56.笑い声のあとに、涙の痕
「そういえば……コンクールって日程、決まってるんですか?」
俺がそう聞くと、他の先輩が「えっ?」と目を丸くした。
さっき白川先輩が「1か月程度」って言ってたような気がしたから。
その後、
「あー……鈴木、途中入部だったな。
だいぶ前に吹部のルームに『コンクール日程について』って投稿したけど、入部前だから見られなかったのか」
と白川先輩が言った。
田中先輩が
「これだよ」
と言って、タブレット端末を見せてくれた。
俺が入部する前、6月に入ってすぐ、要点だけ連絡があったようだ。
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『石神井芸術劇場 バッハホール
8/7 本番開始 17:29
チケットはネット販売。
全席自由。
詳細後日連絡。』
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生徒手帳にメモしておいた。
駒井先輩が
「吹部の保護者向けに、先生がメールの連絡網作ってるから、
それ、うっちーに相談しておいたほうがいいかもしれないな」
と言ったので、「はい」と返事した。
突如、白川先輩が
「“いっせーのせっ!”ってあれ、やろうぜ」
と言ってきた。
あの、親指の数を当てて抜けていくゲーム。
白川先輩は
「一番遅く抜けた奴が、一番最初に抜けた奴の長所と短所を言う。どお?」
と言うと、そこにいた5人は即座に両手を出した。
ちょっとわくわくした。
小学校の時、意味もなくやって盛り上がった感覚。
まさか中学でやるとは思わなかった。
「いっせーの、5!」
あー!とか、やったー!とか、ただ夢中でやって笑顔になってしまう。
意味なんてないゲームだけど。
最初に抜けたのは、俺だった。
白川先輩が
「鈴木の長所かー。顔だろー」
というと、黒沢が
「負けた時ネタなくなりますよ」
と言った。
え? 俺のいいところ、ないのか?
ちょっとショック……黒沢……。
負けたのは田中先輩だった。
「鈴木君の長所はね、正直なところ。
短所は、正直だから心丸出しで生きてるぶん、傷つきやすいの。
心に鎧を着せるまではしなくていいけど、TPOに応じて何か着てもいいんじゃないかな、って思う時がある……」
俺が凍りついていると、駒井先輩が
「田中ストップ!文章だと刺さりすぎて痛いから、単語で良かったのに!
たくみん、えらいことになってんじゃん!
ていうか白川! こんな合コンゲームを新入部員にさせるな!」
と怒っていた。
俺は今日、厄日なんだろうか……。
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「何やってるんすかー!」
「楽しそー」
「俺もやるー」
「俺も俺も」
学年もパートもわからない男子部員が4人入ってきた。
「さっきからなんか楽しそうだなーって思って見てたんですよー」
「この人数で“いっせーのせ”は厳しいか? 他に何かゲームあるか?」
「ハンカチ落とし」
「今の時期、音楽室走ったらうっちーに締め上げられる」
「じゃあジェスチャーゲームは?」
「いいねえ、ちょっと待ってね」
白川先輩はノートをビリッと破って配った。
「それ半分に切ってさ、ジェスチャーで伝える対象を書いて。
動物でも芸人でも機械でもなんでもいい。
くじで当たった人が、ジェスチャーの紙を引いて、それを当てるってやつ。
今度は罰ゲームとかなしで、伝わるまでやる、ってだけ」
「面白そう」
「いいじゃん」
「やろやろ」
俺は紙をまず半分に切った。
1枚目に「にわとり」
2枚目に「にしきごい」「お笑い芸人」と書いた。
漢字、わからなかった。
4つ折りにして白川先輩のビニール袋に入れた。
みんなが書いている間に、白川先輩は1つだけ当たりがあるくじを作っていた。
みんなが書き終えてビニール袋に入れた後、くじを引いた。
当たりは黒沢だった。
黒沢がネタのほうのくじを引いて、中を開いた瞬間、天を仰いだ。
それだけで期待が高まる。
意を決して、黒沢は胸元からシャープペンを取り出し、後ろを向いて黒板に何か書いているようなしぐさを見せた。
そしてこちらを振り向き、眼鏡を上げ、シャープペンで黒板をゴンゴンと叩き、
再び眼鏡を上げながら、眉間にしわを寄せ、口パクをした。
後から混ざってきた部員が
「あー、わかった、理科の上山だろ!」
「そうか! だな!」
と言うと、黒沢は
「ピンポン! 『ここ!テストに出すから!入試にも出るぞ!
