71.眠気と緊張の狭間
授業中のほとんどをぼーっとしているか、うとうととしてしまい、
先生が黒板に書いたものをノートに書きとるだけで精一杯だった。
眠気を飛ばすため、緊張感があればいいと思って
鉛筆の芯のほうを自分に向けて持った。
もし眠気で頭が下がったら、鉛筆の芯がおでこを刺すことになる。
そんな痛さを想像しただけで眠気は飛ぶ…はずだった。
「鈴木、先生の授業はそんなにつまらないか?」
先生の顔が目の前にあり、思わず「うわー!」
と叫んで横によける。
頭が後ろに下がり、上を向いたまま寝てしまっていた。
本能で鉛筆が刺さる危険を本能で回避していたようだ。
あまりの眠気で思考回路もおかしくなっていた。
クラスでは、クスクスと笑い声が聞こえた。
これじゃ小学生の時から成長してない。
今日は体育の授業がなくて本当に助かった。
この時期の水泳は暑すぎて、プールの授業が中止になったりした。
頭だけ暑すぎて熱中症や、それに近い症状になった生徒が出たため、
役所の熱中症アラートが出た時は中止とすることになったようだ。
連休なんて、練習でほぼ学校だったし。
課題やる時間も体力もなかったから、提出できなかった。
5時間目の授業が終わり、帰ろうとすると、
久しぶりにいつもの黒沢、バスケ部の高坂、バレー部のやつと合流した。
学校の電気設備点検と職員会議のため、
全校生徒が部活中止で完全下校とのことだった。
バレー部のやつが
「『吹部今日やつれてる』、って色んな先生話してたよ。」
と言った。
黒沢は
「そうだな。3日続けて朝から晩まで神経すり減らして体力消耗したわ。」
と言うと、
高坂:「かわいい子ばっかりの吹部で朝から晩まで教室にいられるんだろ?
天国じゃん。」
黒沢:「マジでそれどころじゃないんだって!
全員緊張感ではりつめて朝からずっとだぞ。」
高坂:「あ~、俺、も一緒に緊張したい!」
黒沢:「内田先生だな。」
高坂:「そうじゃないんだよ~。吹部女(子)…」
黒沢:(被せ気味で)「そうなんだって。バスケ部辞めるつもりで吹部見学に来るか?
今なら殺意と圧力を無茶振りを味わえるキャンペーン中だから。」
高坂:「何言ってんの?」
黒沢:「何言ってんの?」
バレー部のやつ:「まあまあ、いったんストップしよう、な?てか、鈴木もそんな感じなの?」
俺:「うん、あまりにしんどくて、今日授業中ほとんど意識ない。」
バレー部のやつ:「マジで!何が起こってるんだよ?吹部だろ?」
俺:「吹部って、外からただの文化部って見られてるんだな…。
俺も入部するまでそう思ってた。全然違ったわ。
神経消耗するし、疲れ果てるし、エアコンガンガンでも汗かくし、
筋肉痛になるし、口切って血吐くし、食べなきゃ持たないし…。
楽器吹いてこんな事になるなんて思わなかった。」
黒沢は同意してくれているようで、
頭外れるぐらいの勢いで横でヘドバンしている。
高坂とバレー部のやつは「まじで?嘘だろ?」と驚いていた。
黒沢:「今日もこの後、内田先生のご命令で、
自宅で譜面暗譜とお手本演奏30回は聴いて、
3連休中にやった部活で映像取ってあるから、
それの反省と今後の方針とか木曜に出せるようにまとめておけって。
吹部は帰宅したら家で部活だよ。」
高坂:「まじか…。」
バレー部のやつ:「そういえば、吹部、連休中の練習で体調崩した人が何人かいるから、もしかしたらコロナのクラスター状態か?って噂になってるんだけど…。」
俺:「違う。それ1人は俺。練習で指揮振るっていうやつがあって、緊張で吐いた。」
高坂、バレー部のやつ:「マジで!それか?でも1人じゃないだろ?」
黒沢:「あー、うん。コンクール前って音楽面で色々ディスカッションするんだよ。
それで熱くなった先輩が、精神的に参っちゃったのかもしれないな。」
高坂、バレー部のやつ:「そんなことまでやってんの?だからか、吹部毎年強いっていうもんな、そういうことやってんのね。」
2人とも、妙に納得した顔をしていた。
バレー部のやつも、高坂も、運動部は7月の大会が終わったら、
3年は引退で、その後は2年が主体になるって言ってたな。
今度は俺らが天下だー♪と2人して腕組んでスキップしている。
モーセが海を割るように生徒がよけていく。
その後ろを俺と黒沢が歩いていく。
普段なら恥ずかしいと思うんだろうけど、体力と気持ちが落ちている今はありがたい。
道を通りやすくしてくれる動きのコミカルさ。
俺は疲れで、きっと、おかしくなっているんだな。
吹部はどうなるんだろう?
というか、のぞみ先輩、大丈夫かな?
