第五十二話 メイベルの店
王都から来たギルドの伝令は、ガゼルの奮闘もあって軽い負傷のみで済んでおり、すでに歓楽都市に向かう準備を始めていた。
「大変お手数をおかけしました、フォーチュンの支部から捜索を出して頂いているとは……」
「ご無事で良かったです。ここからフォーチュンまでは私たちが送っていきますね」
伝令の青年と二人の護衛はリスティに対してひたすら平身低頭だった。可能であればすぐに発ちたいと彼らが言うので、俺たちも同行してフォーチュンに戻る。
「帰り道にも野盗は出ませんね。撃退してくれた人がよっぽど怖かったんでしょうか?」
「守備隊の人たちも警戒してるからじゃない?」
馬車で移動する途中、客車から話し声が聞こえてくる。このあたりの野盗ならフォーチュンの盗賊ギルドに睨まれてはやっていけないので、ガゼルが盗賊ギルドの幹部と知れば竦み上がっているだろう。
「マイト、伝令を助けた人物はどのような御仁だったのだ?」
「まあ、何というか……俺の昔なじみだったよ」
「なんと……さすがマイトだな、そのような強者と知り合いとは」
「マイトの友達っていうことなら、置いていって良かったの?」
「しばらく静養したら自分で王都に戻ると言ってたよ。ナナセのポーションを勧めてみたんだが、味は凄いが良く効くと言ってた」
「本当ですか? お役に立てて光栄です、えっへん」
得意げな様子のナナセだが、薬師としての腕はやはり確かだ――味についてはリスティは戦々恐々としているが、プラチナは全く恐れていないようだった。
◆◇◆
まだ日が高いうちにフォーチュンに着き、伝令をギルドに送り届ける。
「皆様、お疲れ様でした……! まさか今日のうちに解決してしまうなんて、やはりリスティさんたちはフォーチュンの英……」
「っ……駄目よレジーナさん、そういうことを言ったらまた騒ぎに……っ」
ギルドの外まで出迎えに出てきた受付嬢のレジーナさんを、リスティがやんわりと制止する。興奮気味だったレジーナさんはハッとしたように口に手を当てる。
「申し訳ありません、私、つい嬉しくなってしまって……伝令の皆様もご無事で何よりです」
「あ、あの……今、何か言おうとされてませんでしたか?」
伝令の青年が尋ねようとしたその時、何度か姿を見た中年の冒険者が、俺たちの姿を見つけ――気さくに笑って挨拶した。
「よう、フォーチュンの英雄さん方。今帰ってきたところか?」
事情を知らないとはいえ、全く空気を読まない一言。それに最も反応したのは伝令の青年だった。
「フォーチュンの……英雄……っ、あ、あなたがたは一体……!」
「ふむ、気づかれてしまったか。何を隠そう、私達は……」
「もうっ、また騒ぎが大きくなっちゃうじゃない!」
「そうそう、あたしもこれ以上放って置かれても困るしね」
そう言って話に入ってきたのは――この場所に来るとは思ってもみない相手。盗賊ギルドのマスターであるメイベル姉さんだった。
いつもはレザーアーマーにレギンスといった装備をしているが、今日は街に溶け込むような私服姿だ。
「な、なんだあの美人……このギルドの冒険者か?」
「前にも見たことあるぜ、ここのギルドマスターとは知り合いらしい」
多少照れるのか、メイベル姉さんは居心地が悪そうにしている。盗賊ギルドの信条として人の注目を浴びないというのがあるので、この状況は落ち着かないだろう。
それでもここに来た理由は――どうも俺と話があるようで、目配せをしてくる。
「ああっ……な、なんですかその、目だけで以心伝心みたいな……!」
「むぅ……どういうことなのだマイト。このような大人の女性と知り合う機会があるとは、私たちと会うまでに一体何を……」
