002:デジタル考古学
登校初日。学校でタロウと会ったのは、最初の休み時間だった。
「こうやって現実世界で顔を合わせるのは、ずいぶん久しぶりね」
「ああ。でも俺は、学校だって仮想世界で十分だと思うんだけどな」
タロウは明らかに寝不足。日焼けした肌、寝ぐせまみれの髪、目の下にはクマ。仮想世界では手に入らない情報ばかりが目に入る。
「その様子だと、宿題の残りを片付けるのに、ずいぶんと時間がかかったみたいね」
タロウは大きなあくびをしながら、うなずく。
「それで、ノラの様子はどうなの?」
「秘密基地ヤネウエで静かにしているよ。なにか妙な動きがあれば、通知が来るように設定してあるし、カメラを使ってリアルタイムで室内の状況を確認することもできる。少し画像は荒いけど、ほら」
タロウはポケットから携帯端末を取り出し、画面を見せてくれた。雑然とした部屋の真ん中に、青くて丸い球体の姿を確認できる。
画面をのぞき込む私を見て、タロウは言う。
「ヒカリもその様子だと、家でいろいろ調べてきたんだろ。なにか分かった?」
明らかに寝不足なのは、私も同じだったか。
「それじゃ、休み時間も残り少ないから手短に。仮想世界オルトタウンでの不思議な出来事についての報告は、思ったよりもたくさん見つかった。隠れて繁殖する人工生命とか、正体不明のウイルス感染とか、空を飛ぶ未確認飛行物体とか。そして、なかには自然発生したAIに関する報告も」
「信用できる情報なのか?」
「確かに、都市伝説のような噂話や、人目を引くための偽情報もたくさんある。すべてがデジタルデータで構成された仮想世界で、100%信用できるものは少ない。でも、オルトタウンには、私たちの知らない何かが隠されていると思う」
「そもそもオルトタウンの成り立ちも良く分かっていないみたいだし。調べてみるのも面白そうだな。でも、何が嘘で何が本当からない世界で、どうやって調べればいいんだ?」
「ひとつアイデアがあるのだけど」
話に割り込むようにチャイムが鳴って、休み時間の終わりが告げられる。
「とりえあえず、調べた結果はメッセージに添付して送っておくから。ちゃんと読んでおいてよね」
「おう。それじゃ、放課後に秘密基地に集合だな」
いつもより早い放課後。リビングで軽めのお昼を済ませて、自分の部屋に戻る。ヘッド・マウント・ディスプレイを被って、オルトタウンにログイン。
現在地点はA04地区の小さな広場の出口。昨日の夕方にタロウと別れてログアウトした場所だ。オルトタウンでは瞬間移動はできないから、前回ログアウトした場所から再び始まる。タロウから送られてきたメッセージで座標を確認して、地図を頼りに秘密基地ヤネウエへ向かう。
秘密基地ヤネウエは、本当に屋根の上にあった。高いビルの間に建てられた3階建ての一軒家。その屋根の上に、物置みたいな建物がちょこんと置かれている。うまくビルの影になって、外からは見つかりにくい。はたして一軒家の持ち主に許可を取っているのだろうか?
