表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
拓海のホルン  作者: 鈴木貴
第3章 吹奏楽部員として
58/132

57.譜面の中で迷子になって

コンマスの船田先輩が、


「ちょっと先に内田先生に話してくる。それまで、りなちゃん、お願い」


と言って出て行った。


山田先輩が指揮台に上がる。


改めて、すばる先輩と山田先輩を見比べて、「よく似てるなあ」と思った。


「チューニング後、4拍でB♭ durやります。クラリネット2nd、チューニングB♭の音、お願いします」


と言うと、船田先輩の隣のクラリネットの先輩が立ち上がり、音を出した。

その音に合わせて、チューバ、ユーフォ、バスクラ、バリトンサックスと低音から中高音へ順に音が重なり、しばらくして止まった。


山田先輩が指揮を振り始め、スネアの4つのカウントのあと、音が出てくる。


隣から太く響く音がして、俺は一瞬止まった。

すばる先輩の音だ。


同じホルンなのに、まるで違う音が聴こえた。


いつも聴こえる、のぞみ先輩の繊細に伸びる音とはまた違って、

何というか…支えられてる、包まれてる、そんな気持ちになる音だった。


ホルンって、こんな音も出せるんだ……。


音階練習が終わっただけで、今日一日の勉強はもう終えたような疲労感。

でも、本番はここからだ。


内田先生と一緒に船田先輩が戻ってくる。


気のせいか、船田先輩の目の開きが半分になってる……何があったんだろ?


内田先生が指揮台に上がらず、そのまま話し始めた。


「おのれら、指揮練をアンサンブルの合奏と勘違いしてないか?」


……うわ、めっちゃ怒ってるじゃん。


「指揮に合わせて合奏することが目的だ。

指揮を見る。同時にコンマスも見る。打楽器が主体ではない。

指揮だ! 指揮!

指揮が下手でも、しくじっても、合わせにいけ。

これは、意思疎通の練習でもある。


午前中は、1年がいきなり初めてだったんだから、うまくいかなくて当たり前。

だからといって、指揮者を無視してコンマスと打楽器が仕切るのは違う。


音楽的に前に出るのと、リードするのとは違う。

誰かに委ねるのではない。

全体が、自分の意思で合わせて演奏すること。

そのうえで限界があるなら、フォローが必要なら、そのとき改めて考える。


オーボエは2人でやること。

強弱をつけるには人数が必要だ。

ソロでもいいが、この人数と実力では、弱い。


ホルンは今日は仕方ないとして……

山田、すばるの演奏から吸収するように。


コンクールの演奏は、指揮に合わせるのが基本。そこは絶対だ。

演奏におけるすべての責任は、指揮者である私が取る。

演奏が悪ければ、それはすべて私の責任だ。


コンクールまでに、自分で表現したい音、音楽があるなら、

合奏中にどんどん主張しろ。

良ければ片っ端から採用する。


もっと、譜面で、音符で、遊ぶんだ!」


「はい!」と部員の声。


ホルンは、何かOKだったんだな。

オーボエパートは……目がくたっとしてる。

その中で、1年生は居心地悪そうだ。


色々、痛いほど分かる。俺もそうだから。


内田先生が「2年、前へ集合」と言い、2年生たちが前に集まってくじを引き、ホワイトボードに名前が書かれていく。


その間、俺はすばる先輩に聞いた。


「譜面で遊べって、どういうことですか?」


「それができたら苦労しないんだけどな……。譜面が演奏できて、かつ……」


「かつ?」


「このメロディに込めたい思いを乗せる、ってことかな?」


「俺、正直それどころじゃないですけど……」


「うん、わかってる。今は、譜面をさらっていこう」


「はい……」


そういえば、前に合奏で白川先輩が演奏してて、

内田先生、それに合わせろって言ってたな。そういうことか。


譜面の音を出すだけで四苦八苦、音色も雑だし、音程もふらふら……。

「気持ちを乗せる」って、いつになったらできるんだろう。


気がつけば、2年生の順番が決まっていた。

ホワイトボードを見ながら、先輩の顔と名前、楽器を覚えていけるだろうか?


