007:黒いウイルス
学校が始まってから初めての休日。少し遅めの昼ごはんを食べてから、仮想世界オルトタウンの公園に集合。動物園での経験から、今日は装備をしっかり持参した。
ノラを連れたタロウは、悪びれることなく遅刻した。ノラの調子を確認したら、さっそくデジタル考古学アプリを起動する。
「『通行人をカウントする』ミッションはどう?」
「俺はじっとしてるのは苦手だな」
「マンホールを調べるミッションがあるけど、D13地区はちょっと遠いね」
『公園の樹木から葉っぱを採取する』や『商店街の全ての看板の写真を撮る』などなど、一覧画面にはいろいろなミッションが並ぶ。集めた情報で何が分かるのかと、ミッションの目的を想像するのもまた楽しい。
一覧画面には、前回は載っていなかったミッションも表示されている。プレイヤーレベルが15になって、少し難易度の高いミッションにも挑戦できるようだ。その一つが『自然ドロップを探す』ミッション。
「自然ドロップってなんだろうな」
「説明文を読みなさいよ。樹木の落ち葉、看板から外れたネジ、抜け落ちた羽根、セミの抜け殻、建物から剥がれた塗料、などなど。ユーザーが直接関係しないで自然に落ちてきたものなら、何でもいいみたい」
2人で周りを見渡す。公園の中で見つかるのは落ち葉と、壁からはがれたブロックが少し。ユーザーが落としたゴミはいくつか見つかるけれど、これは自然ドロップではないみたい。
「オルトタウンで、地面に落ちたセミの抜け殻なんて見たことあるか?」
「ない。でもマンホールのミッションみたいに、探してみてはじめて見つかる発見だってあるはずだから。やってみましょうよ」
「野良AIが落ちていることもあるんだ。街の中で何が落ちていても不思議はないか」
そう言いながらタロウはノラを見る。ノラは耳をハの字に閉じて少しおどける。
「せっかくだから、ノラにも手伝ってもらいましょう」
「役に立つ。自然ドロップおしえて」
ノラの耳がピンと伸びる。
『自然ドロップを探す』ミッションの対象はG08地区。入り口に到着すると地図を起動して全体を確認する。
「達成条件は自然ドロップを32個見つけること。それぞれ違う種類でね。前回のマンホール調査と違って、すべての道を調べるようなことは必要なさそうね」
「それじゃ、みんなで歩きながら探すとするか。ノラにもいろいろ教えないとな」
「がんばる」
ノラを真ん中にして3人並んで歩き始める。休日の午後にデジタル・ペットを連れて散歩する、よくある光景。ノラがデジタル・ペットではなく、正体不明の自立型AIだという点を除けば。
街では思ったよりもたくさんの自然ドロップが見つかった。折れた小枝、色のついたガラスの破片、不格好な何かの種、壊れたブロック。セミの抜け殻はまだ見つからないけど、タロウはかわりに蛇の抜け殻を見つけた。
1つ1つ説明すると、ノラは興味を持って観察する。次第に説明していないものでも、自分で考えて判断するようになった。まさに一を知って十を知る。私たちが思っているよりも、ノラはずっと賢いのかも。
G08地区の入口から続く大通りを歩くと、にぎやかな繁華街に出た。埋め尽くすカラフルなユーザー、壁に並んで明るく点滅を繰り返す看板広告、スピーカーから流れるノイズ混じりでテンポの早い音楽。ここなら自然ドロップがたくさん見つかりそう。ノラも同じことを考えたのか、尻尾を振って少し興奮気味。
「ちょっと探してくる」
ノラは突然走り出し、繁華街の奥に消えていく。
「ちょっと待ってよ」
後を追いかけるが、人混みでなかなか前に進めない。振り返るとなぜかタロウは余裕の顔。
「まぁ大丈夫。ノラだって自由に動き回りたいときがあるだろ。尻尾につけた追跡装置で、ノラのいる場所はだいたい分かるしさ」
タロウは追跡アプリと地図アプリを連携すると、ノラの現在位置が地図の上に赤丸で表示された。赤丸の半径の大きさを考えると、追跡の精度は20mといったところか。
