79.証拠、言い訳
有岡先生は鈴木と黒沢を、一時的に教室から離れたカウンセリングルームへ避難させることにした。
彼らはそれぞれ必死だった。そのことを、有岡先生が一番よく理解している。
黒沢……。
あいつは冷静沈着な奴だと思っていたが、意外と熱い一面もあるんだな。
それとも、成長してきたのだろうか。
ちょっと知能が高い奴は扱いを誤ると、変な方向に行ってしまうが、
黒沢なら、今の黒沢なら安心できる。
知識や技術を自分の欲望を満たすためではなく、問題解決のために使ったのだ。
校則にはないが、使い方次第ではアウトになることもある。
黒沢の母も強烈だった。
冷静さは、さすが黒沢を育てただけある。
多分、表面は冷静に見えても、息子が怪我を負わされたことに怒っているはずだ。
サッカー部の2人の母親と同じくらい怒っているだろう。
ここからは、先生の出番だ。
黒沢、鈴木、しっかり休んで待っていろ。
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生徒指導室には、サッカー部の池田と吉川、そしてそれぞれの母親と父親が来ていた。
二人とも会社員らしく、一人はグレーのスーツにネクタイ、もう一人は紺のスーツにネクタイを着ていた。
その場には校長先生、有岡先生、もう一人の担任、生活指導の先生がパイプ椅子に座り、
近藤さんと和田さんはテーブル付きの椅子に座っていた。
近藤さんが話し始めた。
「昨日、被害届を提出いただきまして、今日早速学校で調査を行いました。
その中で少し話が食い違っている部分がありましたので、改めてお話を伺いたく思います。
お忙しいところ恐縮ですが、ご協力のほどよろしくお願いいたします。」
「あのー、今日、黒沢君は学校に来ていますか?」
池田の父親と思われる人物が、顔つきからそう尋ねた。
有岡先生は答えた。
「はい、今朝聞き取りに応じまして、謝罪と反省の意を示しています。」
それを受けて、父親はさらに言った。
「では黒沢君にはそれなりの処分が下るのですね?
部活動の内容も見直されるのですね?
先生方、特に校長先生、今はサッカー部の顧問をされていますので、
公平な判断をお願いいたします。」
圧力をかけているのだろうか。
吉川の母親が尋ねた。
「吹奏楽部の顧問の先生は同席されないのですか?」
有岡先生は答えた。
「今回は必要ないと判断しております。
必要最低限の人数で話を進めたほうがよいかと思いまして。」
すると、吉川の父親と思われる人物が言った。
「黒沢君は吹奏楽部員ですよね?
部活の道具をうちの子がうっかり壊しただけで、殴る蹴るとは、
顧問にも指導責任があるのではないですか。」
近藤さんが確認した。
「吉川君が楽譜をうっかり破ってしまったのですか?」
吉川は答えた。
「はい、ふざけていてうっかりでした。
それで黒沢君にお腹を蹴られました。」
有岡先生は心の中で呟いた。
「はい、嘘ー。」
近藤さんは続けた。
「その時、池田君が止めに入ったのですね?」
池田は答えた。
「はい、黒沢君がこれ以上暴れないように後ろから押さえようとしたら、
かかとで股間を蹴られました。」
近藤さんが確認した。
「暴れるのを止めようとした、ということですね?」
池田は「はい」と答えた。
有岡先生は再び心の中で呟いた。
「はい、嘘ー。」
いい加減にしてほしい。
こちらは色々と事情を把握した上で質問しているということを、
早く言いたい!
しかし、この学校の一教員として、
下手に口を滑らせれば学校と黒沢、鈴木の危機になる。
もう警察に任せるしかない。
池田の父親は言った。
「先生、先日妻もお話したと思いますが、暴力行為は犯罪です。
謝罪したからといって、被害生徒の心の傷が癒えるわけではありません!」
校長先生は
「分かってます…」
と言うと、
池田の父はキレ気味に詰め寄った。
「分かってない!だからこんな悠長に再度聞き取りとかやってるんでしょ。
どうせ加害者が優秀だからってかばっているんだろ?
