㊸ただいま、おかえり
その叫び声は、甲高く克明に、拓夢の耳へと響いた。
「ご、ごめんなさいっ!!」
「せ、聖薇さん……?」
必死にしがみつく聖薇の肩に腕を回し、何とか上半身だけ抱き起す。
「あのね、聖薇悪い子なの! パパとママに怒られるのが怖くて、だから、何も言えなかったの!」
「え……」
懺悔のような告白に、一瞬言葉を失う。
「怒られる……? どういうことですか?」
「えっとね、聖薇聞いちゃったの。パパたちの会話。『聖薇が拓夢を庇おうとしたら、アイツにも思い知らせてやる』って。だからお兄ちゃんを助けると聖薇も虐待されるって思って! 何も出来なかったの!」
後悔と謝罪の念が押し寄せているのか、聖薇は一気にまくし立てた。
「庇えなかった理由は分かったわ。でもどうしてあなたは、お兄ちゃんのことを『キモい』とか言って馬鹿にしたの?」
拓夢と聖薇の間に割り込んできたのは、夢子だった。
「それは……ごめんなさいっ。聖薇、恥ずかしかったの。本当の気持ちを伝えるのが。お兄ちゃんのこと、本当は、ずっと、ずっと……」
その続きを聖薇は言わなかった。おそらく、ずっと隠し通してきたことだから、まだ抵抗や恥ずかしさがあるのだろう。だから、拓夢は聖薇が喋り出すまで待つことにした。
何秒、いや何分待っただろうか。流石に声をかけようかと拓夢が悩みだしたあ時だった。聖薇はガバッと顔を上げた。
「お兄ちゃんが好き! あたし、お兄ちゃんのことがホントは大好きっ!!」
頬を真っ赤に染めて告白する聖薇は、今までに見たことがないほど可愛らしく見えた。しかし……。
「聖薇さん……どうして……」
「だって、お兄ちゃんはあたしにとってヒーローだもん! いつも優しくしてくれて、何でも出来て、とっても頼りがいがあって! もう子供の頃から、ずっとずっと好きだったよ!」
一度思いを叫んだことで堰が切れたのか、聖薇の告白は留まることを知らなかった。
「そう……ずっと我慢してたの。だって、義理とはいえ家族なんだもん! お兄ちゃんは女性アレルギー持ちだから、負担を負わせたくなかった!」
「聖薇さん……僕のために……」
「もう止めて! 敬語なんか使わないで! 昔みたいに呼び捨てにして! お兄ちゃんは、あたしだけのお兄ちゃんなんだから!」
「……!」
拓夢が声をかけられずにいると、またもや聖薇は泣き出してしまう。
拓夢は困ったように後ろを向いた。ノエルは泣き止んではいたが、視線をこちらに向けてはくれない。泣き顔を見られたのが恥ずかしかったのだろう。
「拓夢君」
そんな拓夢に声をかけたのは、夢子であった。
「拓夢君はどうしたいの? 聖薇ちゃんはこう言ってるけど。時間が経てば、また同じになっちゃうかもしれないのよ?」
「いえ……」
拓夢は微笑みながら首を振ると、ポケットから金のネックレスを取り出した。昔、聖薇の誕生日にプレゼントしたものだ。
「大丈夫です。僕達には、これがありますから。聖薇さん……いや、聖薇」
「ぐすっ……! なに……?」
「これ、返すよ」
拓夢は聖薇の首に、チェーンを修復したばかりのネックレスをかけてあげた。
「これを見て思ったんだ……聖薇さんが、本当は僕のこと嫌っていないって」
拓夢はそう言うと、チャームを開閉して中の写真を取り出した。
まだ城岡家に来たばかりの頃。仲がよく、拓夢もまだ聖薇に敬語を使っていなかった頃の二人が、そこには映っていた。
「う……中、見たの?」
さすがに恥ずかしくなったらしく、拓夢の腕の中で聖薇はもじもじとしだした。
「嬉しかったよ。僕も、聖薇のこと気になってたから」
「お兄ちゃん……じゃあ」
聖薇は「戻ってきてくれるの?」と懇願の想いを込めた眼差しを向けてきた。その視線に拓夢は一瞬怯むが、気後れする気持ちをかき消すように首を振ると、
「いや、僕は城岡の家には戻れない」
「……なんで? 聖薇のこと、やっぱり許せないからっ?」