「でも、ノラは私たちの場所が分からないから、帰り道で迷子になるかも。通信できない遮断エリアに入ったら、追跡装置だって機能しなくなる」
「それじゃ、ノラが戻ってこられるように、俺たちはここで待っているしかないな。万が一迷子になっても、耳の後ろに個体識別番号が書いてあるから、落とし物として届けられるはず。可愛い子には旅をさせろって言うだろ」
15分後。タロウの言ったとおり、ノラは戻ってきた。自然ドロップと思われるたくさんの小さな物体を、耳と尻尾で大事に抱えて。
「やるじゃないか。果報は寝て待てとはよく言ったもんだな」
可愛い子には旅をさせろ、はどこにいったのか。
「ひろった場所もおぼえてる。送信する」
すると、私とタロウはメッセージを受信した。中身は、拾った時刻と場所の一覧、それにたくさんの写真。
「いつの間にメッセージの送信を覚えたの? 私たちのアドレスだって教えてないのに」
「データを観察して学んだ。アドレスはデータの中」
メッセージのデータは暗号化されている。仮に流れるデータを見ることができても中身は確認できないはず。それをどうやって。
「そんなことより見てみろよ、この水筒みたいな物。いったい何だろうな。拾った場所は道路脇のベンチの下か。誰かの落とし物にしては識別番号も書かれていない。スイッチやボタンもない。なにかの飾りかな」
タロウは、ノラの能力を気にする気配もなく、集められた自然ドロップに興味津々。
「相変わらず、正体不明の物体をよくそんな簡単にベタベタと触れるわね。いま調べるから、ちょっと待ってよ」
私はセキュリティ検査アプリを起動する。まずは、反射型防壁を立ち上げてから、安全調査アプリでスキャンを開始、それから……。
「これ、ひねると開くみたいだぞ」
タロウがそう言った次の瞬間、パキッと小さい音が鳴る。そして水筒のような形をした何かにヒビが入り、その間から真っ黒な液体があふれ出した。
「なんだこれ」
地面に落ちた黒い液体は、またたく間に四方に広がる。同時に、セキュリティ・アラートが大音量で鳴り響く。警告レベルは5。とても危険な状態。
ウイルスだ。
タロウの被害は大きかった。至近距離でウイルスの攻撃を受けたせいで、体の半分以上が黒焦げで煙が立っている。この様子だとアプリもほとんど使い物にならないはず。ウイルスに触れた時間は一瞬なのに。
「大丈夫? 聞こえる?」
座り込んだタロウに声をかける。
「大丈夫に見えるか? どう見たって大丈夫じゃないだろ」
この減らず口なら中身は無事だ。ノイズ混じりだが音声装備も機能している。タロウを引きずりながら道路の脇へ移動する。ウイルスから距離を取らないと。
ウイルスはゆっくりと広がっていく。表面は真っ黒で、金属のように周囲の光を鈍く反射する。スライムのような体は、触れた物に絡みついて、あっという間に包み込んでいく。
「今すぐオルトタウンからログアウトして」
「ノラはどうすんだよ。お前のうしろで震えてるぞ」
振り返るとノラが耳と尻尾を震わせて私を見上げる。
「ごめんなさい」
「大丈夫、あなたは悪くない。大雑把で不用心で人の話を聞かないタロウが悪いのよ」
「おい、聞こえてるぞ」
アイテム保管ボックスの中身を確認する。動物園の事件があったから、今日は身を守る装備を持ってきた。でも、まさか2日続けてこんなことになるなんて。
「タロウは周りのユーザーを避難させて。私はウイルスが広がるのを食い止める」
タロウとノラは、最大音量で周囲に避難を呼びかける。異変に気づいたユーザーは次々にログアウトして消えていく。さっきまで人混みだった繁華街は、あっという間に誰もいなくなった。
私は密閉エリア生成装置を取り出して、地面に突き刺す。
「半径最大でエリアを展開」
音声コマンドで装置を起動すると、地面から真上に装置が伸びていく。ビルの3階ほどの高さまで伸びると、パラソルを広げるように周囲を包み込む。半径30mの密閉エリアが完成した。
