第4章 春のキャンプ(打撃編)。紅白戦第3試合
今日は、紅白試合第3戦が行われる。
過去2戦で天才的な適応力を発揮して、首脳陣の心配を吹き飛ばした覆面選手は、4番サードで起用された、紅白戦の第1試合、第2試合は、投手達が、覆面選手に対して意識過剰になったのか、あるいは、逃げたのか、ストライクが入らず、四球ばかりで、覆面バッターの豪快な打撃を実戦で見ることが出来なかった。
試合前に、監督が、投手陣を集めて、
「覆面と勝負しろ、逃げるな」と気合いを入れた。
普段のフリーバッティングで覆面の人間離れしたド迫力を、いやと言う程みせつけられてきたので、監督ら首脳陣も、観客席のファンと同様に、胸をドキドキさせながら試合開始を待っていた。
覆面の第1打席は左対左の対決となったが、1球目を軽々と右翼場外に運んだ、観客は大喜びだ! 2打席目は左翼場外に、3打席目はセンター越えの場外ホームラン、3打席連続で、場外ホームランを、かっとばした。
4打席目は満を持して、エースの村川が登板、1球目は外角低めギリギリ、惜しくも、1ミリ外れた。2球目は内角いっぱい胸元を速い球でえぐった、元々捨て球のつもり、3球目に外角低めへ投げるための布石だった、3球目、今度はピッタリと外角低めいっぱいに見事に決めた。
1ストライク2ボール、バッテイングチャンス!
(この時代は、ストライクを先に、ボールを後にコールしていた)
ここからが、ピッチャー対バッターの本当の勝負、精神力の弱い方が負けだ。
一流投手は、こういう場面で心の底からワクワクする。ピッチャーになって本当に良かった―と思う、結果は関係ない、断崖絶壁に追い詰められ生きるか死ぬか、普段の日常生活では求めても滅多に経験出来ない、生きているという充実感で胸がいっぱいになる。このカウントでは、常識的には、慎重を期して、速い直球を、内角低めいっぱいか、外角低めいっぱいに投げるだろう、ここが勝負の分かれ道、ストライクなら、2ストライク2ボール、断然、投手が有利になり。ボールなら1ストライク3ボールで、打者が俄然有利になる。
村川投げた!
なんと、なんと、気の抜けたような、ゆるーい球が、ふわーっと、ド真ん中に! 覆面打者は、面食らった感じで、茫然と見送った……か、のように見えたが、本心は違う、覆面は、4打席連続の場外ホームランを狙っていたので、この、ゆるい球では、塀越えのホームランは打てるが、場外は無理だと、とっさに判断、それで見送ったのだった。
かたや、バッテリーの方としては、一か八かの賭けのつもりで投げたのが、成功したと思っている。2ストライク2ボールとなった。
ここで投げるのは、高めぎりぎり、ボールになる速球か、低めぎりぎり、ボールになるフォーク、振ってくれれば儲けものと思い切り腕を振って投げられる。もし、カウントが1ストライク3ボールなら投げられない球だ。相手は化け物だ、ストライクコースに中途半端なボールを投げれば100%場外に持っていかれる。(並みの投手は、ここで腕が縮む)。
捕手の七島が、フォークを要求してきた。村川は七島をマウンドに呼んだ。
「ここでフォークを投げて打たれたら悔いが残る、高めの速球で行きたいんだが」
「OK」
七島が快く返事をした、公式戦では、こうは行かないだろう。村川は、あらん限りの渾身の力をこめて、高めに速球を投げた、時速155キロ位か? 高めの、ややボール気味の球、覆面が打った! 打球は右翼ポールの遥か上空を場外へ飛んでいった、
「ファール」
右翼線審の叫び声が球場全体に響きわたった。名勝負だ!キャンプの紅白戦が日本シリーズのような雰囲気になってきた。2ストライク3ボール、フルカウント、四球を避けるにはストレートしかないが、いま、大ファールを打たれたあとなので、ストレートは投げられない、投げる球がなくなった! とは言っても、投げない分けにはいかない、村川は、真ん中低めのストライクコースから、落ちて、ギリギリボールになるフォークを投げた、覆面は冷静に見送った、「フォワボール」。観客席から、名勝負!という声が、とんだ。
