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落ちてくる人  作者: つっちーfrom千葉
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落ちてくる人 第十話


「そういえば、奴の家族が近くに住んでいるという話があったな……。どうしよう? こちらの手で殺害する前に、家族には最期の姿を見せてやろうか? どうせ面会させるのであれば、まだ死んでいないうちの方がよいだろう……」


 警部は独り言のようにそう呟いた。


「通常の時空にあった場合、もちろん、彼は数秒後にはあの世行きです。どんなに速い乗り物で駆けつけようとも、生前の姿に対面することは不可能であります。面談の機会を与えることは、通常の秤では不可能であった、大きな喜びを双方に与えることにもなります。論理的に考えれば、遺族をすぐにここへ呼ぶべきです。彼の肉体は膠着していますが、正確にいえば死んでいません。今は死亡数秒前の状態にあるわけですから」警部の部下は、そう主張して譲らなかった。


「では、遺族をここへ呼ぶとして、彼らがあの男を助けてやってくれ、と泣き叫んだ場合、処刑は中止にするのかね? それとも、そういった要望のすべては公権力の行使により突っぱねるのかね? どうせまた、無駄な議論の堂々巡りになるぞ。本人は元々自殺志願者だったのだから、ひと悶着が起こる前に、とりあえず、銃殺してしまって、遺族や関係者には事後連絡することにしないか? 人ひとりの命にこれ以上時間を取られるよりも、この案の方がいくぶん前向きで柔軟だと思うがね……。いや、実際、この事件にはもう疲れたよ。もし、ここから解放されるのなら、一般市民を前にして、頭のひとつやふたつくらい下げてやってもいい……」


「しかし、まだ、これが絶対に自殺だとは断言できません。先ほど、肉屋さんから、人というものは『もし、捨てたはずの命が助かったなら』簡単に意思を覆せる生き物だ、という趣旨の話がありましたけれども、私もその意見に賛成なのです。この危機からもし脱することができたなら、彼はある意味で別の人生へと生まれ変わることになるのかもしれません。人生の素晴らしさなるものをとくとくと語り、やがては、歴史に名を残すような明言を吐くかもしれません。彼を殺すか否かを我々だけで決断はせず、遺族の意見も聞いてみるべきです」 部下は興奮しているのか、やや早い口調でそのように反論した。


「君の言っていることはよく理解できるよ。しかしね、自分の肉親の処断について尋ねられた場合、『はい、殺してしまっても構いません』と即答できる模範的な家族が世の中にいると思うかね? おそらくは家族全員が感情的になり、九割以上の確率で反対されるぞ。『まだ、生きているかもしれないのなら、どうか、本人の意思も聞いてやってくれ』などと、しつこくせがまれるに決まってる。そうなったら、どうする気だ? 我々はまた打つ手をなくすことになる。生かすもダメ、殺すもダメになると、あと何時間ここに足止めさせられるか分からんわけだ。君はそうなってもいいのかね?」


「何の罪もない一般市民を国家公務員が裁くことは自然法に照らしても許されることではありません。もう少しだけでも、様子を見るべきです」


 部下は次第に強い口調になって、そう返答した。警部は激昂して右足でアスファルトを思いっきり蹴り上げた。


「仕方がない。それならば、無線を使って署の上層部にお伺いをたててみよう。うちの上役も無能揃いだが、何らかの良策が得られるかもしれない」警部は一度歩道脇のパトカーまで戻り、無線を用いて本庁の幹部を呼び出した。


「あっ、T様ですか? お呼び出しして申し訳ございません。今、ちょっと厄介な騒動に巻き込まれておりまして……。はい、すっかり手を焼いている次第なのです……。ええ、そうなんです。正午過ぎにですね、何らかの理由でビルの屋上から飛び降りた中年男性が、この時間になってもまだ降りてきませんで……。このままでは、自殺にも他殺にもならんわけです。我々もさすがにうんざりしているわけです。いったい、どのように解決したものでしょう?」


 警部はこれまでには見られなかった低い物腰で、上司に現状を訴えていた。


「はあはあ、なるほど、自殺にせよ他殺にせよ、それが超常現象に阻まれているのであれば、それは刑事事件とはいえないと……。はあ、そういうことでしたか。それは、この現状を放棄して、署に戻っても構わないということですな……? 何ですって、この近くの区画で今もっと厄介な事件が起きていると……。では、我々の方としましても、このくだらない現場を早いところ切り上げて、そちらの方に合流をした方がよさそうですな。素晴らしいご助言をありがとうございました」


 警部は無線機を置くと、パトカーから出て、再び現場に戻ってきた。先ほどまでの苦渋の顔から溌溂とした明るい表情に変わっていた。


「たった今ね、本署のお偉いさんのご意見を伺ったのだが、それによると、未だに空中にいるあの男が事故で落ちてきたにせよ、自殺で落ちたにせよ、地面に激突するまでは刑事事件にはならないそうだ。つまりは、まだ我々が仕事に取りかかる段階ではないということだ。ははは、言われてみれば、まさにその通りだったな。よし、よかった! これで解決だ! お集りの皆さん、我々はこれにて退散させて頂きます。もし、万が一、この事件に動きがあったときは、再度ご連絡をください」


 警察関係者はそれだけ言い残して、パトカーに乗り込もうとしたが、そんな無法が許されるわけもなく、後方においては市民たちによる罵声が激しく飛び交っていた。


「あんたたちは、最初から面倒になったら逃げ帰る算段だったんだろ? こっちはきちんと税金を納めているんだぞ。ちゃんとした仕事をしてくれよ」


 肉屋はそう叫ぶと、引き上げようとする警察官たちの前に颯爽と立ちはだかった。いったい、どんな精神構造の変化が起きたら、ただの肉屋にここまでのセリフを吐かせるのかについては、私にはまったく分からない。ただ、ここで言うまでもなく、彼は異常なほど短気な人間で、これまでのやり取りにより、すっかり熱くなっていた。


「何度も申し上げますが、いくら警察とはいえ、起きてもいない未来の案件には手を出し兼ねます。それでは、納得いきませんか? では、『なるべく、上を見ないで歩け』との看板を作って、この近くに設置しておきましょう。皆さんの言うように、あれを見て、ここを通るたびに気分を害する人がいるかもしれませんからな。実際のところ、我らの仕事としてできることは、そのくらいですね」


 警部と部下二名は我々通行人の批判を事前に封じる形でそうまくし立てて、そのまま、路肩のパトカーに乗り込もうとした。我が国の民衆が収めている多額の税金がきわめて有効な使い方をされているという噂と新聞記事は、どうやら真実らしい。


ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

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