32.【番外編:サッカー部】教育現場の歪み、父親が突きつけた証拠
学校でいじめをくらうようなことがあって、先生に相談しても対処をしてくれないなら、今はテクノロジーの力を借りて、法律で落としどころを探る、ということも整いつつあります。
いじめと呼ばれているものは「犯罪」です。
もし、いじめにあって辛くなったら、犠牲になることはありません。
逃げて。
長い経験から申し上げますと、不思議なもので、必ずブーメランあります。
だから、いじめから逃げてのんびり生きてみてください。
いじめてたあのやろー、って、いずれすごい目を見ます。
そして自分が幸せになるのが一番の仕返しです。
何よりも大事なあなたを守ることは一番の義務であり、使命なのです。
顧問とコーチが退出し、ドアを閉めて約1分後、渡辺さんの父親は再度スマホを取り出した。
「こちらをご覧いただけますか?」
そう言いながら、映像を再生する。
画面は真っ黒なまま、音だけが聞こえる。
「これ、あいつのバッグだろー」
「何入れてんだ?着替えとか?」
「マジー!そんなわけねーじゃん!どっかで着替えてんだろー。」
「じゃ、何だろ?」
突然、白い光が差し込み、サッカー部員の顔が映った。
「なーんだ、ボールじゃん。いつもリフティングしているやつ、これだよな?」
部員がバッグからボールを取り出す。
映像はいったん切れるが、音声は続く。
「なーんか、いいボールじゃん。」
ボン、ボン——リフティングの音が聞こえる。
「生意気じゃね?」
その言葉のあと、男子生徒のクスクスと笑う声が聞こえた。
「あいつ、上下関係わかってねーなって思うんだよな。
練習優先なのはわかるけどさ。
もうちょっと先輩が何やるかとか、聞いて指示を受ける姿勢って大事だと思わない?」
画面には映っていないが、誰かがさらっと同意する。
「そうっすね。」
その後——
ぷすーっという音が2秒ほど鳴り、止まった。
「練習も大事だけど、先輩へ敬う態度とか、忘れないでほしいよな。」
再び映像が動き、部員がボールをバッグへ戻す様子が映る。
渡辺さんの父親は、ストップボタンを押し、スマホを胸ポケットにしまった。
「この動画は一部です。まず、妻が『娘の様子がおかしい』と気付きました。
具体的な話が出たのは、その頃でした。
『ボールの空気が抜けやすくなった。2か月程度でおかしくなったけど、これだと練習に支障が出るから新しいのを買ってほしい』と娘が相談してきた。
そのとき妻は直感しました。
『これは何かやってはいけないことが起きているな』と。」
父親はゆっくりと話を続ける。
「うちの娘の前にも、男子生徒が退部したと聞いていました。
その時も原因はいじめ——しかし、それについては不問だったようですね。
その後、娘がターゲットになった。
さまざまな理不尽がありました。
そこで、小型カメラを購入し、証拠を集めました。
カメラはバッグの内側に縫い付けておきました。
つまり、故意にバッグを開けたことで、映像が記録されたということです。
会話の内容、音声で特定できています。
この証拠を出したら、どうなるか——予想できますか?」
冷静に、そして穏やかに笑う渡辺さんの父親が問いかける。
校長先生は言う。
「ちょっと落ち着いて、お話しましょうか?」
しかし、父親は即座に答える。
「校長先生、あなたが落ち着いてください。
これが裁判になれば、記録が公になり、経歴に傷がつき、退職金はなくなるでしょう。」
その言葉に、校長先生は声を上げた。
「待ってください!」
父親は再び冷静に言う。
「だから、落ち着いてください、校長先生。」
校長先生は息を詰まらせ、何も言えなくなる。
父親は続ける。
「あなた方の圧力への反論材料が、残念ながらどんどん揃ってしまいました。
おそらくこのままでは、被害は次々に出てくるでしょう。」
渡辺さんの父親は、冷たい笑顔を浮かべながら、静かに語る。
「教育現場では、教育という名のもとに加害者の行為が指導としてリセットされる。
しかし、被害者には救済がない。
この現状を、どのようにお考えでしょうか?」
校長先生は言葉を詰まらせながら、静かに答えた。
「サッカー部には相応の処分をいたします。」
父親は冷たく言う。
「今、この場で、私たち家族を納得させられる答えを出してください。」
校長先生は戸惑いながら話し始める。
