29.北野鈴香、不登校でも続ける吹奏楽
いろんな人のいろんな事情。そんなことも理解したい。
北野鈴香は2年1組。
朝から昼の授業には出ず、特別に部活動だけに参加している。
フルートが好きで、学校には吹奏楽部の活動という形で関わっている。
彼女が不登校になったのは、同じクラスの男子生徒による執拗ないじめが原因だった。
自治体には、不登校生徒が集まって勉強したり、遊んだり、食事したりするサークルがあった。
同じ境遇の子たちが集まり、それを理解する職員がサポートにあたっていた。
一度行ってみた。
いい人たちだったと思う。
ただ、そこでさえ居心地の悪さを感じた。
本当は学校に行きたかった。
友達に会いたいという気持ちもあった。
でも、どうしても教室には入れなかった。
あの人たちは、見えないところで足を引っかけてきた。
すれ違いざまに「暗いブス」と言って笑った。
返却されたテスト答案をいつの間にか奪い、後ろの壁に貼り付けた。
グループワークでは、無理やり班長にさせられ、問題行動の責任を押し付けられた。
分担部分をさぼるから、そのフォローをすべて押し付けられた。
給食のデザートがいつの間にかなくなっていた。
本人たちはただの冗談のつもりかもしれない。
でも、それが積み重なると、すべてがストレスになった。
教室では、一部の生徒が「やめなよ」「先生に言うよ」と止めようとした。
でも、いじめている側が「うるせえな、やれるもんならやってみろよ。お前ら、どうなるか分かってるよな?」と言い放つと、空気が変わる。
次第に、誰も何も言えなくなった。
いじめはエスカレートしていった。
担任の小畑先生は大学卒業して2年目。
1年の頃から問題行動を起こす生徒には目を光らせ、厳しく指導する先生として知られていた。
実際、指導を受けた生徒はおとなしくなるか、行動を明らかに変えた。
何があったのかを聞いても、生徒は何も言わなかった。
そのせいで、「小畑先生には逆らうな」という空気ができていた。
小畑先生自身、小学校3年生の頃にいじめを受け、不登校になった経験がある。
4年生のとき、担任の先生に救われたことをきっかけに、教師を目指した。
教員の世界はブラックだと言われる。
両親は心配し、「資格は持っていていいが、就職は一般企業へ」と勧めた。
それでも、小畑先生は教育現場へ進む道を選んだ。
最初に北野鈴香のいじめの話を聞いたのは、本人からではなかった。
他の生徒が目撃し、報告してくれた。
「鈴香ちゃんを助けてあげてください。でも怖いから私たちの名前は言わないでほしいです。」
小畑先生はその生徒に
「分かってる。即刻指導する」
と約束した。
問題行動を起こしている3人の生徒を生徒指導室へ呼び出した。
奥には副校長先生が控えていた。
彼らの行動を把握していることを伝え、次に同じようなことをしたら容赦しないと厳しく警告した。
書面で行動を認識させ、いじめをしないという約束をさせた。
さらに、週1回のカウンセリングを受けることを義務付けた。
それ以降、小畑先生は、教室では過剰なくらい目を光らせた。
彼が入ると、教室は静まり返る。
それが、パワハラと変わらないようにも感じることがあった。
でも、今はそれを気にする余裕はなかった。
しかし、いじめていた生徒たちは、小畑先生がいない科目や移動の時間を狙って行動を続けていた。
その結果、北野鈴香は学校を休み始めた。
気づいたときには、手が及ばないところで問題が大きくなっていた。
小畑先生は北野鈴香の家へ行き、謝罪した。
親御さんは
「小畑先生のことは信頼しています。でも、子供は大人を超えてくる。それが悪い形で出てしまうこともある。残念ながら、いつの時代もいじめはなくならない。」
と話した。
小畑先生はこのままでいいわけがないと思い、職員会議でこの問題を共有した。
内田先生、校長先生、副校長先生と話し合い、北野鈴香には「勉強は教室以外で進める」「部活動は続ける」という選択肢を提示することになった。
学校で北野鈴香の両親を交え、本人に伝えたところ——
「それならやってみようと思う」
彼女はそう答え、吹奏楽部を続けることになった。
定期的に担任の先生と内田先生が面談を行い、テストは学校で受ける。
普段の勉強はスマホで進めている。塾も検討したが、同じ学校の生徒と顔を合わせるのが気まずいため、家庭学習に集中することになった。
吹奏楽部でフルートを演奏することは、彼女にとって生きがいであり、活力の源だった。
それが、学校とのつながりだった。