「ああ、あたしはマイトとは古い付き合いで、用があって来ただけだから。そんなに警戒しないでいいのよ、さらったりしないから」
「そうなの……? 分かったわマイト、私たちは仕事の報告をしておくから、ええと……」
「あたしはメイベルっていうの。よろしくね、お嬢ちゃんたち」
「お嬢ちゃんというか、私は立派なレディなので、そこのところはよろしくお願いします」
ナナセは恐れを知らずに言い返すが、メイベル姉さんは全く気を悪くする様子はなかった。
「ごめんごめん、そうだね、マイトと一緒に組んでるんだから。一人前の冒険者だね」
メイベル姉さんは一人ずつと握手をしていく。しかしどうも、友好的なようでそうでないような――というのは考えすぎか。
「マイト、メイベルさんと話してきたら?」
「あ、ああ……」
「それでは、リスティさんたちはこちらにいらしてください」
レジーナさんに連れられてリスティたちは面談室に向かい、俺はメイベル姉さんに建物の外へと連れ出される。
「冒険者ギルドの酒場で飲みながらでもいいけど、あんたも目立つのは苦手でしょ」
「それは確かに……」
「あたしの店が近くにあるから、そこに行きましょう」
裏街に店を出していると言っていたが、他にも店を持っているらしい――彼女の言葉通りに、ギルドからいくらも歩かないうちにその店に着いた。
「いらっしゃいませ……あっ……」
店員がメイベル姉さんに気づいて驚くが、姉さんは口元に指を当てて微笑み、店の奥にある個室に入っていく。
「ふぅ……まあ、あんたもそこに座りな。何か飲む?」
「じゃあ、姉さんと同じもので」
「ふふっ……何可愛いこと言ってんの。それじゃエールにしとくよ」
メイベル姉さんがベルを鳴らすと、さっきの店員が注文を取りに来る――そしてほどなく、ジョッキに入ったエールが出てきた。
「マイト、王都からの伝令を無事に連れてきたんだね」
「メイベル姉さんも知ってるんだな、俺達が受けた仕事のこと」
「冒険者ギルドが何か慌ててるっていうのは分かってたからね。王都からの伝令が来ないとなると、こっちも動かなきゃならなくなるし」
「……王都の伝令を助けたのは、ガゼルだった。エルクは魔族に操られてしまってる」
「っ……そんな力がある魔族だなんて……」
メイベル姉さんが動揺を見せたのは一瞬だけだった――弱気な顔を見せることなく、俺に話の続きを促す。
「ガゼルとは北の村で会った。あいつはエルクと戦うわけにいかずに、王都を離れたんだ」
「そうかい……あたしが迂闊だった。もっと早く動くべきだった……」
「俺が得た情報では、王都を脅かしてる魔族はこの辺りにいていいような強さじゃない。その気になれば王都を一晩で落とせるような奴だ……だが、今のところそうはなってない。まだ手遅れってことはないはずだ」
「……王都が危ないってことは、誰かが魔族を何とかしなきゃならない。魔族がもしこの国を掌握したら、どこにも逃げる場所なんて無くなる」
「だから、シュヴァイク家の依頼を受けて王都を偵察してたんだな。ガゼルは重要な情報を伝えてくれた……敵はすでに王都の中に入り込んでる」
「……エルク……あの子が本当に魔族に操られたのなら、あたしは……」
ギルドマスターとして、エルクを止めなければならない――メイベル姉さんの手がきつく握り締められているのは、彼女の覚悟の表れなのか。
「魔族が王都の人間を眷属にしてるなら、俺は助ける方法を探す。もう時間はあまり残されてないから、すぐにでも王都に向かうしかないが……」
「戦って倒して、無力化する……すぐに助けられないとしたら、そうするしかないね。あんたほどの腕があれば、それも無理じゃない……そう思っていいのかい?」
「ああ。俺もエルクを手に掛けるなんてことはしたくないからな」
