えられている気がしてきた。
有岡先生の「行きましょうか」という声で、行くことにした。
すると、後ろからなぜか黒沢がついてきた。
「黒沢はいいだろ、休んでろよ。」
「いや、行く。あいつら…許さん。」
そう言って強引についてきた。
本音は、心強かったし嬉しかった。
---
有岡先生は生徒指導室をノックして、ドアを開けた。
そこには、隣のクラスの先生、生活指導の先生、校長先生。
警察の人が二人。
池田と吉川。
それぞれの父親と母親。
そして、俺、母さん、Meet越しに父さん、黒沢、有岡先生。
全部で16名。
とりあえず、席についた。
すると、警察の人が口を開いた。
「私は鶴花警察署の生活安全課の和田です。
こちらは少年課の近藤です。
先日の件で、池田君と吉川君が鈴木君に絡んでいたことから始まったと考えられるため、
さっきは『もう大丈夫』と言ったのですが、
再度お呼び立てする形になってしまい、申し訳ありません。」
と、謝罪された。
「あ、いえ…。」
と言うと、後ろから母さんの声がした。
「鈴木の母です。本日はリモートで海外にいる夫、拓海の父にも参加させていただきます。」
そう言って、スマホを取り出した。
「あー、遠いところからこんばんは。
…あ、そちらはおはようございますですね。
よろしくお願いいたします。」
と、父さんが画面越しにお辞儀をした。
…空気感が違うというか、温度感が違うというか。
スマホなのに、強い存在感があって、完全に浮いている。
相変わらず、だ。
すると、さらに後ろから俺の前に出てきて、
「黒沢です。この度は大変申し訳ございません。」
と、黒沢が謝罪した。
その瞬間、池田と吉川、その両親の顔つきが急に怖くなった。
「あなたが黒沢君ね?うちの子のお腹を蹴ったっていう!」
「はい、反省しております。大変申し訳ございません。」
黒沢は神妙に頭を下げた。
「うちの息子の股間を蹴ったって…。」
「はい、大変なことをしてしまいました。申し訳ございません。」
…。
違う…。
こいつらが俺に絡んできて、泣いてしまった。
いきなりスコアを破られたから、黒沢が俺の代わりに怒ってくれたんだ。
それなのに、こんなふうに責められるのは、おかしい…。
「違います…。おかしいです。」
俺は伝えないと、このままでは黒沢がずっと謝罪し続けることになる。
あの時、俺が自分を守れていたら、黒沢がこんな顔になることも、
こんな無駄なことに巻き込まれることもなかったはずだ。
「違います!黒沢は、守ってくれたんです!」
和田さんが俺に問いかけた。
「鈴木君、黒沢君が来る前のことを詳しく話してくれるかい?」
「はい。でも泣いたりしてしまったので、ちょっと曖昧なところもあるんですけど…大丈夫でしょうか?」
「うん、話せる範囲でいいよ。
それで、いくつか聞きたいこともあるから、教えてくれる?」
「はい。」
俺:「最初、ロッカールームに部活で使うスコアを取りに行ったんです。
その前に教室で吹部のメンバーと部活の課題について話していました。
コンクールの曲を全パート聴いてくるようにって顧問の先生に言われていたんですけど、
わからない部分があって、その子が教えてくれるっていうから、
休み時間も短いし、急いで取りに行って戻ろうと思ってました。
それで、ロッカーのバッグから取り出して戻ろうとしたら、肩がぶつかって…。」
和田:「それで、ぶつかったのは?」
俺:「下向いていたので、ちょっとわからないんですけど、
サッカー部の2人のどちらかです。
それで、通ろうとしたら邪魔されて。
いろいろ言われて…泣いてしまって。」
和田:「どんなこと言われた?覚えてる範囲でいいよ。」
俺:「調子に乗るな、とか、リア充とか、お前のせいだ、とか。
『お前のせいでサッカー部が大変なことになったから責任取れ』とか。
辛くて泣いてしまったら、さらにからかわれて…。
その上、スコアを取られて破かれて…コンクールまで時間がないのに。
すごく大切なものを、目の前でそんな状態にされて、ショックすぎて。
そしたら黒沢が来てくれて、俺の代わりに怒ってくれたんです。
俺以上に、怒ってくれました。
それで俺、その時に
『今、理不尽な目に遭っていたんだ。だから辛かったんだ。』
って気づけたというか…。
あの時、黒沢が来てくれなかったら、
俺の心は壊れていたかもしれません。
学校が怖くなって、また、あの2人に何を取られるのか、
何を壊されるのか、そんなことばかり怯えてしまっていたと思います。」
そこまで話して、俺は黙り込んだ。
有岡先生がお茶を出してくれた。
俺は、そのお茶を一気に飲み干した。
「なので…黒沢が彼らを倒したのは、このサッカー部の2人が俺1人に対して行動を邪魔し、スコアを破いたからです。
黒沢が来てくれて、ようやく人数としては2対2になりますよね?
