55.昼食の団らん、突き刺さる指導、笑顔
床に座って包みを広げる。
おにぎり3個と、小さいお弁当箱に卵焼き、ミートボール、たけのこの煮物。
保冷剤のせいで、ひんやりとしていた。
そこへ、チューバの3年・田中先輩が来た。
「一緒していいかな?」
俺と黒沢は、すぐに答える。
「どうぞ!」
「よろこんで!」
田中先輩が、指揮について聞いてきた。
「指揮、振ってみてどうだった?」
俺は、率直に答える。
「振れなかったです……。あんなに緊張するとは思わなかったし……。
みんなの真剣な目で見られたら、もう終了って感じでした。」
黒沢も続ける。
「俺は、かろうじて倒れなかっただけで、精神的にはたくみん同様です。
あの指揮台って、奏者にも観客にも責任があるよな。
前からも後ろからもプレッシャーが来て、もう体も心もぺらぺらになった感じです。
もう立ちたくない。」
田中先輩が、少し考えながら言った。
「僕は去年初めてで、今年2回目なんだけど……。
多分、うまくはできない。
最低ラインのリズム通りっていうことすら、あやしい。
だから僕の時は、船田さん、見てくれる?」
今のコンマス、クラリネット3年の船田先輩のほうへ、視線を向けた。
「指揮がポンコツでも、船田さんがいるから大丈夫。」
田中先輩は、そう繰り返す。
黒沢は、冗談交じりに言う。
「そんなこと言われたら、逆に両方見ちゃいますよ。
押すなよ~、押すなよ~っていうのと同じフリと勘違いしそうっす。」
田中先輩は、真面目な顔で返す。
「いや、マジのやつ。
『できない』ほうの自信があるわ。
1年生と同じぐらいのレベルだと思う。
チューバは楽しいけど、指揮は正直楽しくない。」
確かに……。
俺はそう思った。
そんな話をしていると、後ろのほうで、わいわいと話している声が聞こえた。
「うおー!宮田先輩、ありがとうございます!」
オーボエ3年の先輩が紙をかざし、宮田先輩にペコペコと頭を下げている。
宮田先輩は、ピースをしながら言った。
「これぐらい余裕よー。 早いし、キレイだし、こっちのほうがいいよね。」
何だ?
様子を見ていると、さっき内田先生に無茶ぶりされたオーボエパートの人が、 パート譜を作成しようと、コピーしてメロディ部分を切って貼り付けようとしていた。
それを見て、宮田先輩は、音楽室の教則本のある棚から五線紙を取り出し、 楽譜をキレイに書き上げたようだ。
「高いよー。
聴音レッスンめっちゃ通って、家でも問題集やってたんだから。
私の技術を無料で使う?」
オーボエの先輩が苦笑しながら言う。
「先輩……お金取るなら、価格表示を先にしていただけると助かります……。
公立の中学生が使えるお小遣いとか、親に請求とか、色々あるんで……。」
「嘘だよー!
音楽が好きで、こういう風に助けたり、楽しめるようにサポートするのも趣味だから。
そしてこれも愛情。
ついでに、ちゃんと音楽に乗せてほしいな。」
「……もう、先輩、相変わらず笑顔で怖いー!」
「まあまあ。
これ、内田先生に確認してOKだったら渡すから、 先にお弁当食べな。」
そう言って、宮田先輩は音楽室を出ていった。
オーボエパートの3人は、それぞれリードケースを開ける。
「リード、持つかな……。」
心配そうな顔をしている。
「そろそろ作る技術、勉強したほうがいいかな……?」
「学校にあるのかな?」
「前に聞いたら、『ないわそんなもん』って言われた。」
「リード代……はぁぁぁぁ……。」
オーボエパートがため息をつきながら、3人まとまってお弁当を食べ始めた。
「先輩、あれ、初見で吹けます?」
「やれそうな気はしてるけど、実際吹いてみないと何とも……。」
「指使い覚えたばっかりなんですけど、今日いきなりあのテンポで吹けないです。」
「ちょっと後でパート練やるか。
1音ずつ8拍でチューナー合わせ。 その後、ゆっくりさらっていこう。」
「わかりました。」
「よし、じゃあ、ごはん食べたら歯磨きして、パート練の部屋行くことにしよう。」
「はい。」
そこへ宮田先輩が戻って来た。
「内田先生チェックOKだったら、人数分と保管分のコピーね。
原譜は私のコレクションに入れさせてもらう。
家でクラリネットでやってみよっかなー。
気持ち込めて演奏したくなるメロディで、好きだわ。」
楽譜と宮田先輩の指導
オーボエパートの3人は、お弁当を食べながら譜読みをしていた。
宮田先輩も加わり、一緒に食べながら、
「♪ミファミーーーレ-ミファミファミーー/ラ…」
と譜面を見ながら歌い始めた。
入ったばかりの1年生が、音名を書き込んでいるようだった。
宮田先輩は、それを見ながら、歌いながら、やさしく言う。
「コンクール以降は、音名は書かないように。
この夏の練習中に、譜面に書いてある音を見たら、そのまま楽器で出すようにするんだよ。」
そして、にっこりと笑顔になった。
「はっ!はい!」
涙目になる1年生。
宮田先輩は、さらに言葉を続ける。
「あなたの名前は、正式表記は漢字やカタカナやひらがなでしょ?
