57.ズレてるって気づけない
オーボエ3年の先輩が、コンマス(コンサートマスター)の船田先輩と話し始めた。
声までは聞こえなかったが、船田先輩が「わかった、OK」と言っているのは分かった。
その先輩が席に戻ると、船田先輩が前に出て、手を上げて音を止め、話し始めた。
「今、オーボエパートから要望がありました。
2小節目から練習番号1までのメロディについて、1年生には難しかったため、今回はカットします。
そのパートを2年生と3年生で分担しますが、1人で吹くのか2人で吹くのか、この合奏の中で試してみたいとのことです。
余裕がある人は、あとでどちらが良かったか、個人的でも、コンマス宛てでもいいので、教えてください。
他に要望はありますか?」
すると、すばる先輩が手を挙げた。
「お願いします」と船田先輩が促すと、すばる先輩が話し始めた。
「ホルンパートでは、今2人が体調不良で抜けているため、僕が急遽メンバーとして入ります。
合奏が止まらないように、メロディ部分を吹いたり、1stと2ndで和音のサポートをしたりして対応します。
よろしくお願いします。」
……あぁ、のぞみ先輩……。
すばる先輩の隣にいるのぞみ先輩は、いつものように背筋を伸ばして前を向いている姿勢ではなく、ホルンの陰に隠れるように猫背で下を向いていた。
こういうとき、どう接すればいいのか分からない。
左隣の絵馬先輩に、こそこそ声で
「どうしたらいいんすか?」
と聞くと、笑顔であっさりと
「どうもしなくていいよ。たくみんは無理せず、できるところだけ吹いてごらん」
と返ってきた。
あまりに軽やかで、思わず「え゛?」と戸惑ってしまった。
のぞみ先輩は心配だけど、俺がフォローできるレベルじゃない。
色々考えた結果、すばる先輩が隣にいるんだなと、改めて思った。
後ろから、打楽器の先輩が質問した。
「ritardando(リタルダンド=だんだん遅く)とか、Tempo I(テンポ・プリモ=最初のテンポに戻る)とかのところで、毎回とまどう。
たぶん、そこが原因で合奏がグズグズになってる気がする。
内田先生の指揮にすら合わせられてないし、指揮者によってコンマスも探り探りで、今は誰もちゃんと見れてない。
……自分も見れてないけど。
聞こえてくる音に合わせるべきか、指揮に合わせるべきか、分からない。」
船田先輩は「うーん」と少し考えたあと、こう言った。
「優先順位としては、テンポの変わり目では全員が指揮者を見ること。
そして指揮者のテンポ通りに演奏すること。
でも、もし指揮者がテンパってるのが明らかな場合は、私を見て。
今は『指揮者がまだ慣れていない』という前提で、まずは合奏を進めることを優先しましょう。」
迷っているのが伝わるくらい、真剣に悩んでいる。
また打楽器の先輩が言った。
「めっちゃダメな案だとは思ってるんだけど……。
テンポの変わり目の直前に、次のテンポをメトロノームで取ってもいい?
イヤホンつけるから。
そうすれば、どれくらいゆっくりにするか、どのくらい上げるか、感覚がつかみやすくなるんだけど……」
すると船田先輩は「OK、合わせる」とあっさり受け入れた。
そして続けた。
「今の話を踏まえて、テンポの変わり目では、目は私を見て、耳は打楽器の音に合わせてください。
今回は特例です。当たり前ですが、コンクール本番ではそんなことはしません。」
テンポプリモ……リタルダンド……
どこ? どこなの?
俺はもう、楽譜を追うだけで精一杯なのに、
そこに「目で船田先輩、耳で打楽器」って、無理じゃない?
ごめん……もう何言ってるのか分からない。
ついていけない……。
その気配を察したのか、すばる先輩が言ってくれた。
「こういうところに『見る!』ってメモしておくといいよ。
できなくても、そのうち意識して目と耳が動くようになるから。」
そう言って、すべての記号がある場所を指で示してくれた。
俺はそこに「見る!」とメモした。
……本当は、全部、指揮を見なきゃいけないって、分かってる。
でも、指揮を見ないでズレたら――
俺、どんな罰を受けるんだろう……。
ていうか、ズレてる自覚がないまま演奏してる俺って……
逆にヤバくないか?
ああああああ…………
まだ合奏始まってないのに、もうしんどい。