第5章 覆面太郎の最終試合(上)
「テレビの前の、プロ野球ファンの皆様、お待たせしました。半神タイガースの本拠地、甲子園球場から、セリーグのペナントレース最終戦を、野球解説者の田代勝男さんを交えて、わたくし落合竹治が、お送りさせていただきます。それでは田代勝男さん、宜しくお願い致します」
「こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します」
「田代さん、今日のスターティングメンバ―ですが、半神タイガースは、覆面太郎投手が、チームの優勝と、自己の50勝、両方をかけて、先発しますね」
「はい、覆面が、投手としては49勝、打者としては99本のホームランを打ってます。本藤監督としては、優勝したいのは、もちろんですが、何がなんでも覆面太郎に50勝をさせてあげたい、何としても、100号ホームランを打たせてやりたい、お客様にも、タイガースの優勝と同時に覆面選手の50勝と100号を見ていただきたいという気持ちではないでしょうかね」
「半神は、昨年最下位でしたが、今年は覆面選手の超人的な大活躍もありまして、激しい優勝争いを展開し、ここまで来ました」
「そうですね、優勝まであと一歩というところまできました」
「それでは、田代さん、試合開始までは、まだ時間が有りますので、ここで今日の試合のポイントと覆面太郎選手の魅力を、お話いただけますか」
「はい、分かりました、まず今日の試合ですが、首位の拒人を半ゲーム差で半神が追ってます、
今日の試合で勝った方が優勝ということになりますが、引き分けなら拒人の優勝です。両軍共、最強エース同士の登板で勝敗の行方はまったく予想が立ちません。一瞬たりとも目が離せない、1点を争う緊迫した試合展開になるのではないでしょうか」
「そうですか、手に汗握る投手戦となりそうですが、ワクワクしますね、次に覆面選手のことは、いかがですか?」
「はい、まず覆面の肉体の面を言いますと、その強靭な足腰と、人間離れした運動神経は、日本のプロ野球史上、かって存在したことのない、最高の選手です」
「そうですか、それほど凄い選手なんですね」
「はい」
「あとは、どんな魅力がありますか?」
「投手としては、球持ちの長さですね、球離れが信じられないくらい遅いので、打者の近くで、ボールが指から離れます。覆面投手は、おそらく投手と打者間の距離が、実際の半分くらいに感じてるはずです、自在にボールをコントロール出来る大きな要因です」
「なるほど」
「球持ちが長いと、もうひとつの武器が生まれます、球持ちの短い投手には絶対に不可能な事なのですが、球持ちの時間を、短くしたり、長くしたり、中ぐらいにしたりして、打者のタイミングを狂わせ、思いのままに操り、ほんろう出来ます。
しかし、これも、覆面投手本人が頭で判断して投げ分けているのではなくて、覆面投手の本能が、目には見えない打者の心の動きを直勘で察知して投げ分けるというのが本当のところではないかなと、私は思います」
「不思議な選手ですねー、田代さんの様な、元、超一流投手だった方なら御理解できるのでしょうが、我々素人には、まったく分からない次元の、お話です」
「いやいや、とんでもない、私など月とスッポンです。覆面は文字通り天才中の天才ですから」
「覆面選手のバッティングは、いかがでしょうか?」
「覆面選手は、初動が早いのでバックスィングも充分にとれ、軸足にしっかり体重が乗せられ、上半身と下半身の割れも溜めもしっかり出来て、その力を100%、ボールに、ぶつけることが出来ます、特筆すべきは、居合切りのような、理想的な角度でバットが出るということです、その上、スィングスピードが、信じられないような速さなので、あれだけの飛距離が出るのです」
「三塁手としても、芸術的な動きで、本当に美しく素晴らしい守備ですね」