音にも、つけられた名前と書き方があるの。
自分の名前を知らない国の言葉で書かれたら、自分ってわかる?
例えば、全く勉強したことない外国の文字で自分の名前が書かれて、読まれたとしたら……。
『あ、まあ、しょうがないよね』とはなると思うんだ。
でも、頑張って下手でもひらがなで書いてくれたら、日本語の発音で呼んでくれたら、振り向くと思わない?
振り向かせる演奏をするには、音符の奥のつながりや重なりを考えてほしい。」
1年生は、泣いてしまった。
俺も、直接言われたらまた精神やられるな……。
カタカナで音名を書いてあるけど、覚えたら見られる前に、すぐ消すようにしよう。
正直、カタカナを読んで、周りになんとなく合わせている感じがする。
それだとダメだって言われてるんだよな……。
宮田先輩の正体?
宮田先輩は、「ごちそうさま」と言って音楽室を出て行った。
俺は田中先輩に聞いてみた。
「宮田先輩って、どんな人なんですか? えぐってきそうで、すごい怖いんすけど。」
すると、田中先輩は軽く考えてから答えた。
「んーとね……。
吹奏楽部の胡蝶しのぶ、って陰で言われるよ。」
その言葉を聞いたオーボエパートの3人が――
揃って ブッ と口に含んだ弁当を噴き出した。
泣いていた1年生まで。
鬼滅のね……。
すっごく理解した。
ニコニコと急所ぶっ刺してくるあたり、怖えって。
「さて、お弁当も食べ終わったから、先にパート練の部屋へ行っとく。 エアコン入れて待ってるから、部屋が冷える頃においで~。」
そう言って、3年の先輩が楽器と楽譜、チューナーを持って音楽室を出ていった。
オーボエの1年生と2年生も無言で慌てて食べ終え、音楽室を出た。
少しすると戻ってきた。
うがいをしてきたようだった。
再び楽器、楽譜、チューナーを持って音楽室を出ていく。
白川先輩の言葉
「なあ、俺も今日、ここ居ていい?」
声の方へ顔を上げると――白川先輩だった。
3人とも、「どうぞどうぞ」 と輪を広げて迎え入れた。
白川先輩は、お弁当を広げて、ため息をつく。
「鈴木、ごめんな……。今のオーボエのやつらみたいにやれれば良かったんだが……。」
田中先輩が、落ち着いた口調で言う。
「まあ、ご飯は食べよう。
きっと、ひとつ必要なことは解決しただけだから。
他の部分には、まだたくさん課題がある。
切り替えて練習しよう。
今できるのは、練習だけだからさ。」
白川先輩は静かにうなずき、お弁当を食べ始めた。
先輩たちへの憧れ
のぞみ先輩のように、ホルンの音がきれいに響いたり――。
田中先輩のように、優しく、あたたかく人に接したり――。
白川先輩のように、金賞・全国大会に出るために、分析・提案・行動したり――。
俺は、3年までにこんな先輩になれるんだろうか?
胡蝶しのぶ……いや、宮田先輩。
すばる先輩、駒田先輩も、また別格のような雰囲気だしなあ……。
輪が広がる
「俺も入れてくれ。」
駒田先輩が来た。
また同じパターンで、「どうぞどうぞ」 と輪が大きくなる。
「ごめんな、雰囲気悪くして……しかもメロディが……。」
駒田先輩がそう言うと、白川先輩が静かに返す。
「いや、同じことで昨日言い合いになって、どうやって解決したらいいかわかんなかったんすよね……。
鈴木のこともそうだけど、内田先生の目にはもう「うんざり」って書いてあったように見えましたわ。」
「あとは、すばるに任せよう。」
そう言って、駒田先輩は唐揚げ弁当を頬張り始める。
「うっちーも色々無茶ぶりしすぎなんだよ。
1年倒れさせるほどのことを、今の時期にやらせたら、 リカバリーに時間かかって練習時間減るじゃん。
練習方法、令和にアップデートできてねーのかな?