「生徒の反省具合を確認し、顧問、コーチに聞き取りをして、それから見合った処分を——」
父親は強い口調で遮る。
「話にならんな!何もわかっていない!」
冷たい視線が校長先生へと向けられる。
「以後、すべてのお話は弁護士を通してください。失礼します。」
父親が立ち上がろうとしたその瞬間、校長先生が叫んだ。
「サッカー部は廃部とします!」
その言葉に、父親は座りなおす。
「廃部にすると、今度は娘が責められることになることを考えられませんか?」
校長先生は汗を浮かべながら、言葉を選ぶ。
「現状、学校でできるのはこれが精一杯かと…。あとは指導になりますが…。」
父親はさらに問い詰める。
「どのようなご指導ですか?」
校長先生は口ごもる。
「えっと、それはこれから…」
その瞬間、渡辺さんの家族3人が立ち上がる。
「失礼しま——」
言い終える前に、校長先生が強い口調で言った。
「顧問、コーチを解任し、サッカー部の指導は私が監督します!」
その言葉を聞き、渡辺さん一家はソファに座りなおした。
母親はスマホを取り出し、録音中の表示を見せる。
父親は冷静に言う。
「今のお話を、一筆いただけますか?」
校長先生は困惑した表情を浮かべながらも、一枚の紙を取り出して書き始める——。
一通り書き終えた校長先生は金庫から箱を取り出し、学校印、学校の丸印、そして自身の印鑑を押し、それを渡辺さんのお父さんに手渡した。
様子をじっと見ていた渡辺さんのお父さんは静かに言った。
「とりあえず、ここが落としどころでしょうね。
明日以降、娘に被害があれば即座に裁判所に行きます。
本来なら学校は学校で、家は家で子供たちを育てていくという考えがあれば理想的ですよね。」
校長先生は小さくうなずきながら答えた。
「そうですね、我々、至らずでして…。」
すると、渡辺さんのお母さんが強い口調で言った。
「謝ったら死ぬんですか?さっきから一言も謝罪の言葉が出ませんが。」
校長先生ははっとした表情を浮かべると、深く頭を下げた。
「この度は申し訳ございませんでした。」
渡辺さんのお母さんは冷たい視線を送りながら言った。
「今頃…言われてからの謝罪って…。」
渡辺さんのお父さんは、穏やかに渡辺さんのお母さんに微笑みかけ、静かにうなずいた。
渡辺さんのお母さんは目を見て、言葉を飲み込んだ。
そのやり取りを黙って見ていた渡辺さん。
渡辺さんのお父さんは娘に視線を向ける。
父の問いかけるようなまなざしに、娘はただ、ゆっくりとうなずいた。
渡辺さんのお父さんは淡々とした口調で言った。
「即、善処ください。それとも学校側が納得できる措置ができるまで、娘が登校を控えることも検討中です。
俗にいう不登校ですね。
学校が始まって、1年生が2人、サッカー部から——異常事態ではないですか、校長先生?」
校長先生は慌ただしく答えた。
「こういうことは即座に対処が必須となっております。
本日中に決定事項として教員に伝え、該当教員には指導いたします。
ですので、明日からご心配なさらず、登校してください。」
渡辺さんのお父さんは微笑んだ。
「わかりました。よろしくお願いいたします。」
そして、校長先生は改めて深く頭を下げた。
「この度は、校長の私が監督責任を怠ったために、渡辺さんのお心を傷つける重大な事案に発展してしまいました。
本日中に決着をつけさせていただきます。
心から申し訳ございません。」
校長先生は机の上に額をつけ、深く謝罪した。
その様子を見て、渡辺さんのお父さんはふっと息を吐いた。
「もうわかったよ、よろしくね、前田君。」
校長先生は顔を上げた。
渡辺さんのお父さんはにこやかになり、少し懐かしげに言った。
「やっぱりわからなかったか。
私は太ったし、ひげも生やしたし、スーツになるとね。
同窓会は忙しくて行けなかったからなあ。」
そして、懐かしむように続けた。
「斉優高校野球部、背番号2。」
校長先生はぽかんとした後、思い出したように「あー!」と叫んだ。
「渡辺先輩でしたか…! お久しぶりです。」
目には涙を浮かべていた。
渡辺さんのお父さんは冗談めかしながら言った。
「最初にケツバットしてからのほうが話早かったかな?」
校長先生は引きつった表情で苦笑しながら答えた。
「そう…ですね。」
渡辺さんのお父さんは急に真顔になり、校長先生の耳元でささやくように言った。
「ずいぶん偉くなったのに、中身は高校球児のままか?
