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009:サクランボの木

 休日の工業地帯は、ゴーストタウンのように静まり返っていた。G06地区は、無計画な開発により工業エリアが入り混じった複雑な地区。立体交差点と細い道路が絡み合った迷路のような道路があるかと思えば、トンネルの先に広々とした駐車場が広がっている。ナビゲーションがないと、あっという間に迷子になってしまいそう。


「30m先のT字路を右に曲がると資材置き場。正面口から入ってから斜め45度の方向にしばらく直進」


 タロウは、後部座席で地図アプリを開いてルートを提示してくれる。ノラのしっぽに埋め込まれた追跡装置が頼りだ。


「右に曲がる」


 私はメンダコくんのハンドルを握りながら、タロウに合図する。速度を落とさずにカーブを曲がるには、体重移動が重要。2人乗りだとタイミングも合わせる必要がある。直前に合図をして、曲がる方向に同時に体を傾けると、ブレーキなしで方向転換。メンダコくんの底の部分がガリガリと地面に削られ、火花が飛ぶ。ちょっとしたドリフト走行だ。


「またノラが移動し始めた」


 セキュリティ・エージェントに追いかけられているノラは、移動と停止を繰り返している。おそらく、隠れては見つかり、逃げては隠れているのだろう。でも、その間隔も次第に短くなっている。追跡するエージェントが増えているのかもしれない。


「すぐに大通りにでるから、最初の信号を左」


 入り組んだ道路が多くて、なかなか速度が出せない。メンダコくんの最高時速は120kmらしいが、ここではその半分の速度も出せていない。急ブレーキをかけるたびに、メンダコくんから何かの部品が飛び出して、そのたびにタロウが後部座席で忙しそうに何かを修理する。


「4つ目のビルで裏手に回って、路地を直進」


 日は落ちて、あたりはすっかり暗くなってしまった。進行方向を照らしてくれるのは、メンダコくんが前方に発するライトと、道路沿いに設置された街頭、それに黄色く点滅する信号くらい。消灯した真っ黒なビルや工場たちは、光を遮断することでシルエットとして不気味な存在感を示している。


「ごめん。ビルを1つ間違えた」


 視界がぼやける。仮想世界を時速50km以上で移動すると、コンピュータの描画処理が追い付かずに、世界の解像度が下がってしまう。夜間の視界不良も加わって、ビルの隙間を認識するのも一苦労だ。


「次の信号を右に曲がると川沿いに出る。しばらく走れば橋が見えてくるはずだ。そこを渡ろう」


 直後に2人同時に体重移動して、交差点を曲がる。合図なしでもタイミングはばっちり。すっかり息も合ってきた。


「ここから先は直進」


 私は再びハンドルを強く握り、アクセルを全快にする。



 橋を渡ってしばらく進むと、大型のロータリー交差点が見えてきた。半径20mほどの円形をした道路。その上で、黄色い冷蔵庫みたいなセキュリティ・エージェントが3体走り、少し先にはノラが走る。体の大きいエージェントは小回りが苦手だから、円周上を走るノラになかなか追いつけない。


「黄色いエージェントが、バターになる虎みたいだな」


「なに馬鹿なこと言ってるのよ。交差点に入って追いつくから、ノラを捕まえて」


 ロータリー交差点に進入して、減速せずに体重移動で旋回する。ハンドルが地面に接触するぐらい車体を傾けると、メンダコくんから火花と煙が出る。たぶん部品もいくつか。


 3体のエージェントをあっという間に追い抜かすと、ノラに追いついた。タロウは右手を大きく伸ばして、ノラを拾い上げる。


「ありがとう。ありがとう」


 私の背中とタロウのお腹に挟まれて、ノラは何度も感謝する。


 そのままロータリー交差点を半周して、大通りをまっすぐ進む。エージェントはあきらめずに追いかけてきた。


「大丈夫?」


「エージェントの最高時速は40km。ヒカリが秘密基地でログアウトしている間に調べておいた。メンダコくんはボロボロで、乗客もオーバーしているけど、それでも時速50kmは出るだろう。問題ない」


「でも、追いつかれそうなんですけど」


 バックミラーに映るエージェントの姿は次第に大きくなる。メーターは時速60kmを指している。この速度で走っていて追いつかれるなんて、何かがおかしい。


「止マリなサい」


 警告するエージェントの音声が、後ろから聞こえてくる。でも、繁華街で聞いた声と全然違う。イントネーションがずれて濁った音。


「黄色い体が、黒くなってる」


 ノラが後ろをのぞき込み、もう一つの異変に気付いた。


「暗くてよく見えないが、確かに何かおかしい。大通りの直線は避けて、エージェントの苦手な入り組んだ道を走ろう」


 タロウの提案に従って、手ごろな交差点で左折し、小さな駐車所を横断し、そして細い路地に入る。カーブで体重移動するたびに、私とタロウに挟まれたノラは、振り落とされまいと耳と尻尾でしがみつく。


