㊻夢へと向かって羽ばたく鳥たち
その子と出会ったのは、もう13年も昔のことになる。
『なんだ……? あの子』
そんなことを呟いた拓夢は、都内でも割と大きな公園を歩いていた最中だった。なんだと言ったのは、何度も木によじ登ろうとして落下している女の子を見かけたからだ。
『どうしたの? 木登りの練習?』
そうやって話しかけた。
この頃の拓夢は今よりもずっと社交的で、かつ女性アレルギーも発症していなかった。なのでさり気なく明るく、女の子に話しかけることが出来た。
女の子は『ううん……ちがうよ』と銀髪の髪を振り乱した。
歳の頃は拓夢と同じで、また幼稚園児かそこらだろう。
透き通るような純白の肌を泥だらけに汚した少女は、説明をしてくれた。
少女が公園を散歩していた時。小鳥が地面に落ちてくるのを目撃したという。どうやら、羽ばたくのに失敗して、巣から落下してしまったらしい。だから少女は、小鳥を巣に戻してあげようと、何度も木登りの練習をしていたというのだ。
そんなことを、入り口付近にある手洗い場で、拓夢は少女から聞き出した。水で砂汚れを洗い落とし、傷口を丁寧にハンカチで拭いてあげた。少女は最初だけ警戒していたが、拓夢の優しさに触れると、すぐに表情を和らげ色々と話してくれた。
『えっと、だいじょうぶ……?』
『うん! だいじょうぶ!』
少女の問いかけにニッコリと答えると、拓夢は小鳥をリュックにしまい、器用に木を登り出した。
その頃は、今よりもずっと運動神経がよかった。頑丈な幹に足をかけ、踏ん張りながら手を上の枝にかけていく。あっという間に巣の近くに来てしまった。
親鳥や兄弟鳥は、拓夢が近づくと痛々しいくらい激しく鳴いたが、拓夢がリュックから小鳥を取り出すと、心配そうに小鳥の周りをうろつき始めた。
チュン、チュンという甲高い声は、拓夢には泣いているように聞こえた。
無事地面へと降り立った拓夢は、少女と一緒にブランコに乗っていた。
激しく漕ぐ拓夢と、静かに揺れている少女。
小鳥が助かったことに安堵した少女は、拓夢に事の経緯を説明してくれた。
自分は家出したこと。
そんな歳で冗談かと思ったが、少女の家庭は、拓夢からすればまるで異次元のような家庭だったのだ。
少女は、名門の生まれだという。
どんな会社を経営しているかとか、資産はどれくらいだとか、そんなようなことも説明されたが、それらのことは全く覚えていない。
覚えているのは、少女の家系はとある名家に仕える家柄で、生まれてくる子供は、代々その家の当主に奉公してきたということだ。
よく言えば召使、悪く言えば奴隷のような環境に、年端もいかない少女が逃げ出したことは、当然といえば当然だ。
『そんなの、従う必要ないじゃん。嫌だったら嫌って、そう言えばいい』
拓夢の問いかけに、少女は『むりむり』と言わんばかりにぷるぷる首を横に振った。
『逃げ出すくらい、辛いんでしょ?』
今度は縦に首を振る。
『いやだったら……親にそう言えばいいでしょって』
拓夢は少し苛立ったように、勢いをつけてブランコを揺らした。びゅんびゅんと大気を裂く風が肌にまとわりつく。
『何も言わずに逃げ出すのはダメだよ。親も心配するだろうし……あ』
口をつぐんだが遅かった。
『ふえ……えぐ……うう……』
ハッキリと言われた少女は、火がついたように泣き出してしまったのだ。
『うおわ!? ちょ、ちょっと待った!』
目の前で女の子に泣かれたのは、これが初めてのことだった。
慌てて拓夢は少女に頭を下げると、またブランコに腰を下ろした。
『だからさ。その主人? っていうのに会ってみればいいじゃん』
座板に足を乗せ、立漕ぎをしながら拓夢は言った。
少女も多少涙目ではあるが、泣き止んだ様子でブランコをゆっくりと漕いでいる。
『一度会ってみて、この人嫌だなって思ったら、その時は本気で嫌がればいい』
この時の拓夢は、城岡家に引き取られたばかりで、まだ虐待を受けていなかったのだ。
まさか数十年後に自分が同じ立場になっているとは、この時は思いもしなかったのだが。
『だってさ……もしかしたら友達になれるかもしれないじゃん。ちがう?』
少女は鼻をすすりあげながら、ぷるぷると首を横に振る。空中で円運動する拓夢は、とある光景を目にし、声をあげる。
『あっ、見て見て! あの鳥、空を飛ぶよ!』
『えっ……あ、ほ、ほんとだ!』
さっきまでろくに歩くことも出来なかった小鳥が、立派に翼を広げて、雄々しく空を旋回しているのだ。
『すごいねー』
キイーッ! と甲高い鳴き声を上げながら、外の世界を羽ばたく若鳥。
その光景を見ていると、何だかもの凄く誇らしい気持ちになる。
『あ。僕そろそろ行かなきゃ』
拓夢がボソッと呟くと、少女は暗い表情でうつむいた。
『……いっちゃうの……?』
『うん。むかえが来てるし』
拓夢が公園の入り口に目を向けると、まだ生まれたばかりの聖薇をベビーカーに乗せた両親が、自分を見つめて立っていたのだ。
『僕、城岡拓夢っていうんだ。いつもこの公園にいるから、また遊ぼうよ』
『……しろおか、たくむ?』
少女はポカンとしながら聞き返した。
その名前に聞き覚えがあるような、非常に驚いている様子だ。
『うん。変わった名前でしょ。ところで、君の名前は?』
拓夢が問いかけると、少女はパアっと明るくなった顔を上げた。
サラサラな銀髪の髪の毛。ミルクのように透明な肌、宝石のような青い瞳。
『えっと、わたしは、わたしはねっ――』
少女は満面の笑みを浮かべて拓夢に――と名乗った。




