006:レベルアップ
秘密基地ヤネウエに戻ってくる頃には、夕日は沈み周りはすっかり暗くなっていた。
慣れない非常階段を経由して部屋に入ると、ノラは部屋の真ん中で小さく丸まり、タロウは床に座り込み、私は椅子に座る。2人とも疲れてヘトヘトだから、動きがゆっくり。
ニュースアプリを開くと、動物園の報道が目の前に広がる。壊れた施設やロボットたちの映像を背景に、渋い顔のキャスターが解説を続ける。ロボットが暴走。原因は不明。被害状況は確認中。特に新しい情報は手に入らない。
「ヒカリ、デバッグ接続を教えて」
あんな出来事があったのに、ノラは元気いっぱい。
私はアプリを起動して使い方を説明する。ケーブルのつなげ方、データの読み方、コマンドの実行方法、プログラムの変更手順。ノラは静かに説明を聞いて、最後に一つ質問する。
「ぼくに、デバッグ接続できる?」
なるほど。ノラにデバッグ接続できれば、ノラがどこからやってきたのかヒントが見つかるかもしれない。
「試してみていい?」
「もちろん」
解析アプリを起動して、ケーブルをノラにつなげる。しかし、上手くいかなかった。接続が拒否されてしまう。
「ダメみたい」
ふと、動物園で黒いロボットにデバッグ接続したことを思い出す。あのとき、検索プログラムを実行した。ということは、私の解析アプリにはロボットの行動履歴のコピーがまだ残っているはずだ。
「黒いロボットが暴れていた理由、分かるかも」
解析アプリを起動して、保存されたデータを確認すると、確かに残っている。検索プログラムの一時データのなかに、ロボットの行動履歴がまるごと保存されていた。さっそくデータを開いて確認する。しばらく探すと怪しい履歴が見つかった。
・1303155秒前:所有者情報を削除
・1303152秒前:システムのシャットダウンを開始
・1303138秒前:活動を停止
・782秒前:システムの起動を開始
・751秒前:システムの起動を完了
・742秒前:自己診断を完了
・738秒前:セキュリティ防壁を強制的に無効化
・732秒前:不明なプログラムの実行
・728秒前:基盤ソフトウェアの書き換えを開始
・726秒前:制御システムをモード42に変更
計算アプリで時間を計算してみる。1303138秒ということは、60秒で割ると約21718分、それをさらに60分で割ると約361時間。最後に24時間で割れば、約15日。つまり、ロボットは約2週間前に捨てられて動かなくなったということだ。でも、私たちが動物園にやってきた頃に、なぜかロボットは再び動き出した。そして「732秒前」に不明なプログラムが実行されている。
不明なプログラムが実行される前後では、セキュリティ防壁が消され、基盤ソフトウェアが書き換えられている。この動作は、コンピュータ・ウイルスに感染した場合に似ている。
だとしたら、問題はまだ解決していないのかも。もし、原因となったウイルスがまだどこかに残っていたら……。
「人工生命は、元に戻る?」
動かなくなった動物たちの映像がニュースで流れると、それに反応するようにノラが質問する。
「たくさんの人が協力して修理して作り直すから、きっと動物園は元に戻る。でも一度消えてしまった人工生命たちは、完全には元に戻らないと思う」
「どうして? 人工生命はルールを組み合わせ」
「そうね。人工生命は単純なルールをいくつか組み合わせたもの。例えば、現実世界でエサを探すアリは、3つのルールがあると考えられている。歩きまわってエサを探す。エサを見つけたらフェロモンを出しながら巣に帰る。ほかの蟻のフェロモンを感じたらその後を追いかける。仮想世界でも同じようなルールをプログラムすれば、アリそっくりな動きを再現できる」
「じゃあ、元に戻せる。プログラムはコピーできる」
「でもプログラムだけでは人工生命にはならないの。周りの環境から影響を受けたり、ほかの生き物やユーザーとコミュニケーションを取りながら、人工生命は少しずつ成長したり進化していく。だから、プログラムはコピーして元に戻せるけど、人工生命の成長や進化してきた結果までは元に戻せないのよ」
「もう会えない」
「まったく同じ人工生命には会えない。でもきっと、また別の形に成長して進化した人工生命には会えるはずよ」
ノラは何も言わずに、耳を小さく折りたたむ。
「動物園が元に戻ったら、会いに行きましょう。助けてもらったゾウたちにお礼も言わないとね」
しばらく3人で休んでいると、1件のメッセージを受信した。
『ご協力ありがとうございました。集めたデータは大切に利用させていただきます。今後も《みんなのデジタル考古学》をよろしくお願いします』
アプリを起動すると、動物園で開始した緊急ミッションが完了していた。
「どうやら、動物園で俺たちが戦っている間、アプリが必要な情報を記録して、調査データとして送ったみたいだな。ミッションによっては、こんな風にアプリが自動的に記録する場合もあるのか」
すぐにもう一件のメッセージが届く。
『ミッション達成により、経験値39200を手に入れました。プレイヤーのレベルが15になりました。詳細はステータス画面で確認できます』
