①最悪な目覚めpart 1
「――拓夢様!? 拓夢様!!」
「う、うう……」
自分を呼ぶ大きな声に目覚めた。
ベッドから起き上がると、そこは白い施設でも何でもなく、いつもの自室だった。
(ということは、今のは夢か……?)
夢というには、あまりに生々しすぎる。頬を叩かれた痛みまでも、正確に思い出せるようだ。
「拓夢様……」
見ると、ノエルが湿ったハンカチを持って立っていた。どうやら、あれで自分の汗を拭いてくれていたらしい。窓の外が明るいことから、起こしに行こうとした時に、たまたま拓夢が悪夢を見ていたというわけだ。
「大丈夫ですか……?」
月雨ノエルは、整った顔を悲しげにゆがめながら尋ねてきた。
聖ジュリアンヌ女学院で働いているメイドであり、理事長の秘書でもある。
ひょんなことから拓夢の専属メイドとなったのだが、拓夢とは過去に一度出会っていたのだった。
幼い頃、良家の厳しい躾に耐えかねたノエルは家出し、公園にいた。そこで出会ったのが拓夢なのだ。
ノエルは地面に落ちてケガしたツバメを巣に戻そうとしており、偶然通りかかった拓夢が、それを助けた。そして、自分の生き方を示してみせた拓夢に対し、ノエルは淡い恋心を抱いていたというわけだ。
そんなノエルは白銀のポニーテールをドレスカチューシャでまとめ、黒のワンピースの上に白のロングクラシックエプロンをまとっている。
瞳の色はブルー。長く垂らされた一本のポニテはまるで尻尾のようであり、気品に満ち溢れた所作と優雅で美しい表情は、高貴な猫を思い出させた。
高貴で気まぐれな猫――それがノエルのイメージだったのだが、その印象は今、大きく崩れていた。
(やっぱり、ノエルの態度には未だに慣れないよなあ……)
慣れないというのは、以前ノエルは主人である拓夢に対し、からかったり慇懃な態度を取り続けていたからだ。
――それもこれも、ノエルとの思い出を忘れていた拓夢に非があるのだが。
「拓夢様ぁ」
猫――もといノエルは、拓夢の元まですり寄ると、心配そうに声をかけた。返事がないことが不安に感じられたのだろう。真珠のような青く美しい瞳を涙で揺らしている。
「……起き上がれますか?」
「うん、大丈夫」
拓夢は返事をすると、起き上がったベッドの上に腰を下ろす。そんな拓夢を気遣うような眼差しでノエルは見ていたが、やがて口を開いた。
「どうかされたんですか? 大分うなされていたようですけど……」
「いや、別に」
何でもない、と言おうとして出来なかった。
本音としては、凄く気になっていたのだ。何かの施設に入れられて、実験体になっていたなどと。あまりに非現実的すぎて、話す気にもなれないが。
ただ一つ気になる点。自分は夢の中で女のことを「母」と呼び、そしてとても恐れていたことだ。
「……聞いてもらって、いいかな?」
拓夢の問いに、ノエルは無言で首を縦に振った。
拓夢は、今朝見た夢を全て話した。
幼い頃自分は白い施設に入れられていたこと。そこでは若い女と二人で暮らしていたこと。その女は、自分に何かしらの実験をしていたこと。
ノエルは、神妙な面持ちで聞いていた。薄青い瞳は瞬き一つしない。神経をピクリとも動かさず集中して聞き入ってる様子は、精巧なマネキンを思わせたが。
やがて彼女は口を開いた。
「――その夢は、拓夢様にとっては悪夢だったのですか?」
「ん、まあ」
思い起こしながら、拓夢はブルルと肩を震わせる。
「生々しい夢だった……まるで、本当に体験したことのように」
「なるほど」
ノエルはそう言うと、両腕を組みながら、立てた右手の親指を口元に当てた。
「拓夢様は、〝フラッシュバック〟という言葉をご存じですか?」
「え?」
「強いトラウマ体験を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象のことです」
「な……なにが言いたいの?」
「私が思うに、その夢は拓夢様の実体験そのものです」
「えっ!?」
「そんな気がしてなりません……。幼少の頃で記憶が曖昧ということは、おそらく2~3歳頃の話でしょう。だとしたら、時系列的には拓夢様が城岡家に引き取られる少し前です。それ以前――つまり、本当の両親の記憶が、拓夢様にはない。それは、脳が思い出すことを拒否しているから。要するに、幼少期に何らかのトラウマを抱えていた。そう考えるのが自然だと思うのですが……」
言葉尻を少し濁しながら、ノエルは説明した。
その説明はとても合理的で、筋が通っている。しかし、だとするなら……。
「拓夢様の出生の秘密を明らかにするには、その『記憶』をよみがえらせることがカギになるかと思います」
その言葉は、拓夢に衝撃を与えた。
そうだ、拓夢は13年前、城岡家に引き取られる以前の記憶がない。本当の両親は事故死したと知らされているが、今となってはそれも嘘だと思っている。
だとしたら、本当の両親は別にいて、今も生きているかもしれないということになる。
本当の親は、なぜ自分を施設などに閉じ込めたのか? 一体何の実験をしていたのか? そして、何故追い出したのか? 疑問は山ほどある。
一番手っ取り早いのは、事情を知っているらしきこの学園の理事長――神薙夢子に尋ねることだが。拓夢は、それを恐れていた。
それは、真実を知るのが怖いという心理からくるものだろう。それほど拓夢は、夢子を信頼していた。その信頼が崩壊すること。それは拓夢の精神の崩壊でもある。
だから拓夢にはそれが、どうしても出来なかった。




