情報技術社会のホットリーディング
その鈴谷という女と知り合いになった切っ掛けは、俺の声が大きかったことだった。喫茶店でスマートフォンで友達と喋っていると、「あの……、失礼かとも思ったのですが、話し声が聞こえてしまって」と彼女は話しかけて来たのだ。
地味な見た目の女でタイプではなかったし、どうせ俺の声が煩いとか文句を言って来るのだと思った俺は、始めは追い払おうとした。いや、声が大きい性質の所為で、よく注意をされるんだよ。まぁ、俺が悪いんだが。だからその時もそうだと思っていたんだ。
ところがその女は「ホットリーディングを知っていますか?」とか変な事を聞いて来たのだった。
俺はそれを知らなかった。だから、「知らない」と答えると、その女は、
「相手の情報を予め調べておいて、信頼を得る心理テクニックを言います」
と、教えてくれた。
それで俺はどうしてこの女が話しかけて来たのかピンと来た。
「もしかして、心配をしてくれているのか?」
その女が話しかけて来る前、俺は友人とネット上で知り合った占い師の話をしていたのだ。
俺は実名で登録するのが基本のSNSに参加をしている。住んでいる地域や職業も分かってしまう訳だが、そのお陰でかつての友人なんかとも連絡が取れて意外に楽しい。しかしそんなある日、そのSNSで占い師を名乗る変な奴がコンタクトをして来たのだ。
俺は占いなんか信じる性質じゃないから、相手にする気なんかなかった。ところがどっこい、そいつは俺について色々と当てて来るのだ。彼女の事とか、親兄弟の事とか、仕事で上手くいった事とか、逆に失敗した事とか。それで次第に怖くなった。
まず初めに疑ったのは、俺自身がSNSでそんな話を書いてしまっている可能性だった。忘れているだけで、そのSNSではなくとも、何か他のネットサービスで触れてしまっているかもしれない。
が、少しは書いてしまっていたが、その占い師が言い当てた内容のほとんどを俺はネットで書いたりなんかしていなかった。
次に疑ったのは盗聴だ。
知らない間に部屋に盗聴器が仕掛けられている事があるらしいのだ。俺はアパートを借りているのだが、そういう場合は特に多いという。前の住人が仕掛けていったという可能性もある。
そこで俺はわざわざ盗聴器を調べる業者に部屋を調べてもらったのだが、盗聴器は発見できなかった。事情を説明するとその業者は「テンペスト攻撃かもしれません」と聞きなれない話を教えてくれた。
テンペスト攻撃というのは、コンピューターやその周辺機器の類から放出される微弱な電磁波を傍受して情報を盗み取る手段を言うらしい。
そんな事ができるのか、と俺は驚いてしまった。情報技術社会の盗聴方法には様々な手段があるものだと感心する。
俺のいるアパートは部屋の壁が薄い。俺は少しそれも疑った。が、直ぐに「ないな」と結論付けた。隣の部屋の住人は、俺が引っ越して来た時には既にいたのだ。俺を狙っている詐欺の占い師が、偶々俺の引っ越し先の隣の部屋に住んでいるなんて偶然が起こるはずがない。
それに、そもそも、俺はパソコンにそんな情報は打ち込んでいないんだ。なら、傍受しようもないではないか。
どれだけ疑っても占い師がどうやって俺を調べたのか分からなかったものだから、俺は「この占い師は本物じゃないのか?」と思い始めた。
なら、ちょっとくらい相談をしてみても良いかもしれない。
俺はその喫茶店で、そんな話をスマートフォンで友人としていたのだ。それを鈴谷とかいう女は聞いていたのだろう。
「仮にそのホットリーディングだとして、どうやって占い師は俺の情報を仕入れたんだよ?」
鈴谷という女にそう訊いてみると、女は「アパートの部屋に住んでいるのですよね? その部屋を引っ越してみようとは思わないのですか?」と言って来た。
鈴谷も盗聴を疑っているようだ。