でも、俺はその時、1ですらなかった。
この2人にメンタルをやられていたから。
俺が見たのは、襟をつかまれてパンチを食らいそうになっていた黒沢が、足でかわしていた場面。
黒沢が後ろから髪をつかまれ、後ろへ引っ張られて転びそうになった場面。
その直後、なぜか股間を押さえて倒れているやつ。
そして痛みに顔を歪める黒沢の苦しそうな表情。
和田さん、俺が理不尽にやられたからこそ、黒沢は助けてくれたんです。
それに、やったことはサッカー部の2人の方がよっぽどひどいんです。
それもずっと続いていました。
入部してから、俺はサッカー部全体から無視されていました。
この2人もその一員です。
ただ、それも先輩に言われてやっているのかな、って考えたら、怖くて追及する気にもならなかった。
つい昨日まで、俺はサッカー部のことなんて考えもしなかったのに…。
正直に言えば、また不登校になりそうです…。」
和田さんは静かに問いかけた。
「また不登校に…。怖かったんだね。」
「はい…。それに、理由すら理解できなかった。ただただ、怖いんです。」
和田さんは、場の空気を確かめながらゆっくりと話し始めた。
「これがまず、被害者の声です。
黒沢君がやったことを責める前に、まずはご自身の行動を振り返りましたか?
まずは池田君。」
池田は視線を落とし、小さな声で答えた。
「いや…ごめんなさい。そこまで追い詰めたなんて思ってなくて…。」
「鈴木君は怖かったと、傷ついたと。
もう学校にも来たくないとまで言ってるんだぞ。」
「ごめんなさい…てっきりもう立ち直って、
吹部で明るく元気にやってるのかと思って…。
今はちょっと話したらどうなるのかなって…。」
和田さんは次に吉川へ目を向けた。
「吉川君、君はどう思っている?」
吉川も池田と同じように、戸惑ったような声で答えた。
「そこまで傷ついてるなんて…。
学校に来たくないとまで思ってるなんて知らなかった…。
ごめんなさい…。」
その時、静かに席から身を乗り出し、母さんが口を開いた。
「ちょっといいですか?」
顔が鬼のようになっている。
俺に怒る時よりも、さらにキレている…。
「知らなかった?ごめんなさい?
そんな程度の謝罪で許されるとでも思ってるの?
どこまで甘やかされて育ったのかしら?
うちの子はあなたたちにいじめられて、不登校になったのよ。
それでも、あなたたちは何事もなかったように学校へ通ってるでしょう?
もしも拓海がどこかから飛び降りていたら、私は一生、あなたたちを許さなかった。
そんなこと、考えたことある?
親御さんも、考えたことありますか?
あなたたちのやったこと、ネットでさらしてやる。
例え、それで私が逮捕されたとしても。
…というかね、今この状況でも、どうしようもない怒りで、
あなたたちを拓海と同じ目に合わせないと気が済まないのよ。
和田さん、近藤さん、被害者は泣き寝入りしかないんですか?
入学早々、こんな人たちのせいで不登校になって、ようやく復帰したのに、
また不登校になりそうだなんて…。
泣くまで罵倒する?
人の大切なものを破る?
どんな神経してたらそんなことができるの?
…というか、どうやって育てたら、こんな意地の悪い人間になるの?
悪魔の英才教育?
しかもサッカー部、他にもいじめで問題になってたわよね?
公になってるだけで、これが3回目でしょ?
いや、私はもう1人被害者を聞いてるわ。
もう廃部でしょ?