「大丈夫なの?」
一軒家の前で待っていてくれたタロウに話しかけると、自信満々で答えが返ってくる。
「もちろん。隣のビルの非常階段から飛び移るから、誰にも気づかれない」
「いや、そういう意味ではなくて」
「入り口には認証装置をつけて、鍵を持っているユーザーしか入れない。振動検知センサーや監視カメラも設置したから、防犯対策もバッチリ。秘密基地のまわりには電子迷彩カーテンを貼り付けてあるから、巡回ドローンに気づかれる心配もない」
「いや、そういう意味でもなくて…」
話の途中でタロウは非常階段を登り始めた。私は慌てて後ろを追いかける。
秘密基地の中は、よくわからないガラクタが天井近くまで積み上げられていた。タイヤやエンジンだけでなく、何に使われていたのか分からないようなパーツもたくさん。自由に動けるのは部屋の半分ほど。
野良AIのノラは、部屋の中央に置かれていた。姿かたちは昨日と変わらず、青いボーリング玉のよう。
「タロウ、おかえり。ヒカリ、こんにちは」
ノラは私をしっかり憶えていた。
「ノラは昨日から変化なし。でも、このままだと少しさみしいからな。いくつか持ってきた」
タロウは、アイテム保管ボックスから小物を取り出して、ノラに取り付け始める。頭に付けた2つの三角形は耳、うしろにつけた長いヒモは尻尾か。
「これなら、外に連れ出しても怪しまれないだろ」
少し前に、仮想世界オルトタウンでデジタル・ペットが大流行した。子犬ぐらいの大きさで、走ったり鳴いたりしながら飼い主の後を追いかけてくれる。流行はあっという間に過ぎ去ってしまったけれど、ノラの姿はそれを思い出させる。そういえば、タロウはデジタル・ペットに熱心だったな。
「よし、次は服だな」
そう言うと、タロウは部屋に散在するガラクタの山をかき分けて材料を選び出す。穴の空いた帽子、壊れた照明のカバー、片方だけの手袋。一通り材料がそろうと、ハサミで切って、針と糸で縫い合わせ、もくもくとノラに似合う服を作っていく。
「それじゃ、私もいろいろと調べさせてもらおうかな」
私はアイテム保管ボックスから装備を取り出して、近くにあった机の上に並べる。形状測定スキャナ、病原体感染判定キット、不正通信検出ツール、構造分析プログラム、活動ログ記録ストレージ、反射型防壁、他にもいろいろ。
まずは、反射型防壁を起動して、予想外の事態に備えておく。攻撃を受けても防壁が守ってくれるはずだ。
「痛くしないから、少しじっとしてね」
最初は、病原体感染判定キットで、悪意あるプログラムの感染を調べる。コンピュータ・ウイルスだけでなく、トロイの木馬やワームへの感染なども調べてくれる優れもの。
次に、不正通信検出ツールで、外部への通信をチェックする。スパイウェアがバックドアを通じて秘密データを盗み出すような活動があれば、これで見つけられる。
構造分析プログラムを使えば、AIの中身の分析できる。けど、これはノラには使えなかった。自己防衛の機能なのか、接続が拒否されてしまう。ノラの内部を調査するのは難しそう。
手持ちの装備を使ってノラを調べ続ける。ノラは、たまに耳をピョコピョコ、尻尾をフリフリしながら、文句も言わずに付き合ってくれた。そして、あっという間に2時間が経過する。
タロウも作業を続けている。現在はサングラスを作成中。ほぼ完全な球体のノラに、動いても落ちないようなメガネを装着するという難しい問題に四苦八苦している。目の前のことに集中すると無口になるのは私と同じだ。
「そういえば、さっきメッセージで送った調査結果、読んでくれた?」
「A4サイズで64ページもある資料なんて、読むわけないだろ。どのページも文字で埋め尽くされて、白い部分のほうが少ないくらい。頼むから3行ぐらいにまとめてくれよ」
「これでも、頑張って半分にまとめたんだから。我慢して読みなさいよ」
タロウは急に聞こえないふりをして話題を変える。
「ところで、アイデアってなんだ? 学校で言ってたやつ」
仕方ない、話を進めるか。
「昨日の夜、いろいろと調べている中で、ひとつ面白いアプリを見つけたの」
そう言いながら、私は指で操作して目の前に画面を広げ、アプリを起動する。アプリの名前は《みんなのデジタル考古学》。
「考古学って、地面を掘り起こして昔の遺跡とかを調査することだろ。デジタルってことは、この仮想世界オルトタウンで古いなにかを調査するのか?」
「基本的にはその通り。アプリの説明書にはこう書かれている」