「思わないよ。俺は声が大きいだろう? その所為で近所の住人からよく苦情を言われるんだが、今の隣の住人は何も文句を言って来ないんだ。だから都合が良い。それに盗聴器は既に調べたんだ。なかった」
すると、女は「そうですか……」と言って少し考えると、
「では、スマートフォンで友人と話している振りをして、大噓を喋ってみてください。もし盗聴されているのなら、その占い師はその嘘をあなたに語るはずです」
俺はそれに「なるほどな」と言った。その方法は思い付かなかった。
「もし占い師が私の考えた通りに嘘を喋ったならそのアパートは引っ越した方が良いです」
と、それから女は忠告をしてくれた。
「分かったよ」と俺は返す。未知の手段で盗聴されているのだとすれば、確かに引っ越した方が良い。
俺は鈴谷に言われた通りに、一人で部屋で大嘘を喋った。
「聞いてくれ。上司に恋人を寝取られたんだよ。悔しくて堪らない。復讐がしたい!」
リアルに言えたと思う。実は演劇部に所属していた事があるからこういうのは自信があるんだ。
するとなんと鈴谷の言う通り、占い師はそれを俺に言ってきたのだった。『恋人を取り戻したいのなら』とか、『復讐がしたいのなら』とか。
それに俺は『やっぱり盗聴してやがったか! それは俺の嘘だ! 俺は部屋で嘘を喋ったんだよ!』とコメントを返してやった。
「覚悟しろよ! 絶対に見つけ出して捕まえてやるからな!」
その時、パソコンの前で思わず大声を上げてしまった。その声に隣の部屋の住人は驚いたのか、こけたような物音がした。「あっ すいません」と俺は謝った。また迷惑をかけてしまった。
「あんたのアドバイスのお陰で助かったよ。やっぱり盗聴されていたみたいだ」
それから数日後、俺は偶然に道で鈴谷を見つけるとそうお礼を言った。どうやら近所に住んでいる女学生らしい。
「そうですか。なら、引っ越すのですか?」
「ああ、悔しいけど、気持ち悪いからな。ただ、俺の大声を我慢してくれる隣の住人も引っ越すみたいだから、あのアパートにこだわる理由も別にないんだ」
「隣の人が引っ越すのですか?」
「ああ」
すると鈴谷は軽く頷き、「なら、もう引っ越す必要はないかもしれません」などと言うのだった。
「引っ越す必要がない? 何でだよ?」
「盗聴していたのは、恐らくは隣の人だったからですよ」
「隣の人?」
「はい。確証は持てなかったので前は言わなかったのですが、こんなに都合の良いタイミングで逃げるというのなら、ほぼ間違いなくそうではないかと思われます」
俺はその鈴谷の言葉に戸惑った。
そして、「いやしかし、盗聴っていったい、どうやって……」と言いかけて気が付く。
「あ、そうか。俺は声が大きいから」
「そうです」と鈴谷は頷く。
「あなたの声はとても大きい。聞き耳を立てれば、隣の部屋からでも容易に聞こえるでしょう」
「いやいや待て待て。おかしいぞ。隣の部屋の住人は、俺が越してくる前から住んでいたいたんだ。予知能力でもない限り、俺の引っ越し先を知る事なんてできない」
それができるのなら、盗聴なんて詐欺はそもそも必要ないだろう。
が、鈴谷はその疑問にもすんなり答えるのだった。
「それは恐らく、プロセスが逆なのですよ」
「逆?」
「はい。隣の人は、多分ですが、隣から聞こえて来るあなたの声であなたの個人情報を知ったからこそ、占い師の振りをして騙そうとしたのですよ。個人情報を知っているのだから、SNSで検索をかければあなたのアカウントを探すのだって容易だったでしょう」
「なるほどなぁ…… ちくしょうめ!」と俺は呟く。
「特定の誰かの情報を調べるのではなく、偶然に手に入れた誰かの情報から、その誰かをネットで調べる。
或いは、これは情報技術社会のホットリーディングと言えるかもしれませんね。充分に注意をするべきだと思います」
鈴谷がそう言う。
本当にそうだと俺は思った。