その間にもウイルスは広がり続け、まわりの店舗や設備を次々に破壊していく。けど、密閉エリアから簡単には出られないはずだ。少しは時間を稼げる。
「ユーザーは避難できたぞ」
タロウとノラが戻ってきた。
「じゃあ、これをお願い。小型の自立型防衛ドローン。空に飛ばせば、ウイルスの活動を制限できるかも」
アイテム保管ボックスから、ありったけのドローンを取り出してタロウに渡す。
私は2種類の抗ウイルス薬を混ぜ合わせて、ウイルスの中心部分に投げ入れる。汎用薬だから高い効果は期待できないけど、できることは試さないと。
タロウは防衛ドローンを1つ1つ起動して空に向かって投げ続ける。ドローンは上空を旋回し、ウイルスの薄くて弱そうな部分を攻撃し始める。あっという間に、ドローン小隊が頭上を埋め尽くす。秋のトンボの群れみたい。
それでも、ウイルスは止まらない。
「次はこれ。電磁拘束ワイヤー。2点を指定して起動すると、間の物体を地面に固定できる。液体みたいなウイルスに効くのか分からないけど」
「お前はいつもこんな物騒なものを持ち歩いてるのかよ」
「今日だけよ!」
タロウはワイヤーを設置しようと動くが、足がもつれて上手く走れない。体から吹き出る煙が大きくなる。次第に足を引きずるようになり、歩いて移動するのも精一杯になった。
投げ入れた抗ウイルス薬は効果がなさそう。となると次は、対象の時間を遅くする高負荷ジェネレーター。ウイルスの増える速度を遅くできるはず。
確実に打ち込むためにウイルスに近づく。すると、体から焦げた煙が立ち上がった。やられた。私もウイルスの攻撃を受けてしまったようだ。思ったよりも攻撃範囲が広い。
ウイルスの先端は密閉エリアの壁にたどり着き、少しずつ侵食し始めた。タロウが設置した電磁拘束ワイヤーはあっという間に引きちぎられる。防衛ドローンの攻撃は焼け石に水。手持ちの装備はもうほとんど残っていない。でも、ノラを置き去りにしてログアウトはできない。
「どうしよう。ちょっと無理かも」
諦めたようにつぶやくと、ノラから意外な言葉が返ってくる。
「果報は寝て待て」
「え?」
次の瞬間、密閉エリアが外側から突き破られる。外側から?
そしてセキュリティ治安部隊が一斉に突入してきた。部隊を構成するエージェント・ロボットは、冷蔵庫くらいの大きさで全身黄色の立方体。動物園で助けに来てくれたのと同じ。でも、今回は間に合った。
「ノラが救助を要請したの? いつの間に」
「いや、それは俺だよ」
タロウは近くにドスンと座って説明する。
「こんなウイルス、とてもじゃないが俺たちの手に負えないだろう。俺の通信機能は壊れたけど、ノラなら外部と通信できるみたいだからな。他のユーザーを避難させるとき、管理組織に連絡して助けを求めたよ」
「ぼくは、お手伝い」
「ぜんぶ自分で抱える癖、直したほうがいいぞ。ヒカリは優等生だから何でも自分でやろうとするけど、まわりに助けを求めることも大切なんだよ」
セキュリティ治安部隊のエージェント・ロボットは、ウイルスをあっという間に鎮圧する。ロボットたちは、破壊された看板を復元し、倒れた街灯を立て直し、ひっくり返ったマンホールのフタを元に戻す。繁華街が修復されていく。
「たしかに、目の前のことに一生懸命になりすぎて、助けを求めることを忘れていた。……でもねぇ、元はと言えばタロウが得体の知れない物体をあれこれイジって開けちゃうのが悪いんでしょう!」
「俺だって、まさかこんなことになるとは思わないしさ。元って言うなら、ノラが変なもの拾ってくるのが悪いんじゃないのか?」
「ぼくは、自然ドロップを集めるの手伝った。悲しい」
「ちょっと、ノラを悪者にしないでよ。だいたいねぇ……」
しばらく3人で責任のなすりつけ合いをしていると、一体のエージェント・ロボットが、静かに近づいて目の前で止まった。仁王立ちするように正面をこちらに向けると、甲高い音で話し始める。