アプリの説明画面を表示して、書かれた文章を読み上げる。
『デジタル考古学とは、仮想世界オルトタウンの記録を残し、後世に伝えること目的とした活動です。現実世界では1000年以上前の書物が保護され、何万年も前の生き物が化石として残っています。同じようにデジタルな仮想世界でも、未来の人々の役に立つ情報がたくさん眠っています。しかし、それらの多くの情報は忘れ去られ消えてしまうのです。私たちは、そのような情報を収集し保存するために活動しています』
「つまり、仮想世界でアプリを使って、データを見つけて記録するってことか。でも、オルトタウンのデータは、すべて保存されているんじゃないのか?」
「重要なデータは丁寧に何重にも保存されている。でも、オルトタウンの中を流れるデータはとっても多いから、ほとんどのデータは保存されずに消えていってしまうの」
「たしかに。こうやって俺たちが会話しているだけでも、声や表情や体の動きが、データとしてたくさん生み出されるわけだろ。オルトタウンのすべてのユーザーがそうやってデータを生み出し続けていると考えると、全部のデータを保存するなんてとても無理な話か」
「そうね。現実世界と同じようにオルトタウンでも風が吹いたり、物が壊れたり、人工生命が動き回ったりして世界は変わり続けている。でも、その変化の多くは保存されることなく流れていくだけの、とっても儚いデータなんだと思う」
オルトタウンで今までに生み出されてきたすべてのデータ。とても想像できない。
「で、そのデジタル考古学とかいうアプリと、ノラの秘密にどんな関係があるんだ?」
私は説明文の続きを読み上げる。
『しかし、オルトタウンの記録を取るのは、簡単なことではありません。忘れられた空間に残る朽ち果てた通信装置、都市をつなげる細くて長い秘密の通路、寝静まった夜に動き出す未知の生物。オルトタウンには、たくさんの秘密とデータが隠されています。そんな秘密を解き明かし記録として残すことは、とても難しいことです。でも大丈夫。私たちは、この《みんなのデジタル考古学》アプリを通じて、皆さんに情報を提供し、装備を貸し出し、時には一緒に行動することで、皆さんをサポートしていきます。さあ、この世界の秘密にたどり着き、記録しましょう』
タロウは興味深そうに話を聞いてくれる。ここから先は要約して説明しよう。
「このアプリでは、アプリを使う人つまりプレイヤーにレベルが設定されているの。指定された問題を解決していくと、どんどんプレイヤーのレベルが上がっていく。そしてレベルが上がると、難易度の高い問題に挑戦できるようになる。その問題をアプリの中ではミッションと呼ぶのだけど、レベルが上がるとミッションも難しくなるって仕組みね」
「そういうのゲーミフィケーションっていうんだろ。勉強や仕事にゲームの要素を取り入れる。例えば少しずつ難しくなるとか、他人と競争できるとか、報酬が手に入るとか。そうやって、退屈な仕事や興味のない勉強でも、ゲームの要素を取り入れることで、気づいたら夢中になって楽しんでいる。俺もつい最近、街を歩いてモンスターを手に入れるゲームにはまってさ。気づいたらとんでもない距離を歩いていた。そうそう見てくれよ、このモンスター。条件がまた難しくて……」
脱線し始めたタロウの話をさえぎって、説明を続ける。
「面白いのはここから。《みんなのデジタル考古学》アプリの説明では、難易度の高いミッションについて、実際の画面を例に挙げながら説明しているの。ちょっとこれを見て」
アプリの説明画面を下にスクロールして、ミッションを説明している個所を表示する。
「これが、レベル75で表示されるミッション一覧画面。小さくて読みづらいけど、画像を拡大してコントラストを調整すると、こんな風に読める」
・A02地区の動物園で、情報積層から第25世代の人工生命に関する痕跡を見つける
・A12地区とF32地区の間で、古い地下トンネル遺跡を調査する
・B31地区の工業エリア研究施設の周辺で、未確認の人工知能を発見する
・G12地区の上空で、未確認飛行物体を追跡し捕獲する
……
「この『未確認の人工知能を発見する』のミッションか」
「そう。しかも難易度の高いミッションに挑戦するときは、重要な情報やヒント、そしてときには高性能な装備まで支給してくれるって説明書には書いてある」
