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拓海のホルン  作者: 鈴木貴
第3章 吹奏楽部員として
61/132

61.痛みと音の間で

休憩終了の10分後に音楽室に戻った。


すばる先輩が近くまで来た。

「たくみ君に伝達事項が3つあるんだ。」


「はい。」


「1つ目、のぞみさんが体調不良で早退したから、僕が1stをやるね。」


「え!」


「2つ目、さっきの録音は吹部のルームにあげてもらったから、後でタブレットで確認してくれる?」


「あ、はい。」


「3つ目は、口の中を広げて舌を上下に動かすと音域が広がるよ。」


「…えっと…。」


色々追いつかない…。


「詳しく説明するね。

1つ目、のぞみさんは多分ストレスで演奏できない状態になってしまった。

たくみ君は関係ない。3年間やってきたんだから、信じて待ってて。」


「はい…。」


「2つ目、さっきの音源を内田先生に渡した。

一応、内田先生が聴いてアップ済みだよ。

癖があるとか、音程が不安定だとか、間違っているとか、散々言われたけど、何もわからないよりはいいと言ってた。

この時期にプロに依頼するとスケジュールが押さえられないし、高いからね。」


「そういうことがあるんですね…。」


「うん、だから信じすぎないように。

楽譜や音を理解できたら、今度はたくみ君自身が読み取った音を出していってほしい。」


「はい。」


「3つ目、口の中を広げて舌を上下に動かすことで音域が広がるんだ。

多分、たくみ君が悩んでいるのは、出しやすい音と出せない音域の間で詰まっている感じがあるからだと思う。」


「その通りです。」


「口の中を広げると言っても、頬を膨らませるのはダメ。

筋肉や筋を痛めてしまうから。修復しても弱ってしまう。

のどの奥から顎、頬までを空気の通り道として使う感覚で、力を抜くと自然に広がるというか。」


そう言ってすばる先輩が口から顎、のどまでを前に出すように見せた。

俺は同じように顔を真似してみた。


「そう、その状態のまま、口の中で舌を上下に動かしてみて。」

すばる先輩が手のひらで舌の動きを示してくれた。

その動きに合わせて、口の中で舌を動かしてみる。


使ったことのない筋肉で、下あごが軽くだるくなる。


「高音の時は舌を高く上げて、低音の時は顎ごと舌も下げる。

これも合わせてやると唇の負担が格段に軽減される。

後で音階練習をやるから、意識してやってみると掴めてくると思う。

あ、アンブシャーは変えないようにね。」


「ありがとうございます。」


少し音を出してみる。

アンブシャーを崩さず、顎やのどを動かしてみる。


…どうしてもアンブシャーが変わってしまう。

崩さないようにするとマウスピースを押し付けるようになり、さっきより痛い気がする…。


「すばる先輩、あんまりよくわからないです…。」


「たくみ君…あー!」


すばる先輩が慌ててティッシュを出す。


「下唇切れてる!血が出てる!下の歯に唇が当たってたのかな?」


「空気を入れようとしたらアンブシャーが変わってしまって、ずれないようにしてもうまくいかなくて…。」


「ごめんね…教えるのって難しいね…。」


「いえ!そうじゃないです!飲み込み悪くてすみません!」


「違うよ。素直にやろうとしているのがすごく伝わるから、力加減も合わせて教えるべきだったんだ。」


謝るすばる先輩の後ろから、白川先輩が

「おー、鈴木、ようやく出血するまで練習したかー。

今度は痛みのないところで吹いてみ。うまくなるから。」

と言った。


「お前は…今どきそういうの良くないぞ。」

とすばる先輩が強めに言うと、


白川先輩は


「昭和スタイルってけなすだろ。