いや、譜面で精一杯で、それどころじゃないか。


2年の先輩って、絵馬先輩と北野先輩以外、名前も顔も楽器もわからない。


……こんなんで、大丈夫だろうか。



内田先生が話し始めた。


「2年からは、課題曲から自由曲まで通す。

1年生同様、2年生も初めてだと思うが、

昨年、上の学年が指揮していたのを見ていたはずだ。

スコアが配られた時点で、『この時期にこの練習が来る』と意識して、

全体をつかむ練習くらいはしていたはずだが……」


音楽室が静かになる。


2年生の1人目の先輩が礼をして、指揮台に立った。


まずは課題曲。


指揮棒を見る。楽器を構える。


俺は頭から4小節目までしか覚えていない。

まずは、そこだけでもできるようにしよう。


指揮者の呼吸と棒を見る。

息を吸って、音を出す。


たった数秒の間に、色んなところに目を動かさないといけない。

音も聴けと言われるし、自分の音も出さなきゃならない。

でも、今いちばん怖いのは「音を出すこと」だった。


やることが多すぎて、パンクしそうだ。

それに、自分がこの中で出す音が合ってるのか、わからない。

そもそも「何がわからないのか」が、わからない。


――ふと、左から聴こえてきた音。

それは2ndホルンの、つまり俺が担当している音。

すばる先輩が吹いてくれている。


ホルンが合奏に混ざると、こんなふうに響くんだ……。

音があるって、こんなに違うんだ。


左のすばる先輩の音を頼りに、楽譜を目で追いながら、

出せる音を出すようにした。


もしかしたら、何とかなるかもしれない……。


右も左もわからなかった俺が、

左にいるすばる先輩の音のおかげで、少しずつ自分の出すべき音が見えてきた。


ritのマークの上には、自分が書き込んだ「見る!」のメモ。

それを見て指揮に目をやる。

だんだんテンポがゆっくりになるのが分かる。


けど、その部分の楽譜はまったく頭に入っていなかった。

演奏はできなかった。

ただ、指揮を見て、すばる先輩の音を聴いていた。


「こうすればいい」っていうのは、分かった。


――でも、それが「できる」のは、いつになるんだろう?


指揮を見て、すばる先輩の音を聴いて、演奏に戻ろうとした瞬間、

どこを吹いてるのか分からなくなった。

譜面で迷子になる。


「今、みんなどこ吹いてるんだ……?」


完全に見失ったとき、左から


「ここだよ」


という声と、楽譜を指す指が見えた。


小さい声で「ありがとうございます」と言い、楽譜にかじりつく。


1、2、3、4……と数えながら小節を追うけど、

なかなか音を出すタイミングがつかめない。


分かってる。

けど、今度は「勇気」が出ない。


tempo Iにも「見る!」とメモしてある。


指揮を見たら、また見失う気がする……。

でも、見なかったらもっと危ない。


ritとtempo Iは絶対に覚えないとダメだ。身をもってわかった。


今度は、指揮と楽譜をちらちらと交互に見て、見失うことはなかった。

でも、テンポについていけなくて、練習で出せた音さえ、出せなかった。


まるで大縄跳びに入れないときみたいな感覚。


走り込むとか、ジャンプするとか、高さとか、リズムとか……

どこかで失敗しそうで、足がすくむ。


集中が切れて、そんなことを考えているうちに、最後の小節で音が鳴る。


課題曲、終了。


ほとんど吹いてない。

音、出してないのに、神経だけがやたら疲れた。


間を置かず、自由曲へ。


最初は楽器を構えない。


クラリネットの旋律から始まり、本来ならホルンとサックスが引き継ぐはずだったメロディを、今回はオーボエパートが担当することになった。


音楽室に入ってきた時には、へとへとに疲れていたオーボエの先輩たちが、いまはしゃんと胸を張って楽器を構えている。

昼休みに言い渡された無茶ぶり。たった1時間のパート練習で、いきなり合奏。


……正直、すごいと思った。


指揮が動き始める。


クラリネットの出だし2小節後、オーボエが入る。


大きく息を吸って、吹き始めた。


2人で吹いているのに、まるで1人が吹いているかのように聞こえる。

音が――きれいだった。


このメロディ、もともとオーボエのために書かれていたんじゃないか、と思うほど自然に響く。


ここからは見えないけれど、のぞみ先輩と白川先輩はどう思っているんだろう。

あの二人だって、ああやって揉めたあとの演奏を引き継がれるのは、きっと複雑な気持ちのはずだ。


そんなことをぼんやり考えていたせいで、自分が楽器を構えるタイミングを逃し、

どこを吹いているのかも分からなくなった。


ホルンパートが一斉に楽器をおろした。

――あ、8小節休みのところだな、と察知する。


そこからカウントして、先輩たちが構えるのに合わせて、自分も構えてみる。


一刻も早く合奏に溶け込めるように。

すばる先輩の音を頼りに、「この音を俺が出せるようになれば、ホルンが良くなる」って、ようやく少しだけつかめた気がした。


和音の練習では、パート練で順番に音を出してもらって、丁寧に見てもらえば理解できる。

でも合奏になると、いきなり「その音を一発で出す」ってことが、うまくできない。


周囲のせいにしても意味がないけど、

いろんな音に引っ張られて、自分の音に迷いが出て、わからなくなる。


「指使いは合ってるけど、これ、こんな音だったっけ……?」


音符とドイツ音名の一覧表を見て、チューナーで確認して、って作業を繰り返すけど、

それをやっていると、今度はリズムが分からなくなるという悪循環。


でも今日は、すばる先輩の音が導いてくれた。

「ああ、これが俺が出すべき音だったんだ」って、自覚できた。


……もちろん、それが「できるか」はまた別の話ではあるけど。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