えこひいきで犯罪が隠蔽されるって、どうなんですか?」
近藤さんが答えた。
「先ほど、黒沢君とそのお母様に聞き取りを行いまして、
率直に申し上げますと、真摯な謝罪と反省が見て取れました。
おそらく二度とこのような問題は起こさないと思いますので、
許してあげてはいかがでしょうか。
幸い、お怪我も一週間ほどで…」
そこで池田の父が激昂した。
「ふざけるな!息子が怪我をさせられておいて、許せだと!
警察は仕事をなめてるのか!
子どもの人権を軽く考えているなら、
こちらも出るとこに出る準備をしているぞ!」
それを聞いた有岡先生の頭で、何かがプツンと切れた。
「そんな人権とか言える立場じゃ…」
と言いかけたところで、近藤さんが手で制止した。
その後、近藤さんが和田さんにPCを取り出すよう促した。
和田さんは鞄からPCを取り出し、先ほどの動画を表示。
音量を大きめに設定し、
「こちらをご覧ください」
と言って再生した。
――――――――――――
『不登校上がりでリア充アピールかよ。』
『ちょっと通してくれ。』
『先生と学級委員と女子まで味方につけて、イキってんなぁ?』
『サッカーから逃げたくせに。』
『お前のせいでサッカー部、大変なことになってんだけど。』
『お前のせいで他の部員まで面倒くらってんだぞ。何とかしろよ。』
――――――――――――
ここまで再生したところで、池田と吉川は声にならない声を漏らし始めた。
「ち、違うんだ、これ…」
「この前にもやりとりあってさ、ふざけてて…」
和田さんは一時停止を押し、冷たい口調で言った。
「一回、最後まで見てもらえますか?動画は短いです。
見終わったら、いろいろ聞きたいことがあります。
それからお父さんお母さん、ご自分の息子さんかどうか、
ご確認もお願いします。」
そう言って、もう一度最初から再生した。
池田、吉川、その両親ともに顔色が変わっていった。
動画の「全員、生活指導室!」のところでいったん停止した。
和田さんは笑顔で言った。
「さて、どこから聞いていきましょうか?」
「なんですか、これは…」
池田の母が震える声で尋ねた。
和田さんは答えた。
「防犯カメラの映像です。」
有岡先生は心の中で思った。
「はい、嘘ー。でもOK。」
吉川の父は強い口調で責め立てた。
「嘘をつくな!これは盗撮だろう!
あるいは、AIを使ったフェイク動画だ!」
有岡先生は心の中で思った。
「見苦しいなあ。」
池田が聞いた。
「これは黒沢が撮ったんじゃないですか?」
和田さんはすかさず反応し、
「おっと、心当たりありかな?」と言うと、
吉川の父がすかさず続けた。
「やっぱり盗撮じゃないか!学校にこんな機械を持ち込むなんて。
盗撮は犯罪ですよ。それに、こっそりカメラを仕込むなんて、
もしこれが更衣室やトイレだったら大変なことになる!