合理的でも論理的でもなく、ただの精神論、ていうか暴論。

根性で練習して血吐きながらやれって話だ。


俺は今、そういうことは言ってない。


無理があったから体が悲鳴を上げたんだ。

鈴木の唇の出血は悲鳴だ。

痛くないように、血が出ないように演奏しろ、力を抜け、ってことだ。

別のところに力を入れてまた痛みや出血が出たら、

他の筋肉や神経が動くようになるだろ。

多分いろんな筋や神経が働くようになって、うまくなるよ。」

と言ってニッと笑った。


俺は押さえていたティッシュを取った。

一部が傷に貼りついていて、それを取りながら

「そういうもんですか?」

と聞くと


「間違いない!」

と親指を立ててサインをしてきた。


切った唇を舌で触ると、少し血の味がした。


まさか吹奏楽部で血を見るとは思わなかった。


「たくみ君、家に口内炎の薬ある?」


「多分…あります。」


「薬局でシールタイプも売ってる。

あれだと夜貼って寝れば一晩でだいぶ良くなるよ。

あと、どうしても痛くなったら部活休んで耳鼻咽喉科に行ってね。

早い方がいい。」


「わかりました。ありがとうございます。」


山田先輩が前に立った。


「B♭dur、8拍。」


そう言ってチューニングB♭の音を出した。

低音から順に、すばる先輩の音を聞いて俺も音を出す。


唇が痛い。


色々吹き方を探ってみても痛い。


まともに合わないまま音が消えた。


俺はチューニングできていない。


そのまま音階練習に入っていく。


唇が痛い…。


顎や喉に空気をためたり、舌の高さを変えたりと言われたけど…。


痛い。


チューナーの針が左右に激しく振れて音が全く安定しないどころか、

違う音(Cの低い音からAの高い音のような表示)になったりしている。


もうダメすぎて笑えてくる。

笑わないけど…。


俺の音程に驚いたのか戸惑ったのか、絵馬先輩の視線に気づく。


首をすくめてしまった。


音がかすれる。


慌てて背筋と首を伸ばす。

痛いところに当たらないように顎の位置を変えてみる。


…。


音が出た。


本当はブレスは一瞬で取らなければならない。


でも今日はすばる先輩も絵馬先輩もいるし、ずるいと思うけど1拍使ってたっぷり吸い込んだ。


顎を引き、喉を開く感覚がわかる。


自然に音が出る。


「力を抜け」ってこういうことか。


舌の高さがどうこう言ってたな。


今は全く意識してないけど。


8拍の間に口の中で舌を上げてみる。


不思議と音程が上がる。


こんなに変わるものか?


使わない手はない。


チューナーを見て、音が高い時は舌を下げる。

低い時は舌を上げる。


これでこんなに変わるのか?


音階練習が終わると山田先輩が内田先生を呼びに行った。


そのまま休憩時間になった。


まだ痛い。


血が固まってきているのかもしれない。


口の中が切れているのは初めてだ。



その隙に。


「すばる先輩、今なんとなくわかったかもしれません。

できるかどうかは別なんですけど…。

今はチューナーを見ながらだから合わせられました。

でも、自分の耳だと、高い音が合っているのか低いのか、判断できないです。」


そう言うと、


「あー…そうだよね。

慣れるまでは舌の上げ下げで測ってみたら?

合わなかったら舌を上げてみて、ダメなら下げてみるとか。」


「…難しい…。」


「うん、いきなりできる人はいないよ。

僕もできないし。」


「チューナーがなかったら、俺、音を出すの怖いです…。」


「大丈夫、コンクールまではまだ1か月あるから。

できなくても何かしら方法はあるよ。」


「そういうものですか?」


「うん。今は基礎練と体力を鍛えておくこと!

