16.立ち止まる俺と、吹奏楽部の世界
放課後、黒沢と一緒に職員室へ向かった。
内田先生が机の前で腕を組みながら言う。
「アルヴァマー序曲について聞きたいって?」
「はい。どうして吹奏楽部の入部と卒業の音楽が、この曲なんですか?」
すると、
「どうしてだと思う?」
聞きたいから聞いたのに、聞き返されるパターン——。
正直、こういうやり取り、うぜー。
「自分の中で仮説はあるか?」
「仮説……?」
「この曲を聞いて、どう解釈する? どういう気持ちで演奏したい? どの感情を伝えたい?」
質問が立て続けにくる。
正直、わからない。
「そんなの、わかりません……。」
演奏したいか聞かれるのも、ちょっと嫌な感じがする。
内田先生は、一瞬考えた後
「質問を変えよう。何を感じた?」
即座に答える。
「ポケモンです。途中からポケモン忘れて聞いてたけど。」
先生は頷く。
「そういうことが、鈴木の曲解釈であり、表現したいことかもしれない。」
……まだ、ピンとこない。
「……ということは、先生がサトシで、他の部員はピカチュウとかのポケモンたち——
愉快な世界ってことでしょうか?」
その瞬間
「はあ!?」
先生の目が開き、眉間にしわが寄る。
……どうやら違ったらしい。
でも、今しか質問できないかもしれないから——続ける。
「曲が出来上がる時とか、賞を取れた演奏ができた時とか、新入部員が『ゲットだぜ!』状態になるというか……。」
言い終えるや否や——
「違うに決まってんだろ!」
先生の声が上がった。
「ですよねー、ごめんなさーい。」
小さくなって謝る。
ただ、本気で答えたのは事実だ。
先生は少し落ち着くと——
「でも、考えようによっては、当たらずとも遠からずというところだろうか。」
そして、続ける。
「メロディや対旋律、リズム——楽器を超えた音楽の積み重ねがある。
私の指揮のもと、部員が成長するのはポケモンの進化と同じだ。
コンクールや演奏会を重ねるごとに経験を積み、強くなっていく。」
……なるほど。
先生はさらに説明を続ける。
「吹奏楽部によってポジションの考え方は違う。
少なくともうちでは、できないところはできる人がカバーして音楽を作っていく。
それはパート内だけではなく、パートを超えてできる。
同じメロディや対旋律を複数の楽器が一緒に演奏するんだ。
だから、ちょっとぐらい抜けても大丈夫だけど——できたほうが絶対にいい音楽になる。
それは理解できるか?」
「はい……なんとなく、ですけど……。」
「その精神をもって、後輩は楽譜を読んで、先輩の演奏を聴いて、自分もついていく。
そして先輩になる頃には後輩を引っ張っていく。
楽器の垣根を超えて、全体で音楽を作る——それにぴったりの曲だから、アルヴァマー序曲を選んだ。」
……運動部とは違う価値観だ。
何となく理解はできる——でも、具体的にはまだピンとこない。
先生はふっと息を吐き——
「この曲は、聞くより、演奏するほうが楽しい。」
そして——
「ただ、当面はコンクールの課題曲と自由曲が優先になる。
だから実際にアルヴァマー序曲の合奏練習が始まるのは、9月頃だろうな。
たまに息抜きや、成長の確認として定期的に練習には入れるけど。
突然『アルヴァマー!』って言って、1回合わせて、おしまい——みたいに。」
黒沢は固まって聞いていた。
内田先生が黒沢をじっと見て——
「まさかと思うが、黒沢は知っていたよな?」
「いや、初めて聞きました。ありがとうございます!」
黒沢がすぐに返す。
すると、先生は
「今ちょっとイラッとしたけど、そういえば今年の新入部員に改めて話してなかったかもしれないな……。」
と独り言のように言った。
「この後、部活来るか?」
先生の問いに、黒沢はすかさず
「はい!」
と答えた。
でも俺は少し考え込んでしまう。
ピリピリした雰囲気の中に入れる気がしない。
しかも、初心者。譜面も読めない。
音楽の授業は苦手だった。
先生はすぐ怒るし、何を言っているのか意味がわからなかった。
音楽会は、苦痛だった。
でも曲が気になる。
すぐできるわけではないんだな——。
色々、立ち止まってしまう。
すると先生はそれを察したようだった。
「まあ、なんでも新しいことを始める時って、勇気と力が必要になる。
それに、これまでに会ったことのないタイプの人間とたくさん関わる。
ポケモンだかサトルだったか? になったつもりで入部してみたらどうだ?
まあ、私はポケモンは知らんがな。」
……サトシだよ。
「うーん、そうですかね……そんなもんかな……。」
すると先生は——
「本来なら仮入部は親のハンコが必要だけど、今日は特別。
仮入部ではなく、ホルン体験とアルヴァマーの楽譜見学ツアーを設ける。
だから、今から来なさい。」
隣で——黒沢の顔がぱっと笑顔になる。
「まだ入るって決めてないです。」
念押しすると、先生は即答。
「体験会だ。入部じゃない。
時間はきっかり1時間で終わらせる。
その後、コンクールの曲の練習があるから。」
……申し訳ないような気がした。
まだ決めていないのに。