女子が被害に遭う前に、この黒沢を何とかするのが先決だ!」
有岡先生は心の中で再び呟いた。
「見苦しい。すさまじく見苦しい。お前が言うな。」
近藤さんが言った。
「動画の提供者は黒沢君ではないことだけはお伝えしておきます。
提供者の情報は安全確保のため、お答えできません。
お父様がおっしゃるように、フェイクかどうかの鑑定をご希望なら、
正式に捜査いたしますが、これ以上進めますか?」
誰も答えなかった。
有岡先生は心の中で言った。
「謝るなら今だぞ。」
和田さんがやんわりと尋ねた。
「もう一度質問しますね。
この二人は池田君、吉川君、君たちですか?」
有岡先生は再び心の中で思った。
「謝るなら今だぞ。」
吉川が言い訳を始めた。
「これ、前の部分を切り取られているみたいで…
このやり取りの前に、鈴木がモテるっていう話とかもあって…」
すると和田さんは冷静に返した。
「黒沢君の言い分では、スコアを取りに鈴木君はロッカールームへ行き、
それを追うように池田君と吉川君も行った。
前に鈴木君を不登校に追い込んだのが君たちサッカー部のメンバーだから、心配だったと聞いている。何か違う点はある?」
池田が強く答えた。
「僕たちは違います!」
和田さんが尋ねた。
「何が、どこが違うんですか?」
すると横から池田の父親が声を荒げた。
「息子は被害者ですよ!どうしてそんな聞き方をするんですか!」
和田さんは冷静に答えた。
「両方の言い分を十分に聞き取り、調査するのも警察の仕事です。
少なくとも、今加害者扱いされている黒沢君の言い分と、
被害者の池田君と吉川君の言い分のどこが違うのか、なぜそうなのかを検証しなければなりません。」
池田は口を開いた。
「確かにサッカー部に所属していますが…。
鈴木は別格で、すぐにレギュラーになりました。
自分はそこまで上手くないので、特に鈴木と接点もありませんでしたし…。」
その時、有岡先生は一瞬席を外し、トイレへ向かった。
そして自分のスマホを取り出し、保存されている画像の中から
過去のサッカー部のグループLINEのスクリーンショットを探し始めた。
池田と吉川はそのグループに入っているのだろうか?
コメントを残しているのだろうか?
片っ端から探したが、
この二人がコメントしている形跡は見当たらなかった。
なぜか少しほっとした。
そのまま生活指導室へ戻ってきた。
和田さんは話し始めた。
「この映像から警察の見立てとしては、
まず池田君と吉川君が鈴木君に執拗に絡んでいますね。
その後、鈴木君が泣き出したのをからかっている。
これだけでも十分にいじめと言えるでしょう。」
そう言って、動画を再生し、
吉川が鈴木からスコアを奪い取り破る瞬間で一時停止した。
「これはもう犯罪です。」
そう告げると、吉川の表情が変わった。
和田さんは動画を再び再生し始めた。
「そして、二人とも倒れましたね。
黒沢君は、泣いている鈴木君と、スコアを破った様子を見て、
思わず蹴ったと言っています。
その後、吉川君は黒沢君の衿を掴んで殴ろうとしていますね。
黒沢君はそれを避けるために、思わず足が出たようです。
さらに後ろから池田君が抑えようとしたと言っています。
この時、黒沢君に股間を蹴られたと言っていましたが、
実際は髪の毛を掴んでいたんですよね。」
和田さんは池田の顔を確認するように見た。
池田は黙って、和田さんを睨み返した。
「だって、止めないといけなかったんですから。」
池田がそう言うと、和田さんは続けた。
「池田君はこの時、黒沢君の肩あたりを殴っていますね。」
池田は否定した。
「やっていません。証拠はありますか?」
和田さんは答えた。
「その瞬間の映像はありません。
ですが、その後の話し合いの際、黒沢君は痛みで普通の姿勢に戻るのが辛かったと言っています。」
それを聞いて、池田の母親が言った。
「それは言いがかりではないでしょうか?」
和田さんは冷静に返した。
「まあ、そうかもしれませんね。」
そして動画を再生し続けた。
近藤さんが話に入った。
「殴りかかった事実から、正当防衛になる可能性もあります。
また、池田君が髪を引っ張る行為もあります。
お互いに正当防衛の可能性があり、いわゆる喧嘩両成敗ということでいかがでしょうか?」
「待ってください!
うちの子は殴ろうとしたけど、殴ってはいないんです。
それに蹴りをくらって怪我をしたんです。
それに対して責任はないんですか?」
と吉川の父親が尋ねた。
近藤さんは言った。
「あ、そういえば、もう一人のことをお忘れではありませんか?