だって活動内容、いじめ。
もう終わってるわよ。」
母さんは、一気に吐き捨てるように言った。
和田さんが確認するように問いかける。
「こちらの生徒さんの謝罪では収まらないということですね?」
母さんは即答した。
「はい!しかも黒沢君に怪我をさせたんでしょ?
黒沢君がやったことは、うちの子の心の傷がどれほどのものだったのか、
痛みで理解させるためだったんでしょ!
黒沢君だって怪我してるんですよ!?
しかもコンクール前に全治3週間!?
場合によっては長引くって!?
もっと早く、あなたたちを訴えるべきだったわね。
そうしていたら、黒沢君が怪我をすることも、
こんな嫌な思いをすることもなかったのに。
…ふざけんなよ!
親も黙ってないで何か言いなさいよ!
それとも、うちの子が悪いとでも言うわけ?
何か言いなさい!」
完全にスイッチが入っている…。
部屋の空気が凍りついた。
吉川は、涙を流した。
母さんはさらに言葉を続ける。
「おーおー。ここに来てようやく拓海の気持ちになったか?
どう?責められる気持ちは?
お前がやったことだよな?
2人で調子に乗って、うちの息子に無茶苦茶なこと言いやがって。」
和田さんが静かに言った。
「今回の本当の被害者は鈴木君です。
まずは、被害届を出しませんか?」
母さんは一瞬「?」という顔をしたが、すぐに理解して、ニヤッと笑った。
ブラック母さんが出てきた。
「そうですね。そうさせていただきます。」
吉川の父が、深々と頭を下げた。
「うちの息子が、大変申し訳ございませんでした!
深くお詫び申し上げます。
ですから、どうかこれ以上の…」
母は、冷たい目で見つめながら言った。
「はぁ…?黒沢君の謝罪、受けなかったんでしょ?
うちだって受けないから。
和田さん、被害届を出したいので、どうしたらいいかご教示お願いできますか?」
和田はうなずいた。
「事件のあった状況を記録し、処罰の希望の有無などを聞き取ります。
それを記載していく形になります。
あ、そうだ。事件の記録があります。
ショックかもしれませんが、防犯カメラの映像を見てもらえますか?
そうすると、5W1Hがスムーズに埋められると思います。」
そう言うと、和田さんはPCを立ち上げた。
「鈴木君…ちょっと辛いかもしれないが、頑張って見てくれないか?
実は君が被害に遭っているところが、防犯カメラに映っていたんだ。」
…え?…
母さんが、強い口調で言った。
「私が見ます。
拓海はいい。外に出てなさい。」
机の上に置いていたスマホから、父さんの声が響いた。
「俺も見るよー。」
…忘れてた。
そうだ、母さんと俺だけじゃなくて、今回、父さんがいるんだった。
俺は「ここにいる。」と言って、父さんのスマホを和田さんのPCの前に置いた。
「お願いします。」
母さんの言葉を受け、和田さんは再生ボタンを押した。
---
映し出された動画には…俺が映っていた。
情けない顔をしている。
さらに、行く手を阻む様子。
『不登校上がりでリア充アピールかよ。』
『ちょっと通してくれ。』
『先生と学級委員と、女子まで味方につけて、イキってんなぁ?』
『サッカーから逃げたくせに。』
『お前のせいでサッカー部、大変なことになってんだけど。』
『お前のせいで他の部員まで迷惑かけてんだぞ。何とかしろよ。』
俺が泣き始めて…
スコアを破られた。
そして、黒沢が2人まとめて成敗した様子が映っていた。
---
母は、鋭い目で彼らを見据え、低い声で言った。
「これを見てもなお、黒沢君を責めたと?」
和田は困ったように肩をすくめた。
「そうなんですよ…。
黒沢君、ものすごい反省と謝罪で、見ていて泣きそうになるぐらいです。
でもこちらの方は、ご納得されないんです。
それで関係者を呼んで、事情聴取を進めることになりました。」
母はゆっくりと息を吐き出しながら言った。
「よーーーーーっく、理解しました。」
すると、父さんの穏やかな声が響いた。
「これは、弁護士さんを通させてもらっていいですか?」
突然の発言に、場の空気が変わる。
父さんは、にこやかに続けた。
「いやー、本当にひどいですねーw。
思わず笑っちゃいましたぁ。
レベルの低い絡み方してて。
これだけ動画にはっきり映ってるのに、黒沢君に謝罪しろって?