合奏の体力っていうのかな。全身の力と集中力。

疲労をすばやく回復させる技とかね。

宮田さんの『食え、寝ろ』っていうのはあながち間違いじゃない。」


「相撲取りの生活じゃないですか。」


「たくみ君は面白い子だねえ。吹奏楽部だよ。」


「相撲部とは言ってないです。」


こんな軽快な人なんだ。

宮田先輩が本気でのぞみ先輩に詰めていたことってなんだろう。気になる。


右側の絵馬先輩に、


「のぞみ先輩、早退して1stはすばる先輩がやるって聞きましたけど…。」


と言うと、


「聞いてるよ、OKー。」


と軽く返された。


気にしているのは、俺だけなんだろうか。

それとも、気にしないように気遣ってくれてるのかな。


「明日、のぞみ先輩、来れますかね…?」


「うーん、先輩次第だしなあ。」


「なんか聞いてますか?」


「多分、情報共有レベルは、たくみ君と同じぐらい。」


「不安なんです。」


「そうだね。いくらフォローし合うと言っても、いきなりのぞみ先輩が抜けると、私も不安だし…。」


二人で考え込んだところへ、内田先生と山田先輩が入ってきた。


慌てて合奏の姿勢に戻る。


内田先生が話し始めた。


「引き続き、指揮練習!」


部員たちの「はい」という返事で始まった。


駒井先輩が録画ボタンを押し、PCで確認している。

腕で「丸」という合図を内田先生に送った。


2年の先輩が出てきて礼をし、指揮台に上がり構えた。


指揮の合図とともに息を吸う。


休憩前の疲労や苦労が嘘のように、音が出る。


怪我の功名って吹奏楽にもあるんだな…。


少し油断すると、また口の中が血の味がする。


ただ、さっきと違うのは、すばる先輩が1stを吹いているからか、響きが違って感じる。


のぞみ先輩の1st、すばる先輩の安定した2nd、そして安定の3rd絵馬先輩が、同じくらいの音量で鳴らしていたから響いていたのだ。


今は2ndが俺だけで、音も頼りなく不安定。

そのせいでホルンの勢いが衰えていることは、自分が一番よく分かっていて情けない。


8小節休みのところで楽器を下ろすと、すばる先輩がこそこそ声で、でも強めに、


「音、合ってるからもっと音量出して!」


と言ってきた。


「はい」と反射的に返事しながら戸惑った。


音を出す小節が近づいてきたので楽器を構える。


合っていると言われたなら信じて音を出してみよう。

自分を信じられていないけど、すばる先輩が言うならやってみよう。


ホルンの対旋律。

休憩前に何度か楽譜から目を離す練習をしていた箇所だ。


先輩に隠れるように細い音で吹いていた。

先輩二人がすごく出してくれているから。

邪魔になりたくない。


でも今日は、ここからちょっと音を出してみよう。

間違えるかもしれない。

まだ音量を出したことはないから、今やってみる。


指揮を見て顎を引き、思いっきり息を吸い込んで吹いた。

音量はいつもの倍以上出た。


指揮者は手のひらであおぐように合図する。


「まだ出せ、もっと出せ」と。


息が持たないのでなめらかにはできない。

けれどその指揮に応えるためだけに息を吸い、楽器に吹き込む。


対旋律が終わると、和音の長音だ。


さっきはのぞみ先輩が1st、すばる先輩が2ndを吹いているのを聞いて、

俺が音を出せたらこんなに響くんだ、と思った。

今度はそれを自分一人でやるのか。


音程はぐらつくかもしれない。


楽譜と指揮を見て、チューナーも確認する。


案の定、ぐらつくし低くなる。

舌で何とかしようとする前に次の音になってしまう。


いっぱいいっぱいのうちに、課題曲も自由曲も終わる。


気づくと唇の痛みはなくなっていた。

治ったのか麻痺したのかわからない。


ホルンのベルを鏡代わりにして下唇をめくると、

まだ赤々とした横線の塊があった。

かさぶたのようなものだろうか。

舌で触ると痛い。


演奏中は気づかなかった。


終わると痛い…。


二回目の指揮練習。


気づいたことがある。

慣れてきたこともあるかもしれないが。

ホルンとサックスで同じ対旋律を演奏するとき、サックスの音が聴こえる。

白川先輩とすばる先輩の音が同じように響いているから、そう感じるのかもしれない。


ただ、すばる先輩の音に合わせる実力はなく、

聴こえる音に必死でついていく感じだった。


右から絵馬先輩の音も聞こえてきて、なじんでいるつもりになる。


これ、勘違いかもしれない。


「吹いてます!鳴らしてます!混ざってます!」という顔やフリをしているけど、

俺の音量や色々な問題点だらけなのがよく分かる。


ずれるし、多分変な音を出しているので、たまに内田先生の視線が刺さる。


下唇より痛いし怖い。


分かってるんです…。

ビームはしまってほしいです。

なぜかわからないけど、内田先生の目からの光線が痛いんですって。

神経をえぐられますって。


そんな中でも少し感覚が変わってきたことに気づく。


のぞみ先輩がお休みで距離が近くなったから聞こえたのか?