紅白戦第3戦が終わり、恒例の単独インタビューが事務所で行われた
「吉兵衛さん、昨日の話の続きを、お聞かせ下さい」
「話の続き?なんのことだ」
「農家の娘さんの家に入り、姓を鈴樹と名乗ったというところからですよ」
「あっ、まだ話の途中であったか、それでは話を続けさせていただくが、姓を鈴樹と名乗り、子供も8年間で男3人、女3人産まれて順風満帆だった、生活費は儂が開設していた柔術と剣術道場、名倉堂整骨治療の謝儀と、それから、子供の頃から身に付けていた鋸の目立ての技術とで稼いでいたが、文字どおり武家の商法、貧しい者からは金銭を受け取らなかったので、思った程には貯えが増えなかったよ。儂の妻は、ふたり姉弟で、ひと回り歳が下の弟が40歳で嫁を貰うことになった。その頃には妻の両親も亡くなっていたので、そうなると妻の弟が家督を継ぐということになり、儂ら一家は、妻の実家には居られない状況となった。
それで、家族8人で話し合い、子供達も30歳を頭に、末は22歳迄全員大人になっているので、皆、ちゃんとした職に就いて結婚もしたいと言い出し、こんな田舎ではたいした働き口もない、家族揃って大坂(江戸時代の名称)に出ようということに、一旦は決まったのだが、それならば、この際、思い切って、江戸に出れば、もっと、自分にむいている職業をさがせるのではないかということになり、江戸の方に一軒家を買って、家族全員が一緒に住もうと決まり、妻が実弟に相談し、金銭的な財産分けをして貰い、儂の長男と次男が先に江戸まで出向いて家を捜し、江戸近郊の溝口村という所に、庭付きの一軒家を持ったんだ。
あとで、子供達から聞いた話だが、この機会に江戸へ出なければ、憧れの都へは、一生、行けないのではないか、と思ったそうだ。
そして、一家8人が、引っ越をした。大坂まで船で行き、そこから東海道を経て、江戸近郊の溝口村まで歩いたな、旅は大変だったが、儂も並の60歳よりは元気だったので無事に着いた。
新天地の溝口村は静かで住み安いところだったのでホッとしたよ、家の廻りは見渡す限り田圃と畑ばかり、家という家は藁ぶき屋根だった、家の前にはきれいな小川が流れていて空気もおいしかった。
溝口村に住み始めて数年して、娘二人は縁あって大坂に嫁ぎ、幸せになったが、いきそびれた次女は洗足何とかという藩校で薙刀の指導をして、それが生き甲斐になっていたな。
長男と次男は、良き伴侶を見つけて所帯を持ったので、儂にも孫が5人出来たが、三男は一生独身だった。振り返れば、波瀾万丈ではあったが、まあまあ幸せな人生だったな」
「それはそれは、本当に良かったですねー」
「ああ、ありがとう」
「吉兵衛さん、今日で単独インタビューは終わりですが、何かありましたら私の宿へ電話下さい」
「かたじけない、それでは、儂はこれで失敬する」
「吉兵衛さんありがとうございました、これを」
「何でござるか、これは?」
「少ないですが」
「何、これは、もしや金銭か?」
「ハイ」
「無礼者! 儂を乞食扱いしおって、そこに直れ、切って捨ててやる」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい、これは謝礼と言って、質問に答えるのも立派な仕事ですから、吉兵衛さんが働いた分のお金を払っただけなんですよ。吉兵衛さんは、金銭に興味ないでしょうけど、私も受け取っていただかないと困るのです」
「お主の質問に答えただけで、儂は働いたことになるのか?」
「そ、そ、そういうことです」
「嘘ではないな、拙者、腐っても士族出身だ。たとえ、野垂れ死にしたとしても、謂れのない金銭を一銭たりとも受け取る訳にはいかんぞ、乞食ではないのだからな」
「絶対、吉兵衛さんを、乞食扱いにはしてません、まっとうなお金です」
「働いた代償として、受け取るということなのだな」
「そうです、その通りです」
「よし、それでは、お主の言うことを信じて、ありがたくいただいておこう。儂は宿に帰るぞ」
「お世話になりました」