30.コンクールのメロディ、誰が吹くのか
吹奏楽部のミーティングで、内田先生と松下さんによる曲のレクチャーが終わった頃、北野鈴香が手を上げた。
内田先生が「ん」と言って、発言を促す。
「先生、15からのソプラノサックスのソロですが、原曲では篠笛が吹いています。
これ、フルートではだめですか?
音もフルートやピッコロのほうが近いかと思ったのですが、どうしてソプラノサックスなんですか?」
その瞬間、バンと机を叩く音が響いた。
「てめえ!ふざけんなよ!」
怒鳴ったのは、ソプラノサックスとアルトサックスを担当する白川徹(3年1組)。
普段は飄々とマイペースに練習し、音を追求している彼が突然声を荒げる。
「中学校最後のコンクールで、この曲のこの部分にどれだけ思いをかけてるか!
今年こそ全国行くんだ!って気持ちで挑んでいるんだ!邪魔すんなよ!」
白川の怒鳴り声が響く。
松下さんは青ざめ、内田先生を見る。
北野鈴香は黙り込み、椅子に座った。
内田先生は無表情のままそのやり取りを見ていた。
足を組み、顎に手を当てる。
白川はさらに続ける。
「学校から逃げたやつが吹くメロディじゃないんだ!
俺だって3年間、色々もがいていたんだ!
そんな葛藤も知らないやつがおいしいところだけ持って行くって納得できねえわ!」
北野は涙を流した。
白川はそれを見て、吐き捨てるように言う。
「いいよな、泣けば味方が増えるやつって。
俺のポジション損だわ。
3年かかって、ようやく手に入れたポジションと楽器なのに。
これまで必死に頑張ってきても、こういうやつに肝心なところ持って行かれるって思ったら、やる気なくすわ。
俺が今の状況で反論するだけ悪役になるだろ。
やってらんねえよ。」
乱暴に音を立て、椅子に座る。
内田先生はまだ無表情のまま、微動だにしない。
隣で松下さんは居づらそうに目線を泳がせる。
沈黙の中、北野が絞り出すように言った。
「この部分、篠笛で練習してきました…。」
一瞬、内田先生の眉間に縦皺が寄る。
しかし、すぐに表情を戻した。
松下さんは「え?」と言って固まる。
何とも言えない圧のある空間。
時計を見る。
無音で動く秒針が、耳の奥でジーという音を立てているかのように感じる一瞬の重さ。
ようやく、内田先生が口を開く。
「各々の気持ちは理解した。
白川、そのまま練習を続けること。
北野、クリエイティブには礼儀を大事にしたほうがいいことが多い。
必須ではないがな。
ただ、それを欠いてしまったがために消えてしまう芸術家というのは、意外と多い。
松下さんが、大変な手続きを取って編曲の許可を得て、みんなに譜面を渡した。
そのことにどれくらい考えを巡らせて発言をしたか?
音楽は自由だというが、北野の言い分は音楽的にも関係的にも、少し勝手だと思っている。」
そして続ける。
「あと、篠笛で練習したと言ったな。今、吹けるか?」
下を向いて黙って涙を流していた北野が、パッと顔を上げる。
「はい!」
内田先生は冷静に言う。
「いきなりだが、ここでみんなの前で吹いて。」
北野は「はい!」と返事をし、バックから細長い布袋を取り出した。
その中から、日本の伝統を感じさせる篠笛を出し、音を確かめる。
立ち上がり、内田先生の横に歩いて一礼する。
大きく息を吸い、メロディを吹き始めた。
水の流れが見えるような、澄んだ響きが音楽室いっぱいに広がる。
11小節を吹き終え、お辞儀をする。
内田先生は北野に「席について」と指示した。
北野は席へ戻る。
白川は北野の演奏を聞き、がっくりと肩を落とす。
「本物持ってきたらもうだめじゃん…。」
落ち込むように呟く。
内田先生は口を開く。
「笛には笛の吹き方というか、型がある。
相当練習したんだろう。確かに音は出ている、譜面通りだ。
それだけで、もうすごいことだ。
このメロディを吹きたい強い気持ちは伝わってきた。
ただな…浅いんだ。
今の北野は、フルートの吹き方を篠笛でやっただけにすぎない。
おそらく、フルートやピッコロで同じようにできたとしても、今の北野より白川のソプラノサックスのほうが曲に合う。
今の北野の篠笛よりも、白川のサックスのほうが不安定ではある。
しかし、合奏の時に聞こえてくるのは、譜面とともに感情を乗せようと奮闘する音だ。
曲に強い思いを持ち、表現しようと葛藤している白川に、このメロディを託す。」
最後に、内田先生はふと思い出したように口を開く。
「武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』という曲がある。
オーケストラに尺八と琵琶が入っている。
北野、聞いてみること。
みんなも聞いてみるといい。
演奏の参考になる。
後で吹奏楽部ルームに音源をアップしておくので、聞いてみてほしい。
また、北野のこういう挑戦はとても良い。
ただ、タイミングややり方にツッコミどころが満載だ。
部活後、職員室へ来い。
北野の笛だけだと他の楽器で音が消えることぐらい予想できただろうに。」
北野は小さな声で「そうだよね…」と呟いた。