第七十二話 月光の衝突
ファリナの髪がふわりと浮き上がる――その全身から静かで、それでいて底知れない魔力が立ちのぼっている。
「……仲間が揃ったところで、私には勝てない」
――『ファリナ』が『ムーンライトヴェール』を発動――
月明かりに溶けるようにして、ファリナの姿が消える。次の瞬間、リスティ、プラチナ、ナナセが前触れもなく吹き飛ばされた。
「きゃぁっ……!」
「くっ……!」
「ひぁぁっ……!」
加減している――一撃で倒すことをしない。
同時に三人を倒した方法の答えは、目の前にある。ファリナの姿が三つに増えている――幻術だとしても、それを見抜くことができない。
「吸血鬼になると、本当は人の血を吸っているうちに力に目覚める……私はずっとそうしなかったから、マイトの血を吸って、やり方が分かってきた」
「そうか……みすみす、ただでさえ強いお前をさらに強くしちまったんだな」
「心配しないで。私はマイトの血を時々くれるだけでいいの……他の子の血は、吸わなくてもいい」
そんな話をするのは、吸血鬼としての衝動が起きているからか。ファリナにとってこれは戦いですらない――言うことを聞かない相手を宥めている、その程度のものだ。
「マイト……ッ」
「少しだけ静かにしていて。傷つけたくないから」
「魔族に操られていると聞いたが……随分と、優しいようだな……っ」
「す、凄く痛いし、もう動けないですけど……一つ、言わせてもらいますね。マイトさんの血を吸うくらいなら、私の方から吸ってもらってもかまいませんよ。ほら、私って、とっても血が美味しいと有名ですから……」
ナナセはそう言って、あろうことか、自分から首元をはだける。
ファリナは表情を曇らせる――しかしその瞳が赤く光っている。吸血鬼の本能は、彼女の意志に関係なく血を求めているのだ。
「……いいことを思いついた。あなたたちも、仲間に入れてあげる」
「そ、それは、光栄です……私も人間のままより、吸血鬼になった方が強くなれたりして、素敵だなって思っていたんですよ」
その一言で、リスティ、プラチナ、そして俺の三人は理解していた。
ナナセは賭けに出ている。ファリナの動きを誘導する、それ自体に意味がある。
血を吸うことができるのは本体だけ。作り出された分身ではなく、ファリナ本人がナナセの元に向かう――そして。
「――お願いっ……!」
「っ……!」
――『ラクシャ』が『ディープテンタクル』を発動――
ナナセがここに姿を現したとき、ほんの少しの違和感があった。
ナナセの胸のところに入っていたアムは、ラクシャの魔石を取り込んでその力を強化し、ファリナの身体に黒い触手を絡ませる――もちろん拘束する力はなく、無理矢理に振りほどかれるが。
ファリナは後ろから近づいている俺に気づかず、回避が遅れる。
「うぉぉっ……!!」
――『ロックアイI』によって『ファリナ』のロックを発見――
――『ロックアイⅡ』によって『ファリナ』の第二ロックを発見――
ファリナの手の甲に現れた2つ目の錠前――そこに生成した『赤の鍵』を差し入れる。
「くぅっ……うぅ……!」
ファリナが髪を振り乱す――そして、錠前が光の粒になって消えた次の瞬間。
(なんだ……これは……っ)
「それがマイトの魔法……使えるようになって、良かった……でも……っ」
ファリナは完全に魔族になってはいない。まだ本来の彼女の意志が残っている。
だが――二つの鍵を解除してもなお、ファリナの胸の前に、三つ目の錠前が現れる。
禍々しい鎖に縛り付けられた、鍵穴のない錠前。何者の侵入をも拒むような、その形状。
(『血の呪い』……進行すれば、ここまで……っ!)
「あぁぁっ……!!」
「ファリナさんっ……!」
「――リスティ、駄目だっ!」
ファリナが振るった剣を、俺はリスティの剣で受ける――だが受け流しきれずに吹き飛ばされる。
「……新しい仲間を、そんなに庇って……だめ……そんなこと、考えちゃ……」
「――ファリナ、俺はお前と戦いたくない! これ以上は……っ!」
そう呼びかけたとき、ファリナの赤く染まった瞳が、わずかな間だけ元の色に戻る。
「諦めていないのだな、マイト……ならば私も信じよう……!」
――『プラチナ』が封印技『乙女の献身』を発動――
「ずっと暗い場所にいるから気が滅入るんです……っ、それなら……っ!」
「私も……っ、ファリナさん、あなたと話したい……!」
――『ラクシャ』が『スロウタイム』を使用――
――『リスティ』が『姫騎士の威光』を発動――
「くぅっ……!」
ナナセの胸の中で、アムがラクシャとして能力を使う――そしてリスティの放つ光との合わせ技を重ねて、ファリナの動きが明確に鈍った。
「お願い、マイト! ファリナさんを……!」
「ああ……必ず止める……!」
――『リスティ』の封印技『誓いの剣』を発動――
「うぉぉぉっ……!」
吸血鬼化の進んだファリナは、眩い光に視界を奪われる――その間に接近し、剣を繰り出す。
「剣で敵うわけないのは分かってる……だが……!」
「……そんなことない……マイト……」
俺の剣を受けて、ファリナは押し飛ばすこともできたはずだった。
しかし刃はせめぎ合い、その間にファリナを包んでいた禍々しい気配は薄れていく。
「浄化している……っ、魔族の力を……」
プラチナの言う通りなのかは分からない。急速に俺の魔力は失われていく――だが、枯渇する寸前に。
ファリナが一瞬、微笑んだような気がした。その瞬間に生まれた隙を突き、俺はそのまま駆け抜けていく。
「うぅぅっ……あぁっ……!!」
ファリナが苦悶の声を上げる――俺の剣ではいくらも傷はつけられない、だが『魔族になりかけた部分』には、それでも大きな効果があった。