大したことない怪我で?
当たり屋と同じ手口ですねー。
学校にも警察の方にもご迷惑をかけているし、
ここは弁護士さんを入れて整理しましょうか?
日本に連絡を取って、早急にそちらへ向かわせますから。
母さん、ちょっと被害届出すの待って。
弁護士さん同席で書いてくれる?
僕、ちょっと頭にきてるなぁ。
うちの息子をいじめ、その友達を罠にはめた子とその両親、
今から法律で徹底抗戦しますから。
覚悟しておいてくださいねー。」
俺は息を飲んだ。
父さんは笑いながら怒るタイプなのか…?
怒りを抑えるために、逆に笑ってしまうのか…?
近藤さんが口を開いた。
「ちょっと児童相談所にも入ってもらったほうがいいかもしれませんね…。
年代的に、判断が微妙なラインでもありますし…。」
和田さんもうなずいた。
「そうですね、少し連携して対応を検討しましょうか。」
すると、突然、池田の父が立ち上がり、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません!」
その様子に驚いた池田の母が、慌てて言った。
「ちょっと、何言ってるの!?」
止めようとする彼女を気にせず、池田の父は続けた。
「話し合いを重ねるうちに、映像を何度も見ました。
鈴木君本人の苦しい気持ちや、お母様の悩みや苦しみを聞き、
うちのバカが何てことをしたんだと、ようやく実感しました…。
本当に、申し訳ございません!
黒沢君にも、申し訳ございません!」
彼の声には、深い後悔が滲んでいた。
そしてさらに続けた。
「『うちの子に限って…』という気持ちと、
『ちょっとふざけてただけなのに、怪我をさせられた』という息子の言葉、
『学校じゃ話にならない』という妻の主張を、
鵜呑みにしてしまっていました。
ですが、映像を見て、本当は分かっていたはずなのに、
サッカー部の復帰を期待するという、愚かな考えが捨てきれず…。」
そこへ、校長先生が厳しい口調で割って入った。
「サッカー部についてですが、不祥事が続いています。
『次はない』という話を何度も共有していましたね。
反省を促すために、これまでサッカー以外の様々な形で指導を行ってきました。
ですが、今回の池田君と吉川君の行為は、あまりにも重大です。
1回目は、鈴木君を不登校に追い詰めるいじめ。
2件目は、また別の問題ですが…。
そして今回、サッカー部の部員による鈴木君への暴言と器物破損。
さらには、黒沢君への暴行。
黒沢君の怪我についても、おそらく君たちがやったんだろう?
映像に未遂のシーンが映っています。
顔や頭を狙って殴ろうとしていた場面が確認できる。
もし当たっていたら、当たり所が悪かったら…と考えると、
決して軽くは済まされない行為です。
この件を踏まえ、今学期をもって、サッカー部は廃部とします。
黒沢君の怪我については、学校で入っている保険を使用して治療します。
内田先生にお願いして、質の高い治療を受けられる病院へ、
早急にかかれるよう手配済みです。
学校としての指導は、これ以上は限界です。
今後は、警察との連携も視野に入れて対応を進めます。」
すると、池田と吉川は目を見開いた。
「廃部?そんな…」
「俺たちのせい…?」
やがて、2人は泣き始めた。
その様子をじっと見ていた有岡先生が、小さくつぶやいた。
「ほーんと、自分のことばっかりだな…。」
おそらく、無意識に漏れた言葉だったのだろう。
部屋の空気が一瞬、静寂に包まれる。
視線が一斉に有岡先生へ向かい、彼は姿勢を正した。
「…で、校長先生、サッカー部へその内容をいつ伝えますか?」
校長先生は静かに答えた。
「今日中に、一斉メールで伝えます。
『不祥事が発覚したため、以前の通達通り、廃部とする』という内容で送ります。
加えて、池田君と吉川君には、この後…
そして明日は終業式ですが、謹慎処分とします。
警察の方にも来ていただいて、
人をまた不登校に追いやろうとしたり、
人の大事なものを壊したり、
暴力事件まで起こした以上、停学でもおかしくない状況です。」
校長先生の最後の言葉が、場を完全に静めた。
続けて有岡先生が言った。
「池田と吉川は『黒沢逮捕』なんてふざけたことを言いふらして、
クラスや吹奏楽部の生徒たちを不安にさせていましたね。
でも、その本人たちが謹慎になり、黒沢と鈴木が登校して、
さらにサッカー部が廃部になれば、周囲の生徒は色々察するでしょうね。」
すると、吉川の母が声を荒げた。
「…そんな、そんなことになったら、うちの子が今度どんな目に遭うか、
考えられないんですか!?