 しかし、エージェントは不利な状況をものともせずに迫ってくる。道路わきの看板をなぎ倒し、急加速で地面を削り、曲がり角では壁に穴をあけ、そのたびに大きな衝撃音が響く。ときおり照らす街頭の光が、エージェントの傷付いた体で乱反射する。冷蔵庫のように滑らかだった面影は全く残っていない。


 まるで動物園で暴走していたロボットにそっくりだ。リミッターを解除して、周りのことも後のことも考えず、ただひたすらに目の前の目標に向かっていく。


「エネルギーはどこまで持つの?」


「エージェントは全力で2時間は動ける。メンダコくんは30分が限界だな」


 逃げ切るのは無理、持久戦も無理。ここでケリをつけるしかない。


「大通りに戻って409式を使う。ナビをお願い」


 タロウは最短ルートをはじき出す。大通りに出ると、私は速度を安定させて道路の真ん中を走る。


「運転をお願い」


 タロウは慌てて手を伸ばしハンドルを握る。


 私は、パパから借りた攻撃装備409式をアイテム管理ボックスから取り出す。起動すると、四角い箱が水鉄砲のような形に変形して手の中に収まった。

少し深呼吸して、バイクの運転席で立ち上がり後ろを向く。ノラは、三角形の耳と長い尻尾で私の体を支えてくれた。


 照準をエージェントに向けて引き金を引く。先端の発射口から大量の透明な球体が飛び出る。見た目も動きも、まるでシャボン玉を飛ばす玩具のよう。発射された球体は、その場に置いて行かれたかのように空中を漂い、そのいくつかは後ろを走る3体のエージェントに接触する。すると球体は割れ、大量の水滴が飛び散り、エージェントに付着する。直後にエージェントはゆっくりとその動きを止めた。


「よかった。効果がある」


 攻撃装備の正式な名前は409式コンフリクト。小さな粒がまわりの通信データを衝突させて異常を引き起こす。パパは殺虫剤みたいなものだと言っていたけど、正直なところ仕組みはよく理解できてない。


 メンダコくんをゆっくりと減速して、一旦停止する。しばらく待ってみたがエージェントが動き出す気配はない。確認するためにUターンして近づいてみる。


「動物園と同じだな」


 エージェントの体は真っ黒で、黄色の部分はほとんど残っていなかった。繁華街での事件を考えると、ウイルスに感染したと考えるべきだろう。409式がウイルスにも効果があることが分かったのは収穫だ。


 ノラは窮屈な場所から抜け出して、メンダコくんの前かごに乗る。よく見ると、左耳は外れて行方不明、サングラスはひび割れと欠けでボロボロ。追跡装置がついた尻尾が残っていたのは運が良かった。


「おまたせ、ノラ」


「ゾウさんを呼んだけど、来てくれなかった」


「もう夜だからな。そりゃ寝てるよ」


「それにしても、このウイルスはいったい何なのかしら」


「ノラが原因ってことはないか? 動物園でも繁華街でも、ノラがいる場所にウイルスもいる。ひょっとして、ノラがウイルスをまき散らしているとか……」


 タロウがノラを見つめる。


「ちがう。ちがう」


「ちょっとタロウ」


「じゃあ、他にどんな可能性があるんだよ」


「それは……」


 言葉に詰まって考え込んでいると、一件のメッセージを受信した。


『緊急ミッション:各地で広がるウイルスを調査する』


 デジタル考古学アプリの緊急ミッション。急いでニュース画面を開く。


「緊急ニュースをお伝えします。未知のウイルスが各地で発生し、建物や設備が破壊される被害が出ています。ウイルスの発生が確認された場所はG03地区、G04地区、G06地区、G07地区、G08地区…」


 生き延びたウイルスが増殖して、街全体に広がっているんだ。



「ぼくは、タロウがキライ」


「うたがって、ごめんよ。俺が悪かったよ。耳とサングラスは良いものに交換するからさ。許してくれよ」


 タロウはメンダコくんを修理しながら、ノラの機嫌をとる。ノラは電子迷彩カーテンをレインコートのように羽織る。これならエージェントに遭遇しても隠し通せるはずだ。


「それにしても、短い時間でこれほど広がるなんて。ウイルスが増える速度も、移動する速度も、まったく説明がつかない。突然変異だとしても時間が短すぎる」


 私は納得できない部分を考え続けている。


「まぁ、俺たちの目的は達成できたんだから。あとは大人に任せようぜ」


「なにか見落としているところが、絶対にある……」


 緊急ニュースによると、各地にセキュリティ治安部隊が派遣されるが、ウイルスが発生するペースに追いつかず、被害は広がり続けているようだ。


「この調子だと、デジタル考古学はしばらくお休みだな」


「そうね。街は時間をかければ修理できるけど、すべてが元に戻るわけじゃない。自然ドロップは消えたら元には戻らない。公園の落ち葉も、剥がれた壁の塗料も、全滅ね」


「マンホールのフタだって、新品に交換だろうな」


 マンホール。なるほど、マンホールか。


「瀬尾さんの話、おぼえてる? オルトタウンの地面にはたくさんの通信ケーブルが埋められているって話。ひょっとしたら、ウイルスは地下のケーブルを使って移動しているのかも」