「……分かった。王都に乗り込むなら、あたしも一緒に行くよ」
「っ……メイベル姉さんが?」
彼女は驚く俺に笑いかける――その反応を予想していたというように。
「王都の盗賊ギルドと連携すれば、入り込んだ敵を見つけることだってできるはず。今までは、敵が何をしようとしてるのかも分からなかった……あっちの目的が見えてくれば、こっちから動くこともできる」
「……そうだな。俺たちだけでは、王都の全域に目を光らせることはできない。姉さんの協力が必要だ」
姉さんは頷きを返してくれる。王都に向かう一行に、さらに一人加わった――ウルスラも入れて六人で、王都を魔族から解放しなければならない。
「……正直を言うとまだ実感は持ててないけど、マイトは世界を救って帰って来たんだから。この国を救うことだって無理じゃないって信じるよ、あたしは」
世界を救ったという実感はない――魔竜がいつか世界を滅ぼすというなら、倒さなければならない。そのためだけに仲間たちと旅をした。
今は新しい仲間たちがいる。リスティは王国の人々を救うために強くなろうとしたし、そのための力を持っていて、これからも成長していけるだろう。プラチナとナナセもまだまだ可能性を秘めている。
「さあ、それじゃ旅の支度をしようか。あたしが盗賊ギルドの人間だってことは、マイトの仲間たちには伏せておくよ。仕事が終わればまた闇に紛れるだけだからね」
「……やっぱり格好いいな、メイベル姉さんは」
「っ……あ、あんたねえ。そんなお世辞覚えちゃって、そんなふうに育てた覚えは……」
――常時発動技 【ロックアイⅡ】 生物・非生物が持つ二つ目の『ロック』を発見する――
メイベル姉さんが俺を叱ろうとしたその時――彼女の胸の前に、再び錠前が現れた。
(っ……前は白の鍵で、その場で錠が開いてた。今回は赤の錠前だ……!)
俺はまだ赤の鍵を出せるようになっていない。白の鍵でも錠前に触れれば反応すると分かっているが、今回はそれほど急を要する状況ではないはずだ。
ないはずなのだが――怒ったような顔をしたメイベル姉さんが、いつの間にか席を立って距離を詰めてきていた。
「本当ならもっと大人になって、もっと可愛くなくなってるはずなのに。そういうわけでもないって言うのは……タチが悪いよ」
「そ、そう言われても……」
悪気はないとか、言ってる意味がわからないとか、そもそも俺に可愛げなどないとか――何を言えば正解なのか。
「……まあ、あの子たちに免じて今日は許してあげるけど」
メイベル姉さんはそう言って、俺の額に軽く指先で触れると、微笑みつつ席を立った。
「あたしも王都に行く支度をするから、一刻くらい後に北門に集合ね。置いていったら承知しないよ」
「ああ、それは勿論……姉さん、また一緒に仕事ができるな」
「まずはエルクを助けなきゃ。一緒だからどうとか、そんなのは甘ちゃんの言うことだよ」
そんな言葉とは逆に、姉さんは笑っていた。俺を残して部屋を出ていく――ドアが閉まったあと、外から声が聞こえてくる。
『メイベル様、凄いです……年下の男の子も虜にしてしまうなんて』
『ふふっ……まあ、あたしも捨てたもんじゃないってことね』
「何を言ってるんだ……」
きゃあきゃあと楽しそうな声が聞こえてくる――ここは『表』の飲食店だが、姉さんの主義なのか若い女性店員が多いようで、姉さんの浮いた話(誤解だが)に飛びついてしまっているようだ。
俺が姉さんの新しいツバメ的な何かだと勘違いされている――そう思うと何か喉が渇いてきて、俺はまだいくらも飲んでいないエールで喉を潤した。盗賊ギルドの一部は俺が誰かを知っているはずだが、姉さんの関わる組織全ての構成員が関知しているわけではないようだ。