「あの守備の柔らかさは、柔軟体操などでの柔らかさとは違い、動きの柔らかさなのです。そこを勘違いすると、体を柔らかくするために、柔軟体操や屈伸運動等に必要以上の時間を浪費するような無駄をしてしまいます、体は硬くても良いんです。あくまでも動きの柔らかさですから、そちらの柔らかさを追求していけば、覆面選手のような、名人になれるかもしれません」
「覆面太郎は精神的にも、相当、強いように感じますが?」
「はい、強いです、しかし、強いといっても、一般的にいう強いというイメージとは、ちょっと違うかも知れません」
「どういう風に違いますか?」
「今年1年間は、覆面選手に対するインタビューは、一切禁止ということなので、本人に直接たしかめることは出来ません、あくまでも、私の推測になってしまいますが、打者というものは、チャンスには、(よし!)と思い、ここでヒットを打ちたいと思いますが、結果的に、どうしても、力みがうまれます。覆面選手の場合は、恐らく、まったく逆で(不思議なゾーン)に入ります、チャンスになればなる程、力が抜けてくるように感じますね。
覆面選手が投手のときも同じです、たとえば、9回裏同点で、2アウト満塁2ストライク3ボールの大ピンチを迎えた場合、球場全体が固唾を飲みますね、ところが彼ひとりだけは(ゾーン)の世界に入り、腹が座ります。
手前味噌になりますが、私が、完全試合を達成したときの体験ですと、試合開始と同時に、観客席の声や騒音は、まったく聞こえなくなり、プレーに必要なものだけが聞こえ、試合終了と同時に、観客席の声や騒音が聞こえてきて、そのとき初めて、1回から9回まで、観客席の音が、全然、聞こえてなかったことに気づきました。
たとえば、私が投手で投げてて、ピンチを迎えた瞬間に、ストーンと、腹に何かが落ちて、100%度胸が、すわります、それが、いわゆる、ゾーンに入ったということなんでしょうが、その精神状態の世界が、たとえようもなく心地よくって、ピンチを迎えるのが本当に楽しみでした。
チャンスに強い人間はバッターに向いてます。ピンチに強い人間はピッチャーに向いてます。
拒人軍の4番打者、永嶋が、バッター向きの典型的なタイプですね、もしも、永嶋が投手だったら、果たして、選手として、大成したかどうか分かりません。
ところが、覆面選手はチャンスにも強く、ピンチにも強い、両方兼ね備えた偉大な選手です。
野球以外の、他のスポーツ選手も良く(ゾーンに入った)と、言います。または、舞台芸術の役者さんが、演技の最高の状態になったときのことを(神が降りてきた)と表現します。やはり、同じ精神状態を、言っているのではないか、と、思われます」
「いやー、そうですか、解説者の田代さんも、色々と不思議な体験をされて、いらっしゃるんですね、しかし、覆面は、聞けば聞くほど、凄い選手ですね」
「そうですね、今迄の我々の常識では考えられないスケールの選手だと思います、1年間、先発もリリーフも両方投げて、ほとんど休みなく登板し、また4番打者としてもフル出場しました」
「本当ですねー、ところで、覆面選手の正体は謎のベールで包まれてますね、そのあたりは、いかがでしょうか?」
「はい、こういう選手は初めてですね、インタビューは、一切禁止なので、いまだに、覆面選手の正体は分からないままです、覆面を被っているので、どこの誰かも、外国人か日本人かも、まったく不明です。 謎が謎を呼び、オープン戦で人気が沸騰したのですが、シーズンが始まると、その実力が、人気をも上回り、爆発的な覆面ブームが起きて、日本中を興奮の渦に巻き込みました」
「50勝と100号達成の可能性はいかがでしょうか?」
「両チーム共、今日の試合は、優勝がかかってますが、敬遠の四球とかは、ないことを願いたいですね、 拒人の、エース大山投手が堂々と勝負してくれれば、100号の達成は大いに可能です。
しかし、50勝の方は何とも言えないですね、相手もエースの大山投手ですから」
「ありがとうございました。チームの勝敗と、個人記録の行方、本当に見ごたえのある、楽しみな一戦です」