タロウと顔を見合わせる。レベル2からレベル15に、一挙に13もアップした。
「ゴミを100個集めて経験値300なのに、動物園の緊急ミッションはその100倍以上の経験値」
「ミッションの難しさや集めたデータの価値によって経験値が変わるのか」
タロウは興奮した口調で話す。ステータス画面を確認すると、確かにプレイヤーのレベルが15と表示される。間違いではなさそうだ。
アプリでいろいろ確認していると、突然、通話が着信する。発信元は『デジタル考古学サポートセンター』。何事かと思いながら、恐る恐る通話を開始する。
「初めまして。私はデジタル考古学サポートセンターの瀬尾と申します。ヒカリ様ご本人でよろしかったでしょうか」
大人な女性の声だが、どこか機械的。
「……はい」
「アプリのご利用ありがとうございます。プレイヤーレベルが12に到達しましたので、専任スタッフにより活動をサポートさせていただくこととなりました。ヒカリ様には、わたくし瀬尾が担当させていただきます」
「……はい?」
「タロウ様もご一緒でしょうか? よろしければ、同様にタロウ様のサポートもわたくしに担当させていただければと思います。いかがでしょうか?」
「……はい」
タロウも隣で返事をする。
「ありがとうございます。それでは、今後は瀬尾が活動をサポートさせていただきます。どうぞよろしくお願います。何かご質問はありますか?」
私があっけにとられていると、タロウが質問する。
「マンホールを調査して、一体どんな意味があるんですか?」
「仮想世界の地下には、データが流れるケーブルがたくさん埋められています。そして、マンホールはケーブルを追加したり修理するときの入り口になります。だから、マンホールの数や場所の情報を集めれば、仮想世界を流れるデータの大きさや方向が分かります。そしてデータの流れから、街が発展する様子や活動する人々の姿が推測できるのです。それなのに、地下のケーブルを管理する会社は地区ごとにバラバラで統一した仕組みもありません。変化の記録はほとんど残らず消え去ってしまうのです。だから私たちは記録するのです」
「でも、データの流れや方向が分かったとして、それはそんなに大事なことなんですか?」
瀬尾さんは瞬時に回答する。
「なにが必要でなにが不要かを判断することはとても難しいことです。だけど、それは未来の人々が判断すればいいと思います。現実世界では、古い書物や地層の化石がたくさんのことを教えてくれます。でも、例えば3億年前の三葉虫は、私たち人間の役に立つと思って化石になったわけではありません。100年前の新聞広告だって、当時の経済状況や生活文化を知るための大切な情報として今でも役に立っています。未来に何が必要かは、誰にもわかりません。だから私たちは、可能性のあるものは、すべて記録するのです」
流れ出るように滑らかな説明は、おそらく事前に用意された回答だ。でも、それ故に良く練られて隙がない回答。なるほどと納得してしまう。
瀬尾さんとタロウのやり取りを聞いて、私も落ち着きを取り戻し、状況を飲み込み始めた。
「デジタル考古学アプリはただのゲームだと思っていました。ちゃんとした目的があるのですね」
「デジタル考古学は、私たちが勝手に付けた名前です。辞書に載っているような一般の言葉ではありません。だから、デジタル考古学という聞きなれない言葉を聞くと、人は興味を持ちます。アプリをたくさんの人に使ってもらうためには工夫が必要です。ゲームの要素も、そういった工夫の一つです」
私の好奇心も、タロウの冒険心も、なんだかすっかり見透かされているみたい。
「プレイヤーの最大レベルはいくつですか? 難しいミッションにはどんなものがあるんですか? 支給される装備ってなんですか?」
タロウの質問はいつも直球だ。
「現在の最大レベルは99です。それ以外の質問については、申し訳ありませんがお答えできません。ゲームとしての楽しみが減ってしまいますから」
やはりミッションの内容については教えてくれないか。
「他のプレイヤーの数やレベルについては教えてもらえますか? レベルの高いプレイヤーがいれば、私たちの目標にもなるかなって」
「リリースしたばかりでまだまだプレイヤー数は多くありません。高レベルのプレイヤーもレベル20台が数人いる程度です」
「ミッションは一度クリアしたらもう二度と挑戦できないのですか?」
「一度限りのミッションと、時間をおいて定期的に実施するミッションの2種類あります。マンホールの調査は定期的に実施します。時間が経過すると、マンホールも変化するためです」
「その一度限りのミッションは、早い者勝ちですか?」
「はい。その通りです」
その後もいくつか質問したけれど、オルトタウンの秘密につながるような情報は聞き出せなかった。最後にお礼を言って、通話を終了した。
「誰よりも早くレベル75に到達する必要があるな」
「そうね。未確認の人工知能を発見するミッションを、別のプレイヤーに取られるわけにはいかない」
「10ぐらいのレベル差なら、十分に追いつける範囲だ。これから忙しくなるぞ」