サッカー部の子に恨まれて、いじめにでもあったら、
学校に行けなくなるじゃないですか!」
その言葉に、母さんは冷静に言い返した。
「それがうちの息子が味わった苦しみです。」
すると、父さんが画面越しに騒ぎ出した。
「そうだそうだ!うちの大事な拓海を散々傷つけておいて、
いざ自分の子となったら騒ぐなんて、みっともないぞ!
ただのブーメランだ、ブーメラン!」
…リモートで本当に良かった。
母さんは父さんのことを「優秀の部類」って言ってたけど…
これだと、正直アホにしか見えないし、
俺もアホの息子になっちゃうじゃん…。
落ち着いて「因果応報です。」って伝えてほしかった。
まあ、リモートだとこの雰囲気が伝わらないんだろうな…。
コロナ禍のリモート授業や、リモートでの運動会、学芸会なんかも
熱気や緊張感が伝わらなかったし。
…そういうことにしておこう。
すると、突然、吉川の父が床に両手をつき、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません!」
母さんは、冷ややかな目で見つめながら言った。
「何そのわざとらしいパフォーマンス。」
吉川の父は震える声で言った。
「私も、今回の件で家庭を顧みていなかったことを痛感しました。
息子と妻の話ばかりを聞き、相手の話を聞こうとしなかった。
こんな恥ずかしい勘違いをさらしてしまった…。
もっと言うと、サッカー部の不祥事があった時点で、
学校や家庭に意識を向けるべきでした…。
そちらの鈴木さんのお父さんのように、
リモートでいくらでも参加できたはずなのに…。」
すると、スマホのスピーカーから、父さんの間延びした声が聞こえた。
「そーだよねー。でも僕、海外なんだよねー。」
…俺は慌ててスマホを押さえた。
父さん、タイミング悪すぎる…。
吉川の父は続けた。
「そうですよね…。
うちは、同じ家に住んでいるのに、ほとんど会話もしていなかった…。
いくらでも時間もあったのにな…。」
と肩を落とし、深くため息をつく。
そして、まっすぐこちらを見て言った。
「黒沢君、鈴木君、そして鈴木君のお父さん、お母さん。
今回、うちの息子と妻が本当に申し訳ございません。
お詫びしてもしきれません。
先生方や警察の方にも、ご迷惑をおかけしました。
申し訳ございません。
被害届は、当然ながら取り下げます。
しかし、ただ反省や謝罪だけでは済まないことをしたと考えています。
そのため、遠くへ引っ越します。
なので、鈴木君、安心して学校生活を送ってください。」
吉川が叫ぶ。
「なんでだよ!」
吉川母も続けた。
「そうよ、なんでそんなことになるの!」
吉川父は鋭い声で言い放った。
「うるさい!まだわからないのか!
お前がいると怖くて学校に来られないって言われることが、どれだけ重いことか!」
「だからって、急に引っ越しだなんて…どこへ行くのよ?」
吉川母は困惑して声を荒げる。
「俺、やだよ!友達だってこっちにいるのに!」
吉川の顔は絶望に歪んでいた。
その瞬間、吉川の父は立ち上がり、吉川の頬を思い切り平手打ちした。
室内に乾いた音が響く。
「何するのよ!ちょっと、覚、大丈夫?」
吉川母が慌てて駆け寄る。
吉川父は冷たく言った。
「このままだと、次に不登校になるのはお前だ。
新しい環境で早いうちにやり直したほうがいい。
心を入れ替えろ。」
吉川も吉川母も、俯いたまま黙り込んだ。
…。
結局、自分のためじゃん。
俺のためって言ってるけど、本当はサッカー部廃部の恨みを買うことを恐れてるだけじゃないか。
報復されるのが怖いだけなのか?
