64.明日もやるから
「あと何人?」と数えることもなく、ただひたすら先輩の指揮に合わせて、2ndで合奏を続ける。
長めの休符の時や、指揮が交代するタイミングで、すばる先輩や絵馬先輩から様々な指摘やアドバイスが飛んでくる。
「演奏しているうちに、だんだん肩が丸まってきてる。広げるようにしてみて。息が体に入りやすくなるから、音も出しやすくなるよ。」
「リップスラーをやる時、顎やその周りの筋肉も意識して使ってみて。唇への負担が減るから。」
「音量、もう少し出せるかな?無理だったら、右手で少しだけベルアップしてみて。本番のベルアップに差し障らない程度に、右手を少し前に出す感じで。」
両隣の先輩たちから、次々と指示が飛ぶ。
それを楽譜に書き込み、実際の合奏で試して、失敗して、また試して――繰り返しだ。
ようやく2年生の指揮練習が終わったのは、時計が19時近くを指した頃だった。
駒井先輩が録画を停止し、PCで何か処理していた。
そのまま帰りのミーティングが始まった。
山田先輩が出欠確認をしたあと、内田先生が話し始めた。
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「明日は本来休みだったが、練習を行う。3年生は準備をしておくように。
明日は長時間の練習ができる唯一の機会だ。
その代わり、火曜と水曜は部活を休みにする。
休みの間は、今日撮影した映像や音源の気になる部分を見返すこと。
お手本の合奏やプロの演奏を聴いたり、スコアを読み込んだり――
楽器を使わない練習を各自で行うように。」
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「はい」と部員たちが答えたが、少し動揺が走る。
明日休みって聞いてたから、今日ここまで頑張ったのに…。
今日の疲れが、明日までに回復するとは思えない…。
心の中が「げそー…」という感じになる。
先生は続けた。
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「もう、コンクールまでは3週間程度しかない。
本日昼頃、保護者の方には『明日の練習とお弁当の準備』について、連絡網で伝えてある。
弁当を忘れずに持参するように。
木曜からの練習は、暗譜ができていることが前提になる。
明日はそれに向けた練習だ。
楽器に触れない日でもできることはたくさんある。
暗譜、他パートの譜読み、音源の確認など、できる練習を各自実行するように。」
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部員たちは再び「はい」と返事をした。
その後、山田先輩の号令で「ありがとうございました」と挨拶し、部活は終了。
明日も合奏があるため、楽器と譜面台、譜面、チューナー、小物類だけを片付け、教室は合奏体形のままでOKとのこと。
ホルンのつば抜きをするため、全6本の管を外して楽器を逆さまにすると――
信じられないくらい、ドバッと出てきた。
「うげ…。」
合奏続きで、つば抜きのタイミングなかったもんな…。
それにしても、こんなに出る?
グリスを軽く塗り直すが、なじませる気力もない。
バルブオイルを差し、レバーを動かす。
表面とベル部分だけクロスでさっと拭いた。
正直、いつもよりかなり雑な手入れになってしまった。
「ホルン、ごめん。」
でも、明日もよろしく。
明日はちゃんとやるから。
つば抜きに使った雑巾をビニールのファスナーバッグに入れ、それをリュックへ。
「はぁ……帰るか。」
リュックを背負うと、後ろから黒沢と同じクラスの女子2人が合流してきた。
黒沢が言う。
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「たくみん、大丈夫か? ポジション変えられたり、すばる先輩にいろいろ言われて、ちょっとキレてたじゃん?
後ろから見てて、面白かったけど。」
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「ほんとだよー。いきなり1stとか無理だって…。」
とぼやく。
黒沢は笑いながら言った。
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「まあ、そうだよな。
でもさ、合奏が進むにつれて、俺もだけど、たくみんも音出るようになってたよ。
後ろにいるからよく聴こえるんだよな。ホルンのベル、後ろ向いてるし。」
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「え?」
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「気のせいかもしれないけど、すばる先輩の影響、あるよな?」
…。
ほぼ、そうです。
黙ってうなずいた。
女子2人がふとつぶやく。
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「高橋先輩、大丈夫かな?」
「ねー。すばる先輩、なんて言ったんだろう?」
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明日、のぞみ先輩来てくれるかな…。
コンクール、出るよね?
まさか、出ないなんてこと――ないよな?
自分の未熟さも不安だけど、先輩の様子も気がかりで、不安になる。
途中で帰り道が分かれて、一人になった。
今日の練習で、たくさんのことが分かった。
できないことが山のようにある。
分かってないことも、まだまだある。
それは音楽だけじゃなく、人間的な部分でも足りてないと痛感した。
色んな先輩が引っ張ってくれた。
同期と話すのも楽しかった。
もちろん、それだけじゃダメなんだけど――
今日、少しだけ、自分に足りなかったものを得られた気がする。
お昼休みに男子同士でわちゃわちゃして、楽しいって感じたり。
ものすごく体力は削られたけど。
自宅に帰ってシャワーを浴び、ご飯を食べて、目覚ましをセットして。
明日も朝から夜まで練習――
そのまま、眠りについた。