俺の意識がようやくサックスに向くようになったから?

すばる先輩と白川先輩は仲良しだから音が響くのか?


1st担当が変わるだけで、印象が変わるんだな。


のぞみ先輩の時は緊張感でいっぱいだった。

音も慎重だった。


のぞみ先輩の音を壊したくないし邪魔もしたくない。


すばる先輩の場合は「もっと出せ」と言われているような気がする。

実際言葉でも言われたけど。


この音量についていかなければ、という別の緊張感が生まれる。


同時に右から聞こえるのは絵馬先輩の音。

たまにだけど、音だけは同学年って感じる瞬間がある。


イキりすぎだろうか…。


なんとなく、自分が音を出す必要性が実感としてつかめてきた。


このあと2回、3回と通していくと、なんとなくつかめてきたかもしれない。


指揮をポイントで見ると、目や手で合図してくれているのがわかる。


できないこともついていけてないところもあるけど。


4回目に入る準備をしているとき、すばる先輩が、


「たくみ君、5回目は1stやってみよう。」


と言った。


「はぁ!?」と聞き返すと、


「大丈夫。1stの譜面に読み方も指番号も書いてある。

ずっと聴いてたから、わかると思うよ。」


「いやいやいやいや!聴いてるのと自分が演奏するのは違いますし無理です!」


「大丈夫大丈夫。2ndを吹きながら1stを聴いてね。次は自分がやるんだって気持ちで。」


「そんな内田先生みたいな無茶振りしないでくださいよ。

できるわけないじゃないですか。」


「わかってるよ、そんなこと。

失敗してもいいところで経験しておくのを勧めてるんだ。」


「いや、失敗したら、さっき内田先生、目から光線出してましたよ。

俺、あれをくらい続けたら、多分もう地球にいられませんって。」


「何?侵略しに来た怪獣か。」


「突っ込まれたくてボケているんじゃなくて、本気で無理なんですって。

色んな意味で怖いっす!

2ndの音域にようやく慣れてきたところなんで。」


「人間は慣れで退化しちゃうから、程よく変化をつけていこう。」


「いや、コンクールの練習ですよね?

まずは2ndに集中したいっすよ。」


「まあ、これも練習だし理解のためだから、やってみよう。うん。

じゃあ、やろうか。」


すばる先輩と話している間に、次の指揮者が指揮台に立った。


…1stなんて音が出せないって。

俺の今の音域で和音の部分なんて、出せるわけないじゃん!


それに白川先輩とすばる先輩だから、きれいに聞こえる対旋律なのに、俺が1stになったら、いろいろ問題だってことぐらいわかる。


すばる先輩の音を聴きながら合わせる、というスタンスから、

このあと自分がこれを吹くのか?無理なんだけど、という戸惑いで演奏。


聴いているうちに、吹いているうちに、あっという間に課題曲も自由曲も終わってしまった。


すばる先輩は楽器と譜面を持って立ち上がり、にこやかに、


「はい、たくみ君、交代。」


と言って、立つよう促した。


嫌だよ…。

でも、こんな圧が強い言い方されると…。


仕方なく緊張しながら1stの席に着いた。



お礼が遅くなりましたが、ブックマークしてくれた方、ありがとうございます。

1人増えており、喜んでおります。


モデルはすべての吹奏楽部員です。

たくみんは、小説の都合上、巻きで成長させています。

最初からこんなに音出せたり、譜面読めたり、コミュ力あったら、天才吹奏楽部員です。

周りに1か月で無茶振りに対応できる初心者部員がいたら、その人はきっと神です。

そう言って気づかせてあげてください。

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