第7章 サヨナラ 吉兵衛さん
「吉兵衛さん、おはようございます。眠れましたか」
「お陰様で、ぐっすり眠れました」
「それは、よかったです。スポーツ新聞各紙の、1面に、昨日の、暴動事件が載ってます」
「さようで、ござろうな」
「今朝、監督さんから、お電話をいただきました、半神球団は、覆面太郎の正体を謎のままにして、引退ということにするらしい、と仰ってました」
「ありがたい、拙者の一番望むところじゃ」
「吉兵衛さんに御迷惑のかからない方法が、1番良いだろう、とおっしやっておられました」
「そうして頂ければ、儂としては、願ってもないことでござる」
「覆面太郎が、来年もプレーするなら、正体を発表する意味も必要もあるだろうが、覆面太郎が、どこの誰なのか謎を残したまま引退させてあげるのが、一番良いのではないかということらしいです。社長と監督と私しか、吉兵衛さんの正体は知りませんからね、3人が喋らなければ、総ては闇の中ということになります」
「そうしていただければ、本当に助かるが、しかし、そなたにとっては、儂から聞いた話を、新聞に載せて記事にしなければ、全部無駄になってしまうだろう」
「いえ、良いんです、吉兵衛さんを困らせてまで、私の手柄に、しようとは思いませんから」
「それより吉兵衛さん、元旦に地球に来て、大晦日に四次元にお帰りなさる、という御予定でしたよね、あと2か月程残ってますが、その間、いかがされますか?」
「うん、まず、儂の故郷の、徳島県穴葺村に行く、そこは幽邃(奥深く静か)で、村中の家の表札が(住吉)なんだ、店の屋号も住吉なにがし、屋敷名も住吉屋敷、庭園も住吉庭園なんだ。光仙寺という寺に住吉家先祖代々の、お墓がある、まっ先に、お参りしたい。それと、子供の頃、よく登った、山河村の山にも登ってみたいな。 その次は、妻の故郷だな、妻と出合い、所帯を持った愛媛県美島村だ、鈴樹家の、お墓参りもしたい」
「私が、車で、ご案内させていただいても宜しいでしょうか?」
「お仕事は、どうされる」
「それは、大丈夫です。なんとでも、なりますから」
「儂なんかと同行しても、ちっとも楽しくないぞ」
「そうでもないですよ」
「好きにせい」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、拙者の方でござる」
「四次元界に、お帰りになられたら、向こうでは、どんな生活が、待っておられるんですか?」
「あの世での、拙者の居る位置は、地獄界よりは、少し上なので、好きな本を読んだり好きな趣味等が出来る、儂は、毎日剣術の稽古をしている、そして閻魔大王様が素晴らしい教えを下さり、有難い御修行をお与え下さる」
「それは、良い生活を、されてますね」
「ありがたいことでござる」
その時、部屋の電話が鳴った、
「分かりました、ご連絡ありがとうございます」
森記者が受話器を置いた。
「何だ」
「吉兵衛さん、昨日の没収試合は、コミッショナー裁定で引き分けになりました、これで、今年の優勝は拒人ジャイアンツに決まりました。吉兵衛さんの個人成績は49勝と99号で終わりました、残念です」
「そうですか、いや良いんです良いんです、かえってその方が良いと思います、1年しかいない拙者が50勝とか100号とかの大台に乗せては、これから球界を背負っていく方達に失礼です。それより、半神が優勝を逃し、画竜点睛(事を完成する最後の仕上げ)出来なかったことだけが、心のこりです」
「吉兵衛さんは、優しい方ですね」
「そんなことはないですよ、1年間、本当に楽しませていただきました。剣術での道場破り以上の修行を、させていただきました。真に、かたじけない」
「いえいえ、私も吉兵衛さんと知り合うことが出来て、本当に感謝してます、ありがとうございました」
「まあ、これで、今年の半神タイガースの試合は、すべて終わったわけだから、拙者も無罪放免じゃな、もう覆面を脱いでも、よろしいでござるな?」
「はい、覆面を被ってなければ、誰だか分りません、かえって、その方が都合が良いです」
「やれやれ、1年間、うっとうしかったよ」
「御苦労様でした、これでいつでも穴葺村と美島村に行けますね」
「お主の御仕事の御都合がつき次第、出かけるということで、お願いしたい」
2日後、二人は出発した。
穴葺村と美島村を周り、墓参りをし、吉兵衛が子供の頃、遊んだという山にも登った。
「いやー、ありがとう、ありがとう、お陰様で、もう、思い残すことは、なくなった」
「良かったです」
「予定よりは、少し早いが、ここらで娑婆を離れ、四次元界に戻るとするか」
「えーっ、もう少し、いて下さい」
「マスコミに見つかる前に、姿を消さしてもらうよ、森さん、たいへんにお世話になりもうした」
「そうですか、吉兵衛さん、ありがとうございました」
「さらばじゃ」
一瞬にして、吉兵衛は消えた!
「サヨナラ 吉兵衛さん」
その後、荒川球団社長と本藤監督と森記者は、覆面太郎の正体を、一切、知らぬ存ぜぬ、と隠し通していたが、とうとう、コミッショナーからの招集がかかり、3人は、ついに、観念し、事件の真相を、包み隠さず、正直に、つぶさに宮嵜コミッショナーに報告した。
それから、1週間程して、コミッショナーの裁定が下った。
「覆面太郎の個人記録と氏名は、日本プロ野球史上から抹消する。但し、対戦した相手選手の個人記録、対戦した両チームの戦績は残す。 尚、荒川球団社長、本藤監督、両名の、真実を隠した裏切り行為は、到底、許せるものではない、しかし、自らの身を挺して、プロ野球ファン、並びに多くの国民に、覆面選手の素晴らしいプレーを見て貰おうとした心は、我欲のないものであり、訓告処分に留めることにする」という発表でした。
私の処分は、どうなったのかって?
この話の筆者、私、森光男記者に対しては、
「日本プロ野球機構の部外者でもあり、今回に限り、不問に付す」とのことでした。
えっ!
この話は、全部、お前の作り話だろうって?
覆面太郎の実在を疑う読者の方がいらっしゃいましたら、当時の新聞記事等を捜してみて下さい、覆面個人の公式記録は抹消されましたが、発行済の新聞や週刊誌等の記事迄は消せませんでした。
きっと、覆面太郎の大活躍が、紙面を華やかに賑わしていることでしょう。
「了」