「なるほど。デジタル考古学アプリでミッションをクリアしてレベルを上げていけば、オルトタウンの不思議や秘密に近づける。そしてその中には、ノラにつながる秘密もあるってわけか」
私は大きくうなずく。
「でも、この小さな画面が本物とは限らないだろ。説明のために適当に作った偽物の画面かもしれない。実際にレベル75に到達したプレイヤーは存在するのか?」
「最近リリースされたアプリだから、情報は少ないの。いろんなコミュニティを検索してみたけど、最高でもレベル18のプレイヤーまでしか見つからなかった」
もう少し調べてみるつもりだけど、確証が得られる自信はない。でも。
「それじゃ、とりあえず試してみるか。ゲームでレベルアップは俺の得意分野だしな」
タロウなら、そう言ってくれると思っていた。
「せっかくだから、ノラも一緒に。ずっと部屋の中にいたら退屈でしょう。少しは外に出て、散歩でもどうかしら」
ノラが反応して、耳をパタパタする。正体不明の野良AIが、散歩が必要なのかは分からない。でも、耳と尻尾をつけ、サングラスをかけるノラの姿を見ていると、外で一緒に歩いてみたくなる。
「よし。それじゃ行こうか」
秘密基地ヤネウラから出ていくには、入ったときと同じように隣のビルの非常階段を使う。タロウはノラを脇に抱えて、慣れた足取りで非常階段を駆け下りる。私は一人で精一杯。
ノラとタロウと私の3人で、仮想世界オルトタウンの街を歩く。いくつもの家があり、ビルがあり、駐車場があり、舗装された道が続く。でも現実世界と違い、空をおおう電線や、道沿いの自動販売機は見当たらない。小さな違いだけど、それだけでもずいぶんと世界が違って見えるから不思議だ。
街の昼間の景色にノラは興味津々。サングラスの隙間から見えるいくつもの小さい穴がせわしなく動く。ピョンピョンと飛び跳ねるその姿は、犬や猫に似せたデジタル・ペットにそっくり。
「散歩はどう?」
私が話しかけると、ノラは振り返って答える。
「散歩はたのしい」
「こういうのは初めて?」
「わからない。記憶は少ない」
「一番古い記憶はいつ?」
「52時間13分27秒前。青い空をおぼえてる」
約2日前か。ニュースアプリを起動して2日前の出来事を検索してみるが、ノラにつながるような情報は見つからなかった。
しばらく歩くと、地区で一番大きな公園に到着した。3人でベンチに座る。
「さてと」
タロウはさっそく《みんなのデジタル考古学》アプリを起動する。目の前に大きな画面が広がり、利用開始画面が表示される。専門用語がちりばめられた小さい文字の利用規約を下まで一気にスクロールして「同意する」ボタンを指で選択。読み込み中を示すアニメーションが一瞬表示され、すぐに画面が切り替わった。
・A03地区にある3つの公園の樹木から葉っぱを採取する
・A05地区の中央交差点で一時間に通行する人の数を数える
・A08地区のフラワー商店街で全ての看板の写真を撮影する
……
A地区からZ地区までにわたる、数え切れないほどのミッションが画面に表示される。それぞれには、場所や条件の指定、そして注意事項などの説明が書かれている。
「自分で好きなミッションを選べるみたいね」
私も同じようにアプリを起動して、ミッション一覧を確認する。内容はタロウと同じようだ。
「プレイヤーのレベルは1から始まるみたいだな」
「なにか選んでみましょうよ」
2人でしばらく画面とにらめっこ。やはりプレイヤーのレベルとミッションの難易度は連動するみたい。レベル1の私たちに提示されたミッションは、どれも簡単なものばかりだった。
「俺は『マンホールの写真を撮影する』ミッションを試してみるか。G11地区ならすぐ隣だし」
「私は同じG11地区の『100個のゴミを集める』にしようかな。街をきれいにしながら、ノラを散歩できて、そしてミッションも達成できる。一石三鳥」
「ぼくも、手伝う」
ノラは飛び跳ねて主張する。
「ノラに仮想世界オルトタウンのこと、いろいろ教えてやれよ」
そう言うとタロウは立ち上がり、1人で走りはじめた。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「俺は先に行くよ。なにしろ地区の全部のマンホールを調べなきゃならないからな。終わったら合流しよう」
タロウは走り去っていった。なんだかノラを押し付けられたみたい。
「それじゃ、私たちも行きましょうか」
「ぼくも、手伝う」
私とノラはG11地区に向かって歩きはじめた。