池田君と吉川君が執拗に絡んだ鈴木君のことです。
彼は被害者ですよ。」
吉川の父親が反論した。
「今は関係ないでしょ!」
しかし近藤さんは強めの口調で返した。
「ありますよ。もし彼がいじめの被害届を我々に提出したら、受理し、
あなた方に事情聴取する必要があります。
少なくともこの動画は、立証する力を持っています。」
「はあ?」
と吉川の父親が言うと、和田さんが応じた。
「先に鈴木君から話を聞きました。
彼は『黒沢は悪くない、自分を助けてくれた』と主張しています。
これは、実質的に鈴木君が池田君と吉川君にいじめられていると
我々に訴えているととらえています。」
有岡先生は心の中で呟いた。
「やるじゃん警察。行け!もっと踏み込め!」
和田さんは続けた。
「だとすると、まずは黒沢君に謝罪を求める前に、
鈴木君に執拗に絡み、大事な譜面を破ったことについて謝罪したらどうでしょうか?
黒沢君のことはその後で構いません。
順番に進めましょう。」
すると池田と吉川、そして両親は黙り込んだ。
近藤さんが校長先生に尋ねた。
「校長先生、鈴木君とその親御さんとは連絡が取れますか?」
校長先生は有岡先生に連絡を取るよう指示した。
その動きを見て、吉川の母親が慌てて言った。
「待ってください。どうして鈴木君やその親御さんまで巻き込むんですか?
今は息子が黒沢君から受けた暴力の話ですよ。」
和田さんは冷静に答えた。
「原因解明のためです。」
吉川の母親はため息交じりに言った。
「そんなに問題を複雑にしなくても…。
単に黒沢君に謝罪してもらって、反省していれば…。」
和田さんは厳しい口調で言い返した。
「問題を複雑にしたのは、吉川さん、池田さん、あなた方の方ではありませんか?
黒沢君は真摯に反省し、謝罪しました。
今日も反省を深めていましたよ。
とんでもないことをして、いろんな人に迷惑をかけたから、
もしかしたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれないと。
それなのに、君たちはクラスで『黒沢逮捕』と騒ぎ、
学年中をパニックに陥れていたそうですね。
本来なら事情聴取と注意で済む話を、
証拠があるのに言い訳し、反抗して…話になりません!」
優しい人のブチ切れは、隣の強面よりも怖い。
和田さんはそのまま続けた。
「先生の指導記録も読みましたよ。えーと、
『今回、黒沢くんが起こした暴力はいじめですよね?
黒沢くんが関わっている部活には何の処分もないんですか?』
『不公平じゃありませんか!不公平ですよね!』
『これは1人の生徒の暴力行為ですよ。
謝罪したからって、被害生徒の心には傷がつくんです!
この責任はどう取るつもりですか?』
『活動停止が当然ですよね!というか、廃部じゃないんですか?
昨今、部活動で不祥事があれば、停止になるのに!』
『昔と違って暴力は犯罪行為です。
学校で納得できる処分ができないのであれば、
私は警察に相談に行きます!』
『この暴力行為があっても出場させるなら、公にします!』
そんな1人だけ処分して、活動だけはのうのうとさせようってことですか?
『被害者の未来を奪うようなことをするなんて、絶対許さないから。』
『被害に遭った方は、絶対にずっと覚えているから。』
…で、その上調子に乗って、
『それは、サッカー部の復活も検討してもらえるということでしょうか?』
と交渉材料にし、できないとわかったら
『加害生徒をかばう学校として警察に言いますから!』と…。
警察なめんなよ!
加害者を取り締まるために毎日命張ってんだよ!
善良な市民の平和を守るためにな!
てめえらの交渉の材料にしてんじゃねえ!
これだけネタが上がってるってのに、まだ認めねえなら、
こっちだって捜査員導入して、やれるところまでやってやるから、
覚悟しておけ!
中学生だからって、学校のいじめだからって手抜かねえからな!
いじめなんて軽い言葉ですますな!
もうお前らのやったことは立派な犯罪だ!」
その場にいた全員が凍りついた。
強面の近藤さんも。
校長先生は有岡先生に再度指示し、鈴木のお母さんに来てもらうように
家に電話してもらうことにした。
有岡先生は鈴木の母に電話をかけ、
至急学校に来てほしいことを伝えた。
まずはカウンセリングルームに来るように、と言った。
鈴木の母は、15分ほどで行けるとのことだった。
それを校長先生につたえ、カウンセリングルームで待つことにした。