そろそろ同窓会の案内が来る頃だろう?
噂に聞くと、ずいぶん先輩風ふかしているとか。
後輩がなかなか出席してこないのはそのせいだと、苦情が届いているらしいな。
この件、それまでに落ち着くといいな。
次は出席予定だから、逃げるなよ。
仕事が入るなら報告・連絡・相談を。」
そして座りなおすと、渡辺さんのお父さんは穏やかに言った。
「では、本日は失礼いたしますね。本日はお時間いただきありがとうございました。」
校長先生もすぐに答えた。
「こちらこそ、ご足労いただきありがとうございました!」
その後、球児のような90度のお辞儀をした。
そして、笑顔でドアを開け、渡辺さんの家族3人を見送った。
その後、顧問とコーチは校長先生から約1時間にわたる壮絶な説教を受け、部活に出てくる時間には、ふらふらと歩き、目もうつろになっていた。
この日が顧問とコーチ最後の日となった。
渡辺さんは帰宅後、お父さんに聞いた。
「さっき校長先生にひそひそって言ってたのって、何?」
お父さんは軽い調子で答えた。
「ああ、緊張してるかなって思ったから、昭和のギャグだよ。」
渡辺さんは驚いて言った。
「うそー! 校長先生の顔、引きつってたよー。」
お父さんは軽く肩をすくめた。
「ああ、じゃあすべったんだな。あの状況で笑えないし、かといって面白くないですよ、とはいえないだろ?」
渡辺さんは首をかしげた。
「そういうもの?」
お母さんも首をかしげながら、父親を見た。
「まあ、学校でまた何かあったら言ってほしい。お母さんも。
学校って、なぜか父親が出ていくと解決するっていうパターン、今でもあるからね。」
渡辺さんは、少し気恥ずかしそうに言った。
「お父さん、ありがとう。」
渡辺さんのお父さんは、急に元気な声を出した。
「お父さん元気出たー! 明日も仕事頑張るぞー!」
娘はすぐに反応する。
「そういうの恥ずかしいから!」
お母さんは微笑みながら言った。
「お父さん、頑張ったんだから。」
娘は照れながら小さな声で言った。
「お母さんもありがとう。」
お母さんはふっと笑った。
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渡辺さんは学校へ行った。
放課後帰ろうとすると、クラスメイトが駆け寄ってきた。
「あれ? 今日部活じゃないの?」
「退部した。」
渡辺さんがそう答えると、クラスメイトは驚いた顔をした。
恐る恐る聞く。
「どうして? イケメン男子と一緒で楽しかったんじゃないの?」
「そんなわけないじゃん。」
クラスメイトはさらに驚く。
「えっ!?」
渡辺さんは問いかけた。
「なんで驚くの? そんな風に見てたの?」
クラスメイトは戸惑いながら答えた。
「ごめん、そういうんじゃないけど…」
渡辺さんは息をふうっと吐いた。
「いじめに耐えられなかった。なでしこみたいになりたかったのに。」
クラスメイトは顔を見合わせた。
「何があったの?」
渡辺さんは靴を履き替え、歩き出した。
帰り道、自分が経験したことをすべて吐き出した。
そのたびクラスメイトが口々に
「えー!」
「信じられない!」
「最低!」
「そこまでする?」
「ちょっとあいつ殴ったる!」
「やめな。指導されるよ」
…こういう、外に敵が発生する時の女子の団結力と口コミ力。
女子1人を陥れるとどうなるか、って見込みを立てられなかった己の甘さを知ることになるんだろう。
次の日から、渡辺さんはスカートを履いて登校した。
それまでサッカー部になじむため、スラックスを履いていた。
風がスカートをゆらした。