全員が全ての力を出しつくしている。これでもファリナがもう一度吸血鬼の側面に傾けば、その時は――。
――『ファリナ』の『血の呪い』が発動――
こちらに歩いてくるファリナの瞳が、より赤く、深い血の色に染まっている。
三人だけは逃がしてみせる――そう決めて、構えようとしたとき。
「……ありがとう……マイト」
――『ファリナ』が『血の呪い』を解除――
――ロック解除した相手に対して『封印解除Ⅱ』使用可能 絆上限を解放――
ファリナが自分の胸に手を当てる。そこにあるのは、本人の目には映らないはずの錠前――そして。
『あと一歩だったのに……人間って、本当に……』
鎖の巻き付いた三つ目の錠前に、亀裂が入り。砕け散る――光の粒となって。
聞こえてきた声は誰のものか。ファリナは胸のあたりに貼り付いていたものを剥がす――それは魔族が残す魔石。
吸血鬼の『血の呪い』だけでなく、魔石になってからも干渉することで、ファリナを魔族の側に引き込もうとしていた――だがその執念は実らなかった。
「――ファリナ!」
ファリナはふらりと倒れそうになる――だが、その足元に魔法陣が現れ、彼女の姿は消えてしまう。
何が起きたのか。どこに行ったのか――混乱のさなかにあった俺は、瞬きの後には。
塔の最上階ではなく、別の場所にいた。
見上げれば、夜の空が広がっている。足元には空を映し出した床――前は青空だったが、同じ場所だ。
俺がどこかに飛ばされたのではなく、意識だけがこの場所に呼び寄せられている。
――眼前に、どこかの光景が浮かび上がる。
どこかの屋敷で泣いているファリナ。付き添っているのはシェスカだ。
『……どうして私は、生きてるの?』
その声を聞いたとき、感じたのは痛みだった。
生き残ったファリナたちがどうしているのか、俺はそれを考えることをしてこなかった。
彼女たちと旅したこと、彼女たちから聞かされた言葉を、過去のものだと思っていた。
自分が望んで始まりの街に戻った。だからもう一度レベルが上がったとき、彼女たちに会う資格を得たとき、いつか、ずっと先に、必ず。
――だが、そのいつかはもう訪れて。
俺はかつての仲間と再会した。その時に伝えるべきことを、考えられていなかった。
「……あなたは、私を憎んでいますか?」
後ろから声がして振り返ると、そこには――白く長い髪に金色の目をした女神がいた。
「もう一度話せるとは思ってなかったが……あんたが、俺を呼んだのか?」
「そうしなければならないと思いました。そして聖騎士ファリナも……魔族でなくなった彼女は、理の軛を逃れることはできません」
「……レベル99で、故郷に戻ることはできるのか?」
「聖王国の騎士団領……ファリナの居館がある場所であれば。シェスカの故郷であるエルフの森も、一部はそうでしょう。エンジュはレベルの制限においては特別な扱いをされる存在です」
「なぜ、ファリナをここに連れてきたんだ? ……それをやったのは、本当にあんたなのか?」
女神の瞳が翳る。それを俺は、彼女がやったという意味に受け取らなかった。
「あんたが戯れにそんなことをするとは思えない。俺の無茶な願いを聞いて、転職させてくれた……他の仲間たちを嵌めるようなことは、しないはずだ」
「……彼女を、ベオルナート王国に連れていったのは私ではありません。一時的にファリナを保護することはできますが、それをするためには彼女の居場所を秘匿しなければならない。心配をかけますが、私に任せていただけますか」
ファリナを計略にかけるようなことをしたのは、目の前にいる女神ではない。
その言葉を、俺は信じようと思った。だが、女神を見ればわかる――彼女は、誰がそれをやったのかを知っている。
「……誰がやったのかは、言えないか」
「それを不誠実だというなら、私に罰を与えても構いません」
「女神に、人間が罰を与える……そんなこと、前代未聞じゃないか?」
「……あなたはそれだけのことをしてもいいと、私はそう思っていますが」
本当に、どんな罰でも受けるというように彼女は言う――だが、俺には罰を与えたいなんて考えは微塵もない。
「……もしできるなら、あいつに伝えておいてくれ。どんな形でも、会えて良かったって」
「それは……あなたが直接伝えるべきでしょう。時が来れば、その機会はいつか訪れます」
「そうだといいな。まだ俺はレベル3だから、先は長いが……」
「ファリナさんとの戦いで、ひとつレベルが上がったようですよ?」
「じゃあ、また一歩進めたか」
「大神官シェスカが使ったような方法で、ファリナがベオルナートに入ることは……」
女神が何かに気づいたように、言葉を途中で止める。
「……ファリナの力を押さえられる限度は、シェスカより高いようです。おそらく、その理由はあなたと戦ったことにあります」
「っ……レベル3の俺と戦って、経験を得られたっていうのか?」
「いえ、それだけでは……私のほうでも調べておきます」
「じゃあ、また話せるってことか。気長に待ってることにするよ……ファリナのことを、どうかよろしく頼む」
どうやら時間切れのようだ――眼前の光景が遠のいて、俺の意識はどこかに向かって引っ張られていく。元の場所に戻ろうとしているのだ。
「……あなたのような、お人好しは……」
『ん……何だって?』
女神が何かを言いかけたが、最後までは聞こえなかった。おそらくは、俺に対して何か苦情を言おうとしたのだろう――転職から仲間の世話まで、大変に手がかかると。
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