62.1stデビューのプレッシャー
すばる先輩に促されて、1stの席に座った。
絵馬先輩が驚いている。
左にいるのはサックスの白川先輩。
「よっ!鈴木!1stデビューだな。」
こそこそ声と笑顔でそう言う白川先輩に、俺は
「すばる先輩まで無茶振りで…さっき血ぃ出したばっかりなのに…」
とぼやいた。
「まあ、何事も経験だからさ。
鈴木のベルの向き、今すばる先輩に向かってるじゃん?
鈴木の音、聴きたいんじゃねえの?」
と言われ、
「え!何てこと!」
と思わず声に出してしまった。
白川先輩は笑いをこらえている。
「鈴木さ、合奏中だけは心の口、閉じよう。
心の声漏らしすぎなんだよ。」
俺もこそこそ声になった。
「無茶が過ぎるんですって!
個人錬もなしでいきなり合奏でポジション替えって何!って話っすよ。」
「まあ、1stの隣でずっと聞いてただろ?やってみ。失敗していいからさ。
死ぬわけじゃなし。」
「いや、さっきからしくじった時、内田先生を見ると目が合うんです。
めっちゃ怖くて、あの視線がずっと刺さったら、またどこか違うところから出血します。
命の危険を感じます。」
「まあまあ、ホルンとサックス、割と仲良しなところあるからよろしく。」
「俺、合わせるとかのレベルじゃないんですよ。
入って1か月でいきなり3年に合わせるって無理です。」
「知ってる。それだとさ、3年になるまで1stできない、って言ってたら、
俺、鈴木と1stで隣になれないじゃん。」
「え?」
「他のパートの1年と合わせてみたいって気持ちもあるのよ。俺。」
「そう言われても…」
…力がないんだ…。
白川先輩の気持ちは嬉しい。
だけどな…。
「鈴木に1stができるとは思っていない。
俺が合奏で合わせたいだけだ。」
「…はい、頑張ります…。」
指揮台に上がっている先輩と内田先生がずっとこちらを見ていることに気づき、
あわてて正面を向く。
白川先輩と俺が落ち着いた様子を確認した指揮担当の先輩が、
正面を向き、礼をして指揮台に上がり、指揮棒を構える。
楽器を構える。
指揮のブレスと一緒にブレスを取る。
音を出す。
頭の小節は1stも2ndも同じ。
その時、気が付いたことと言えば…
いろんな楽器の1stの音が聞こえやすいかもしれない。
サックスもそうなんだけど、後ろのトランペットやトロンボーン、
前のオーボエ、ファゴット、フルート、クラリネットまで、
1stの音が聞こえる位置だったんだ、ということだった。
他の楽器の1stがどう演奏しているか、わかるかもしれない。
それと合わせて、自分のパートはどれくらい音を出すのか、
どんなニュアンスなのか、察知するってことか。
察知したとして…できるかと言われたら無理なんだが。
サックスとホルンの対旋律。
白川先輩の音を聞いて、同じように演奏…できない…。
分かっているのとできるのとでは開きがありすぎるんだ。
トランペットとトロンボーン1stの音が頭にガンガン当たってくる。
この位置ってほぼ真ん中だよな…。
指揮者がよく船田先輩と目を合わせている。
そしてホルンの対旋律のところではすかさず左手が動く。
入りやすい。
これでいいんだな、って安心する。
ただ、2ndの時の癖で音を出してたり、1stの音を出そうとしても、
音域が高くて出せなかったり…。
ほとんどできなかった。
内田先生の「次」という合図で絵馬先輩が立ち上がった。
次の指揮は絵馬先輩なんだ。
右にいるすばる先輩に
「じゃあ、次も1stやろう。」
と言われた。
またこそこそ声で
「え!そんな無理ですよ!俺の今の音、聴いてましたよね?
聴こえてましたよね?
あんなんでもう1回とか、他のパートに変な影響でるかもじゃないですか!」
「大丈夫、みんな必死でそれどころじゃないから。
それに、次はたくみ君の大切な先輩じゃないか。
同じホルンメンバーとして助けなきゃ。
僕は現役ではないから、コンクール当日はもういない。
今は実質、たくみ君一人。
ホルンの現役理解者がたくみ君しかいない。」
「えー…。」
「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ…。」
すばる先輩があのアニメのモノマネしながら言ってきた。
「そういうのやめてください。
逃げたいの知ってて言うって、どんだけ追い詰めてるんですか!」
「まあまあ、ほら。」
そう言ってすばる先輩が促した視線の先に、
緊張した様子の絵馬先輩が前に立っていた。
しまった!待たせている。
毎回このパターンだ。
絵馬先輩に会釈すると、絵馬先輩の口元が少し笑った。
絵馬先輩は前を向き礼をした後、指揮台に上がり、指揮棒を構えた。
合わせて楽器を構える。
絵馬先輩のブレスに合わせて息を吸い込む。
頭から音を出していく。
いつもの絵馬先輩とは違う表情だった。
さらっと何かを笑顔で交わしたり、突っ込んだりする人とは別人になっていた。
指揮者になっている。
いつもと違う先輩の顔に、緊張する。
そしてホルンとサックスの対旋律のところになると、
特に俺と白川先輩をガン見している。
口パクで「もっと!」と言って眉間にしわが寄っている。
指揮全部が、もはや対旋律中心になっている。
1stとか2ndとか関係なく、もう力の限り息を楽器に吹き込む。
絵馬先輩の癖なのか、思いやりなのか、指揮がほぼホルンかそれ以外になっていた。
そのせいか、格段にやりやすい。
こうも違うものか。
やりやすいからと言って、ホルンがうまくなるか、1stがこなせるかというと、
そういうわけではないんだが。
絵馬先輩の課題曲、自由曲の指揮が終わった。
さっき、のぞみ先輩のことを話した時、
言葉数が少なかったり、答えがなぜかあっさりしていたのは、
きっと指揮のことで頭がいっぱいだったからなのかもしれない。
絵馬先輩が戻ってきた。
すばる先輩が
「じゃあ、絵馬ちゃん、今度1stやってみよう。
たくみ君は2ndに戻ろう。」
と言うと、絵馬先輩はあっさり「はい」と答えて、すばる先輩から譜面を受け取った。
絵馬先輩が1st、俺が2nd、すばる先輩が3rdという配置になった。
久しぶりの2nd譜面…俺の譜面…。
「たくみん、よく頑張ったね。
次は私の番か!」
絵馬先輩が俺にそう言った。
「聴こえるんすか?すばる先輩の音じゃなくて?白川先輩の音じゃなくて?」
「指揮台ってまとめて全部聴こえるよ。
あのポジションは面白い。」
「まじすか…俺は緊張で吐きましたけど…」
絵馬先輩はふっと笑って楽器を膝に置き、正面を向いた。
俺も同じように前を向いた。
絵馬先輩は俺にだけ聞こえる声で、
「もっと息吸って、もっと音響かせて。
ホルンが…聴こえるけど消えてしまってたの。」
と言った。
あ…だからか、あんなに必死に指揮台から合図を出してくれたのは。
「私、もっと音出す。だからたくみんもお願い。」
「わかりました。やります。」
頑張ります、じゃない。
やるんだ。
努力じゃない、決定。
できない、じゃない。
やるんだ。
気持ちはある。
だから、それを楽器に吹き込むんだ。
下手だから、初心者だから、初めてまだ1か月程度だから…
そんなことを言っているうちに、きっと、あっという間に本番になる。
何とか、舞台で通用する音にする。
ついていく、合わせていく、ってことにとらわれすぎて、
音を出すって気持ちが縮んでいたんだ。