…報復されりゃいいのに、とか思ってる自分がいる。
池田の父も口を開いた。
「うちも転校を視野に入れて考えたいと思います。
被害届なんて馬鹿な真似をしました。
申し訳ございません。取り下げさせてください。」
池田とその母も深々と頭を下げた。
和田さんが確認するように尋ねた。
「鈴木君、鈴木君のお父さん、お母さん、黒沢君、どうしたい?
処罰したいなら、被害届を出せば警察はそれなりに動くことはできる。」
俺は少し考えた後、口を開いた。
「反省もして、転校までするとなると…
俺のほうは、もういいかなって思ってます。」
母さんはじっと彼らを見ながら言った。
「今後、何があっても拓海に近寄らない、と約束してもらえるなら、
今回は被害届を出さずに済ませてもいいと思います。」
父さんは淡々と指示を出した。
「きっちり書面に残したいので、後で弁護士を向かわせます。
ご住所とお名前を教えてください。
とりあえず、ご両人、免許証をこちらに向けてもらえますか?
あと、連絡先の番号も表示してください。」
こういうところを押さえているから、母さんは父さんを尊敬しているんだろうな…と思った。
両方の父親はスマホのカメラに向かって、免許証の裏表と自分の番号を表示した。
父さんの方ではおそらくスクリーンショットを撮っているのだろう。
「ありがとうございます。」
スマホのスピーカーから父さんの落ち着いた声が響く。
和田さんが黒沢に視線を向けた。
「黒沢君は?」
「特にないでーす。
…あー!背中と首が痛えなー。」
そう言いながら池田をじっと見た。
池田は黒沢と目が合うと、すぐに目を逸らした。
「誰かさんがさー、いきなり髪の毛をつかんで後ろにグイッと引っ張るから、
実は首も痛くてさ。
しかもその後、背中をゴリッとやられて…。
サッカーって、見えないようにそういう攻撃も鍛えられるんだっけ?
まあ、そんなかっこ悪いプレーを普段の生活でやるなんて、
ただただ、かっこ悪いよな。」
あ、たまに見る黒沢の悪い顔だ。
「転校しても元気でな。
遊びに行くから、連絡しろよー。
池田、吉川。
今日のことはいつまでも語り継ごうぜ。
LINEやってるんだっけ?
誰かに聞けばわかるしな。」
黒沢はにっこり笑って手を振った。
めっちゃ怒ってるじゃん…。
笑いながら怒る人が、ここにも…。
すると、池田の父が口を開いた。
「校長先生、自分の立場で言えることではないと承知していますが…。
問題を起こした2人が転校することを考慮し、
サッカー部の廃部を取り消すことは検討できないでしょうか?
もしかしたら、それで鈴木君のほうに矛先が向かうことを防げるかもしれませんし…。」
…。
…え、また…?
終わらないの?
校長先生は静かに言った。
「池田君も吉川君も、そして他の部員にも何度も伝えていました。
『次はない』と。
そのため、サッカー以外の活動を通して指導を行い、
何とか良い方向へ持っていければと考えていました。
ですが…逆でした。
私たちの認識が甘かった。
君たちはそれを
『練習もできないし、変なことをやらされた』
と、不満の矛先を鈴木君へ向けた。
本来であれば、あの時、温情をかけずに、 廃部にしておくべきでした。
今になって、その判断が遅れたことを後悔しています。
だから、廃部は決定です。」
校長先生は深く息をつき、静かに続けた。
「校長として、この件について責任を感じています。
鈴木君、本当に申し訳ない。
お母さま、お父さまにも、ご迷惑をおかけしました。
サッカー部が廃部になることは、鈴木君が責められるべきことではありません。
何か問題が起こらないよう、厳重に注意を促します。
もし、再び問題が発生した場合は、
即座に警察と連携し、厳しい対応を取ります。
だから、安心して学校に来てほしい。」
そう言って、校長先生は俺と母さん、父さんに向かって深く頭を下げた。
母さんは静かに言った。
「わかりました。頭を上げてください。」
校長先生はゆっくりと姿勢を戻した。
そして池田の父に目を向け、冷静に言った。
「まだ、ご理解いただけていないようですね。」
池田の父は沈黙し、一息ついた後、言った。
「…本当に、そうですね。
鈴木君のためと言いながら、結果的には脅すような形になっていました。
申し訳ございません。」
母さんはゆっくりと息を吐きながら、低く言った。
「…なんかもう、ひどすぎるんだけど。」
そう言って、大きくため息をついた。