俺の授業に無駄はないから、全部聞いておけ!』……わかったよ、うるせーな、って、アレ」
笑える。大ウケだ。
またくじを戻して、引き直す。
後から混ざってきた部員が当たった。ネタのくじを引く。
開いた瞬間、「はあ?」と声を出し、顎に手を当ててちょっと考えた後、
腰を落として腕を後ろに伸ばし、手のひらをパタパタと動かし、首を前後にして歩き始めた。
……これは……俺が書いたやつだ。
「にわとり!」
と言うと、正解!と言われ、思わずガッツポーズ。
同じ1年のやつが
「ちょっと面白い。もう一回やって」
と言うので、そいつがまた“にわとり”を声付きでやった。
ただただ、おかしい。面白くて笑ってしまう。
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「なんだ、今度はブレーメンの音楽隊か?」
……いつの間にか、内田先生……。
「さっきまで死にそうになってた割に、回復が早いな、おのれら」
一部のメンバーが「はーい!」と返事をした。
確かに、さっきの空気とはまるで違う。
「指揮練は今日だけでは終わらない。時間的にな。
だから今日は2年の途中までになる見込み。
それ以降は来週の土日でやる。
3年は、せめてある程度できるようになってもらわないとな……」
「はーい!」
「……返事が軽いな……」
そう言って、内田先生はまた音楽室から出ていった。
残り20分程度。
俺は
「そろそろ片付けと歯磨きと、楽器準備と音出しします」
と言うと、「お、そんな時間か」とみんな一斉に動き出した。
「これ面白いな、またやろうぜ」
「おう」
そんな声が聞こえた。
意外に男子部員が多かった。
そして、意外と平和につながれる。
ちょっと、こういうつながりも面白くなってきた。
まるで移動教室の就寝準備の時間みたいだった。
自分が歯磨きから戻ると、のぞみ先輩とすばる先輩が戻ってきた。
「おかえりなさい」
と声をかけると、のぞみ先輩は
「ただいま」
と、無理に笑っていた。
目は赤く、まぶたが腫れている。
胸が痛んだ。
俺が遊んでいた間、のぞみ先輩は泣いていたんだ。
すばる先輩は音楽準備室から、古いホルンを持ってきた。
「今日は、のぞみさんとたくみ君の間に入って、久しぶりにホルンを吹かせてもらうね。
あと、パートも1stと2nd、両方必要に応じて吹くよ。
一通り譜面は読んだけど、ミスしたらごめんね」
「ありがとうございます!」
すばる先輩が持ってきたホルンは、部で一番古く、メンテナンスもされていないものだった。
「すばる先輩、俺のホルンと交換しませんか?」
と申し出ると、
「いや、たくみ君はコンクールに出るんだから、楽器は変えないほうがいい。
俺は大丈夫だよ。今、オイル差すし。ありがとう」
と微笑んだ。
慣れた手つきでバルブオイルを差し、グリスを塗り、少しオイルを垂らして管を動かしていく。
その手際はとても手早く、無駄がなかった。
音も、最初は少し手こずっていたものの、今のホルンメンバーの中では、
おそらくのぞみ先輩よりも大きく、よく響く音が出ていた。
何それ?
性格よくて、イケメンで、ホルンもうまいって――無敵じゃん!
「いやー、そんなに見られると緊張するよ〜」
と言われて、また思わず見入ってしまっていた自分に気づいた。
「あっ、すみません! 俺、やります! よろしくお願いします!」
と頭を下げると、すばる先輩も「よろしくね」とニコニコしていた。
そのあと、すばる先輩は楽器を椅子の上に置いて、駒井先輩のところへ向かった。
PCとカメラ、スマホの設定を一緒に確認している。
もともと2人でやっていた撮影作業を、すばる先輩が一人でやることになったらしく、
急ぎ、内容の引き継ぎをしているようだった。
「OK!」という駒井先輩の声が聞こえた。
少しして、オーボエの3人が戻ってきた。
その表情から、生気がすっかり消えているのがわかる。
これから、指揮練と合奏練習が始まる。