63.つなぐ想いと責任
絵馬先輩の、いつもの笑顔は全くなく、緊張が伝わってくる。
「たくみん、私2年生で先輩なんだけど、2年もホルンやってるけど…、1stはさすがに自信ない。自分のポジションのことしか考えてなかった。私、今年は予選の先に行きたい。いろんな状況に備えなきゃいけないかもしれないから、今から、っていうか今更かもしれないけど、ホルンの他のポジションもやってみたりするから。なんなら他のパートの音も出すかもしれない。」
「え?」
「あ、勝手に出すってことじゃなくてね。例えば、一部の部員が体調不良とかでコンクール当日に出られない、ってこともあるかもしれないじゃない?そういう時にカバーできるように、全パートをホルンで吹けるようにしておくことも必要なのかな?って思ったんだ。もちろん音域的に無理なところはやらないとか、オクターブ下げてもバランスが取れるかとか、コンマスや先生と相談になるけど。きっと本番当日までそういうことが求められると思う。みんなでコンクール目指すって、そういうことも必要だと思うんだ。」
「あー…。確かにそうだと思います。」
のぞみ先輩を強く叱ったというすばる先輩の意図が、今の絵馬先輩の話でようやく理解できたかもしれない。
理解はできても、演奏できるかって言ったら…正直、自分のポジションでさえ危なっかしい。
「よし。たくみん、やろう。」
絵馬先輩の声掛けに、こそこそ声で「はい」と返事をした。
指揮者が棒を上げ、それに合わせて楽器を構える。
指揮棒の動きと指揮者のブレスに合わせて息を吸い、音を出す。
左から聞こえる絵馬先輩の1stの音は、俺がわかる範囲だが、全く間違いがない。
と、思う。
すばる先輩とは違うけど、さっきの指揮のように、出す音、量、タイミングなどが、とてもつかみやすい。
元々1stだったのだろうか?それともずっとのぞみ先輩の横で演奏していたから、できたのだろうか?だとしたら、俺がのぞみ先輩と絵馬先輩の間に入ったことで、合図とか空気とか読めない状態で大変なストレスになっていたんじゃないだろうか?
それとも、さっきの指揮をやったことによる影響だろうか?
俺は指揮台に立っただけで、くらくらして吐いてしまった。
絵馬先輩のように、指揮であんな風に煽られると、もっと出していいんだな、って気持ちになった。
音、外すけど…。
ちょっと長めの10小節休みで楽器をおろした時、ふと、そんな雑念が湧いたりする。
合奏に慣れてきたのではないか、俺。
手を抜いているわけではないが、午前中の体調不良を免罪符にできたところから、気持ちが少し楽であることも事実だった。
演奏が終わって、指揮者が礼をして、内田先生が「次」と言った。
その間に左にいるすばる先輩が、
「たくみ君、フォルテの時、音割れちゃうよね。」
と言った。
「音が割れる?」
「うん、ここ、とか。」
そう言って、すばる先輩が譜面のフォルテッシモの部分を指差した。
あー、ここ、何か口がブルブルするし、音がホルンらしくなくて、楽器が壊れてるのかもしれないって思ったところだった。
「アンブシャーを変えるといい。唇の真ん中の裏側が前に出すぎた時に鳴ってしまう音なんだ。ここに来たら、少し口の両端を後ろに引くようにすると、もしかしたらうまくいくかもしれない。」
「わかりました、気をつけます。」
俺は鉛筆で譜面のその部分に『口両端後ろ』『音注意』と書き込んだ。
壊れているのは俺の唇だった。
下手な奴ほど、楽器とか道具のせいにするよな。あれだ。
気持ちのゆるみが唇に出た。
出血とか言ってられない。
根性論とか精神論が古いとかも、どうでもいい。
やるんだ。
俺は音をもっと出したい。