第2章 春のキャンプ(走塁編)。紅白戦第1試合
「おーい、山田さん」
下谷ヘッドコーチが山田守備コーチを呼んだ。
「はい、なにか?」
「監督から、いま呼ばれたんだが、覆面太郎を野手だけでなく、投手でも使うらしいんだ」
「えーっ、いくら何でも、それは無理でしょう、野球の初歩のルールを、勉強はじめたばかりでしょう?」
「それがな、監督が、(いま、急に決めたんだけど、今日から紅白戦を始めることにした、紅白試合を、どんどんやり、覆面に実戦の中で、どんどん失敗を繰り返えさせて、野球のルールを、徹底的に体で覚えさせようと思うんだ)と、おっしやったんだ」
「なるほど、あくまでも、覆面選手中心の、キャンプにするということですね」
「今シーズンは、覆面選手と心中する、覚悟らしい」
「ウ――ン」
「山田コーチ、覆面に、いま何を教えてる」
「三塁手の守備の構えですが」
「奴は、そんな常識的な枠の中で育てなくて良いぞ、小さい型に、はめるな、反射神経は我々の常識を遥かに越えて、神の領域だ、基本的な構えなど、していなくても、瞬時に始動できる、大きくのびのび育てろと、監督からも言われた」
「分かります、分かります、確かに、凄い能力ですからね」
「西村コーチを、呼んできてくれ」
「はい」
すぐに西村コーチがきた
「西村さん、覆面を指導したか?」
「はい」
「なにを教えた?」
「走塁の基本と、ランナーで出たときのリードの仕方です」
「監督が、そんなの教えなくて良いと仰ってる」
「何故です?」
「覆面選手のスピードだと、リードは要らない、ベースの上に立っていても、次の塁は楽々盗める、なまじ下手なリードされれば、牽制球で刺されてアウトになる」
「言われてみれば、それくらいのスピードは充分ありますね」
「走塁の基本ルールを、頭だけで覚えさせようとしてもダメだ、紅白戦でどんどん走らせて失敗させて、体で覚えさすのが、いちばんだ」
「納得です」
「それと、盗塁したときに、あのスピードで、スライディングなしで、立ったまま急に止まるのは、大怪我の元になる。スライディングを教えてやってくれ」
「もう、マスターしました」
「本当か」
「はい」
「スライディングも、1回で出来るようになったのか?」
「いえ、そうではないんです」
「それはそうだよな、スライディングは、結構、難しいからな」
「元々、剣術で経験済みだったんです」
「剣術に、スライディングなんか、ないだろう」
「剣道と違って、剣術は戦場で命を懸けて戦うのが、唯一の目的ですから、勝つためには何でもありで、敵の足をねらってスライディングして行く場合もあるらしく、相当な量の稽古を積んだと言ってました」
「なるほど、それでは西村コーチが教えなくとも、とっくの昔に、身に付いていたという訳か」
「そういうことに、なります」
「野球をやるために、生まれてきたような奴だな」
「野球の申し子です」
いよいよ、今年度初の紅白戦が開始された、
吉兵衛はプロレスラーの様な覆面をかぶって出て来た。観客席から大歓声と拍手が沸いた。
打席を、たくさん経験させようと、紅組の1番三塁で起用、とにかく、どんどん打って、どんどん走ることだけを徹底させ、スケール大きく育てる!
現時点では、インフィールドフライ等の複雑なルールは、教えなくて良い、余計に混乱してしまうから、と、いうのが監督の考えだ。
打席の覆面選手に対して投げる投手は、緊張したのか、どの投手もストライクが入らず、覆面選手は全打席、四球で出塁したので、その豪快な打撃は見られなかったが、そのかわり、覆面は、走塁を、たっぷり経験出来た。
監督から、塁に出たら、失敗しても良いから、どんどん走れと言われてるので、なんでもかんでも、やみくもに走った。
ノーアウトで、覆面選手が一塁に出て、次打者が三塁ライナーを放っても、覆面は二塁ベースめざして全速力で走る、当然一塁フォースアウトになる。
ベンチに戻った覆面に丁寧にルールを教える。次の同じケースでは、二塁に走らずに一塁に戻った、覆面の飲みこみの早さには皆、舌を巻いた。
神河投手コーチの話では、ピッチング練習の時に覆面に変化球の握りを教え、先に、コーチが投げてみせる、その後に覆面が試投する、それだけで変化球を自分の物にしてしまう。すべての変化球をマスターするのに時間はかからなかった。驚くべき才能というしかなかった。キャンプの紅白第1戦は大成功のうちに終わった。覆面太郎は着実にルールを身につけていく感じだ。
試合後、半神スポーツ新聞の森記者が、覆面太郎にお約束の単独インタビュ―をした、
「吉兵衛さん、初の試合は、いかがでしたか」
「楽しかったよ」
「野球規則は覚えましたか?」
「ああ、色々と覚えた」
「それは良かったです」
「ありがとう」
「早速ですが、吉兵衛さんの、前世のことを教えていただきたいのですが?」
「前世では儂ら夫婦共、江戸時代の生まれだ、最期は訳あって妻のオリノが、品川の長男の家で、69歳で亡くなった。その4年後に、儂が膝折村の次男の家で死んだ、儂は享年81歳だった。拝島村で一人暮らしをしていた三男は、若くして、疾うに亡くなっておったよ」
「そうですか」
「本来なら、最低でも、200年から300年位は、四次元界で修行をしてから、現世に赤ん坊となって生まれ出るのだが、今回の儂は、御褒美で現界に来ることが出来た」
「先日、お聞きした、お話ですね」
「お主も儂も、過去世、前世から、現世に何回も生まれかわってきておる」
「えー、私、全然、記憶にないんですが」
「赤ん坊になって生まれ出てくるとき、記憶を全部消されて出てくるからな、中には稀に記憶が残ってる者も居るらしいが…」
「へえー、そうなんですか?」
「他に聞きたいことはあるか?」
「住吉家には、どんな御先祖様が、いらっしゃるんですか?」
「閻魔大王補佐様からは、近代では泡銀行の頭取、古くは徳島城主として阿波一国を領した蜂須賀小六様にお仕えもうした御金奉行(勘定奉行)だとお聞きしているが」
「蜂須賀小六ってのは野盗の親分ですよね」
「いや、それは寛永3年(1626年)以降に刊行の「太閤記」の中で小浦甫庵という物書き蛾勝手に蜂須賀小六様の御名前を使って面白おかしく出鱈目な物語を作ったらしいんだ、実際の小六様は民にも家来にも大変に人望のある、それはそれは御立派なお殿様だったらしい。もっとも、この話も閻魔大王補佐様からの受け売りだがな」
「物書きが勝手に、蜂須賀小六様の御名前を利用して、出鱈目な物語を作ったんですか、真実は聞いてみないと分からないもんですね」
「蜂須賀家の御子孫様も、そのことで大変に、お困りなっていらっしゃると、お聞きしてるが」
「そういうことですか、良く分かりました。本日はお疲れのところ、インタビュ―にお答えくださいまして、まことに、ありがとうございました。明日の先発登板に備えて、ごゆっくりお休みください」
明日の紅白第2戦は、吉兵衛の先発登板が予定されてる。