「警告:未登録の自立型AIの存在を検知しました」
まずい。ノラは正体不明な野良AI。地区の安全を守るセキュリティ治安部隊にとっては排除すべき存在だ。
「いや違いますよ。これは俺のデジタル・ペットで、子猫の小次郎です」
タロウは嘘が下手。どう見ても子猫のサイズではない。
「にゃーん」
ノラは少しでも体を小さく見せようと、耳と尻尾を折りたたんで、猫の鳴き声を真似る。こうなったら話を合わせるしかないか。
「そうなんです。今日は天気がいいから、外で散歩もいいかなと思って。ほら、耳の後ろに個体識別番号だってあります」
「にゃーん」
ノラはくるりと後ろを向く。
「警告:その登録番号は12ヶ月前に抹消されており、無効な番号です」
「そうだった。忘れてた」
タロウのばか。
「にゃーん」
ノラはあきらめない。
「警告:仮想世界の安全保障ルール第3263条により、未登録AIの捕獲を開始します」
「ちょっと待って」
エージェント・ロボットの正面から4本のアームが出現し、ノラに迫る。
「逃げるぞ!」
タロウはノラを脇に抱えて走り出す。
「逃げるってどこに? 仮想世界オルトタウンはエージェントの庭みたいなものよ。どこまでも追いかけてくる」
そう言いながら私も走り出す。でも、ウイルスとの戦いで私たちの体はボロボロ。移動機能の故障が致命的で思うように走れない。
「秘密基地ヤネウエに行こう。電子迷彩カーテンを上手く使えば、エージェントの目をごまかせるはずだ」
エージェント・ロボットも追いかけてきた。加速しながら、あっという間にすぐ後ろまで接近してくる。
「ヒカリ!」
タロウは電磁拘束ワイヤーの一方の端を私に手渡す。
「3,2,1、今だ!」
並んで走る私とタロウが、少し間隔を開けて急停止すると、ちょうど間に割り込む形でエージェントが並ぶ。2人の間のケーブルは、マラソン大会のゴールテープのようにエージェントの体を囲んだ。素早くケーブルの端を地面に突き刺して電磁拘束を起動すると、青白い稲妻が走り、エージェント・ロボットはその場に固定された。
「どれくらいの時間が稼げる?」
「カタログによると拘束時間は5分。でも、すぐに他のエージェントが救援に駆けつけるはずだから、そんなに長くは持たない」
エージェント・ロボットが地面に固定されていることを確認して、私たちは再び走り始める。
「ここから秘密基地があるG12地区まで、移動に10分はかかる。追いつかれるな」
「管理組織に連絡してきちんと事情を説明したら、分かってくれないかな」
「拾った野良AIです、って説明して大人たちが納得すると思うか?」
「ぼくは不安」
仮に説得できたとしても、ノラが私たちのもとに残る保証はないか。
「よし、俺がやつらを食い止める。お前たちは先にいけ!」
タロウはノラを私に投げてよこす。
「なに馬鹿なこと言っているのよ。武器も装備もロクに持たない一般ユーザーがなんとかできる相手じゃないから」
「じゃあ、どうすんだよ」
少しの沈黙のあと、ノラが提案する。
「ぼくは、ひとりで逃げる。準備ができたら助けにきて」
ノラは私の腕から飛び出して、1人で別方向に走り出した。
そうか。満身創痍の私たちと一緒に逃げるより、ノラは1人で逃げたほうが時間を稼げるはずだ。私たちは秘密基地に戻って体を修理して、準備ができたらノラを助けに行く。エージェント・ロボットからノラを隠すには、秘密基地の電子迷彩カーテンが必要。だとすると、これは良い作戦かも。
「ノラが逃げ回るなら、どの地区が有利? 夏休みに歩き回ったんでしょ?」
この質問でタロウも作戦に気づいた。
「G06地区だ。複雑な道が多くて、通信遮断エリアも多い」
タロウは、走り去るノラに向かって叫ぶ。ノラは振り返らないが、代わりに尻尾を左右に大きく振る。たぶん伝わっている。
「私たちも急ごう」