「マンホールから出入りして、通信ケーブルで素早く移動すれば、あっという間に広がるな」


「ウイルスの被害が発生した場所と時間、地下の通信ケーブルの情報、それにタロウが持っているG地区の知識と経験。それを組み合わせれば、ウイルスが増殖している場所が分かるかもしれない」


「よし。俺とノラは、ウイルス被害の情報を集める。ヒカリは瀬尾さんに連絡して、必要な情報をもらってくれ」


 タロウは、画面を広げて情報を集めはじめる。


「ぼくも、集める」


 ノラは、尻尾をタロウの画面に接続する。そんな仕組みがあったの?


 私は、通話履歴の一覧画面から瀬尾さんへの通話を開始する。


「こんばんは、ヒカリさん。G地区が大変なことになっているようですが、そちらは大丈夫ですか?」


「それが……」


 繁華街でウイルスの被害を受けたこと。地下の通信ケーブルを経由する可能性があること。ウイルスが繁殖する場所を見つけられるかもしれないこと。ノラのことは秘密にして説明したから、少し話の辻褄が合わなかったかもしれない。でも、瀬尾さんは静かに聞いてくれた。


「なるほど、状況は分かりました。それでは、緊急ミッションを開始してください」


 私はデジタル考古学アプリを起動して操作する。


「ミッションの開始を確認しました。G01地区からG19地区までのマンホールに関するデータをすべてお送りします」


「ありがとう」


「未来の人に役に立てばと考えて集めている記録ですが、こんなにも早く役に立つ日が来るとは思いませんでした」


 メッセージを受信した。中身は大量のデータ。


「念のため、ヒカリさんの情報と地区データを合わせて、G地区の管理組織に連絡しておきます。それでは頑張ってください」


 そして通話が切れた。


 瀬尾さんが送ってくれたデータにはたくさんの情報が含まれていた。マンホールの位置と日付、写真などの調査記録。地形や建物など関連する街のデータ。通信ケーブルの工事を担当した会社と、サービスを運営する企業の記録。それぞれのデータには分析者のコメントも細かく記載されていた。


 すべてを扱う時間はない。絞り込んでいこう。まずは、通信サービスを提供する会社とマンホールのフタの模様が1対1に対応すると考えると、地下ケーブルのつながり方が予想できる。問題の発生は繁華街だから、対象はG08地区で利用されている種類に絞り込もう。ウイルスが通信ケーブルで移動するためには、そのケーブルが正常に動作している必要がある。ということは、サービスを停止した企業や工事中のケーブルは対象外。だんだんと絞れてきた。


 大量のデータから必要なデータを選び出し、微調整しながら地下ケーブルの予想図を地図に書き込んでいく。すると、G08地区の繁華街を中心として、四方八方に広がるネットワーク図ができあがった。


「俺たちも集めてきたぞ」


 タロウのデータも大量だった。ウイルスが発生した地区、被害が報告されている店舗や工場の場所、報告があった時刻と被害の大きさ、情報の発信元と信頼度。それらの情報が一覧でびっしり書き込まれている。


「ぼくも、がんばった。タロウは見落としが多い」


「おい、それは秘密だろ」


 ノラは耳をたたんで、尻尾を振る。


 タロウから受け取ったデータを地図の上にまとめる。ウイルス被害が大きい場所は大きな円で、逆に被害が小さい場所は小さな円。新しい報告は赤色、古い報告は青色。信頼できるデータは濃い色、信頼できないデータは薄い色。集めたデータがひと目で分かるように、円の大きさや色を工夫しながら次々に地図へ書き込んでいく。


「できた」


 2つの地図を重ね合わせると、地下ケーブルのネットワーク図の上に、ウイルス被害がさまざまな色と大きさの円で表現される。まるで、大きく育ったサクランボの木に、たくさんのカラフルな実がなったよう。


 そして、実が枝と幹そして根本につながっていくように、ウイルス被害の時間を巻き戻しながら、地下ケーブルのネットワークをたどっていくと、1つの施設に行き着く。G03地区のデータ圧縮工場。


「見つけた!」


 直後にメンダコくんの爆音が鳴り響く。ノラはびっくり。タロウの修理も終わったようだ。


「そこがウイルスの増殖している場所か」


 私はうなずく。


「それじゃ、最後にもうひと仕事するか」


 私はメンダコくんにまたがる。ノラは前カゴに、タロウは再び後部座席で修理担当。


「ちゃんとつかまっていてよ!」


ハンドルを強く握り、G03地区へ向かう。

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