背中のファスナー開けたら、ゴリゴリの昭和の悪いほうの頑固じじいが出てくるぜ。
『24時間戦えますか』の時代のおっさんたちの、一員が出てくる。」
「じゃあ、空けて確認するか?」
声の方へ目を上げると――。
……内田先生……。
男子、凍る。
「中身は昭和男子の音楽教師の私に、何か用か?」
駒田先輩は、すぐに笑顔になる。
「何おっしゃってるんですか~、うちの父親の事ですよ~。」
そう言うと、内田先生は、お弁当の入った袋とのぞみ先輩のバッグを、駒田先輩に渡した。
「今、ホルンのパート練の部屋にいる。 すぐ届けて戻ってこい。」
駒田先輩は、お弁当を片手に抗議する。
「これ!こういうこと!無茶ぶり!俺、今、弁当食ってんの!」
その様子を見て、俺は言った。
「気になるし、俺行きますよ。」
すると、内田先生が駒田先輩を見る。
「おい駒田、1年の新入部員が怯えて空気を読んで行動しようとしているぞ。 卑怯な手口を使う奴だな。」
駒田先輩は、慌てて言う。
「いや、俺行きます。ごめんな、たくみん?だっけ? 渡してすぐ戻ってくるわ。」
そう言って、バッ と音がするぐらいの速さで音楽室を出ていった。
音楽室のオーボエ
音楽室の扉を開けた瞬間――オーボエの練習の音が聞こえた。
オーボエって、こんな音だったのか……。
何というか、悲しい感じが似合う音かな……。
でも、あの音色で 「ポケモンゲットだぜ」 とか、 「ちびまる子ちゃんのおどるポンポコリン」 を演奏してもらえたら……。
……そんなことを想像するのは邪道なんだろうか?
ものの2分程度で、駒田先輩が戻って来た。
「すばるが気が付いて、受け取ってもらったわ。」
ホッとした表情になっていた。
俺と黒沢は、すでに食べ終わっていたが、 先輩たちに合わせて座っていた。
黒沢は、少し真剣な顔で聞く。
「今後予想される無茶ぶりを教えてください。」
すると、先輩たちは、ふっと笑いながら――駒田先輩が答えた。
「あの人、無茶ぶりの引き出したくさんあるから、 今俺らに聞いたとしても、別のパターンで来るから、 あんまり参考にならないと思うよ。
今回、1年に指揮をやらせて、メンタル追い詰めるって、鬼の所業だからなあ。」
「過去どんなんあったんですか?」
黒沢が興味深そうに聞く。
駒田先輩は、少し考えながら話し始めた。
「感情解放ってやっただろ?
昔、演劇部と一緒に練習させられたりとか。
当然、演劇部のやつらは楽勝なわけよ。
すぐに感情を入れて、終わったらすぐ切り替える。
でも、吹部って言葉とか動きとかで感情を乗せるのが苦手だから―― ほぼ演劇の練習になってた。
で、『走れメロス』のクライマックスシーンを4人1組でやらせるんだよ。
『下手でもいいから感情を乗せろ』って言われて。
無我夢中で、その人になりきるから、 メンタルをメロスから課題曲に切り替えるのに、めっちゃ時間かかったんだわ。
ある奴はメロス、ある奴は王、ある奴は友達、ある奴は妹。
台本には『殴るふり』って書いてあるのに、 入り込みすぎて平手打ちする奴まで出てきて。
口切っちゃったり、メンタル不安定になって、 体調不良が続出したりして、その後の演奏に支障が出た。
だから、今年は大きく路線変更したって聞いたな。」
黒沢は 「うわ……。」 という顔をした。
どうやら俺も、同じような顔をしていたらしい。
先輩たちは、その様子を見て、「そうなるよね」 とうなずいた。
駒田先輩は、少し落ち着いた口調で言った。
「まあ、毎日、平坦とは縁遠い部活だよ。
これからの社会を生き抜く知恵だらけの部活だから、 って上の世代の人たちが口々に言ってる。
無理しすぎない程度に、真剣に、楽しんで。」
吹奏楽部が社会と似ているなら、社会にはちょっと早めに一度出てみたい。
ちょっと面白いかもしれないだろう。
何がそうなのか、知りたい。