途中でみんなと道が分かれて一人で帰る。
両親の離婚か…。
自分とは無関係だと思ってた。
あるいは、ずっと先の未来に結婚するんだろうか、
子供は何人産まれるだろうか、何人家族になるんだろうか、
程度のことは考えたことはあっても、
離婚することを考えたことはない。
まさかとは思うが、うちのお母さんとお父さん、実は俺に内緒で離婚してる?
ってことはないよな?
家について、鍵を開けて帰った。
内側から鍵をかけて、シャワーを浴びた後、スマホを取った。
久しぶりにslackを開く。
父さんへのメッセージ
「お母さんと離婚の話、したことある?」
slackの画面には「Suzuki_tが入力しています…」と表示されている。
父さん、見て、返信しようとしてくれてる。
30秒程で
「どうした!?なんだその質問は?
1度もないよ!母さんが話してるの?!」
と返信が来た。
あー…、完全に誤解されてる。
俺の表現不足だな、これは。
そのうち「ハドルミーティングに招待されています」という表示が出て
出るか無視かのボタンを押すようになっている。
出るボタンを押すと父さんの声が聞こえた。
久しぶり、とかそんな挨拶もなく、いきなり
「拓海!どうした!なんだ!」
と驚いた大きな声で聞いてきた。
俺は「いや…あるのかな?って何気なく思ったからさ…」
というのに被せてきて、父さんは
「何気なくって事はないだろう!
なんだ、母さんに何かあったのか?
何なんだ?俺はどうしたらいいんだよぉ…。」
と、パニック後に情けない声を出し始めた。
「ごめん、父さん。
母さんは全く関係ないんだ。
部活の先輩が、すっごく色々教えてくれる先輩が
両親の離婚で部活来れなくなってて…。
めっちゃお世話してくれてんのに、俺何もできなくて…。」
父さんは、気の抜けた声で、安心したー、と言ってから
父:「そうだったのか、それでの質問だったんだな?」
俺:「うん、ごめん、驚かせて。」
父:「その先輩は何年生だ?」
俺:「3年生。今年最後のコンクールなんだ。それに来年、高校受験とかもあって。
本当はそのタイミングで離婚して、いろんな手続きまとめてやる、
ってことになってたらしいんだけど、
なんかの理由で前倒しになった影響でどうなるかわからないって。
後は先生が何とかするって言ってたんだけど。」
父:「大人なんだから、9か月ぐらいの調整してもいいと思うんだが…。
ただ事情がわからないと何とも言えないな…。
例えば暴力とかあったら、そんなことは言ってられなくて、
一刻も早く逃げないといけないし、行政に頼んで緊急避難、
なんてこともあるかもしれない…。」
俺:「暴力?」
父:「家庭っていうのはブラックボックスなんだ。
うちだって、平和だと思ってるけど、
よそから見たらおかしいところあるかもしれないんだ。
うちが普通だと思い込む、人に押し付けることだけはしないようにな。」
俺:「うん。」
父:「やるだけのことをやって、どうしても自分の希望とは違う事になったとしても、
それは不幸ではなくて、新しい道、可能性に切り替わったと考えるようにしてほしい。
生きていく中で、そんなことはいくらでもある。」
俺:「そうなのかな?」
父:「考え方次第って言えば簡単なんだけどね。
本当はすごく傷ついていると思うから、迂闊に相手に言うような事ではないんだけど。
父さんも思い通りにはなってない。」
俺:「え?」
父:「海外に単身赴任することにすごく迷いがあった。
ただ、拓海や久実を小学校転校させてまで、
母さんに慣れない海外で子育てさせるってどうなんだろう?
でも、一緒にいられない、成長を見れない、って思ったら、
運動会とかいろんなイベントに父がいないのが当たり前になったら、
忘れられるんだろうな、必要な時にいないって思われたら…って。
嫌われるだけなら、まだ認識されてるからいいけど、
価値なし、ってなったら、何のために生きてるのかわからなくなるだろうな、って思ってた。」
俺:「え?意外にネガティブなんだね。」
父:「だから、母さんと拓海と久実が必要なんだよ。」
父の鼻をすする音が聞こえた。
俺:「ごめん、変な事聞いて、不安にさせたんだね。
ていうか、俺、父さんの事大事に思ってるよ。
こうやって面白いツール教えてくれたり、夜中の電話に出てくれたりするし。」
父:「拓海~!!俺、今すぐ帰りたい!拓海に会いたい!」
俺:「いや、仕事頑張れ、起こしてごめん。」
父:「おい!ちょっと冷たくないか!?父は家族に愛g…」
俺:「また、相談するわ、じゃ。」
そういって強制終了した。
父さんごめん。
俺が原因だったのだけど、不安にさせてしまった。
だけど、フォローできる元気もなく。
どうやら、そのまま父さんは母さんに連絡してしばらく話をしていたようだ。
slackでは父さんと母さんのアイコンに同じヘッドホンマークがついていた。
母さんも、ごめん。
いったん部屋で休憩のつもりがお昼寝になった。