「違うよ。でも、僕はまだこの学園にいたいんだ」
「なんで、なんでっ!?」
「それは……皆さんのことが、凄く大事だからだよ」
「あたしよりも大事なの!? お兄ちゃん、もう帰ってこないの? もう、聖薇と会ってくれないの? そ、そんなの……っ、そんなのやだぁ!」
聖薇は、もう2度と離れまいとするようにしがみついた。こんな子供みたいな聖薇は、初めて見る。
拓夢は、胸が締め付けられる思いがした。
それでも。自分は今この学園の庶民特待生なのだ。夢子やノエルや、四天使のみんな。自分の銅像まで建てようとしてくれる学生たちを放って、逃げ出すわけにはいかない。
「聖薇、分かって。僕は聖薇のことも大事だけど、皆さんのことも同じくらい大切なんだ。親に捨てられた僕を、夢子さんは拾ってくれて、皆さんはそんな僕を受け入れてくれた。だから今、自分の役目を放り出すわけにはいかないんだよ」
「ふぇ……ひぐ……おにいちゃ……おにいちゃん……」
「……でも、一生会えないわけじゃないから。それで許してもらえないかな?」
「うう……」
聖薇は不満そうな表情をした。拓夢とは毎日でも一緒にいたい。ただ自分がしたことを考えると、拓夢の決めたことをないがしろにするわけにもいかないのである。
そんな折、聖薇に話しかけたのは、夢子であった。
「聖薇ちゃん」
「……なんですか?」
「もうお兄ちゃんのこと、イジメたりしない? イイ子になるって、約束できる?」
「え……?」
急な問いかけに、聖薇は困惑しているようだった。
「あら。じゃあ質問を変えようかしら」
夢子は肩をすくめて、イタズラっぽい笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんと、ずっと一緒にいたい? その為だったら、何だって出来る?」
「はい!」
今度は迷わず、聖薇は即答した。
「え……でも、いいんですか? 庶民特待生の義務は? それに、この学園は部外者立ち入り禁止では?」
拓夢は遠慮がちに夢子に話しかけた。
「それはそうだけど、また強行突破されたら困るでしょ? それなら、目の届く所にいてもらおうかなって」
「目の届くところで?」
「つまり」
理事長として凛々しい表情に変わった夢子は説明をした。
聖薇を、庶民同好会の「校外部員」に任命しようと。
学校が終わった後、放課後に「学生ボランティア」という名目でなら、校内への入校を許可する。庶民同好会は部活動ではないので、自治体などへの報告も不要というわけだ。
「もちろん、事前に連絡は必要よ。あと、問題を起こしたら即出入り禁止にするから、覚悟しといてね。それと、顧問であるノエルから常に指導監督を受けてもらう、というのが条件よ」
そこで夢子は一端言葉を切った。拓夢は驚いていた。校外部員の任命など、すぐに通せるものではない。おそらく夢子は聖薇が気を失っている間に、理事会に話を通しておいたのだ。聖薇が拓夢と和解すること、そして校外部員の話を引き受けることも、全て想定した上で。
夢子の有能さは分かっていたことだが、これだけの手際の良さを見せつけられては、あらためて舌を巻くしかなかった。
「……さあ、どうする? 聖薇ちゃん。もしOKなら、特別にあなた用のICカードを発行するわ。顔認証と指紋認証つきでね」
「……」
夢子からの問いかけに、聖薇はしばらく沈黙していた。
拓夢と会えるのは放課後のわずかな時間。それも監視つき。
しかも、あの仲が悪いノエルの監視だ。少しでも問題を起こしたら出入り禁止の罰則も厳しい。拓夢が固唾を飲んで見守っていると。
夢子は再度、聖薇に問いかけた。
「やっぱり止める? どうしても嫌なら、この話は白紙に……」
「やります」
真剣な表情で、夢子を真っすぐ見つめながら、聖薇は言った。
「あたし、庶民同好会の校外部員になりたいです! 雑用係でも何でも構いません! 入部させてください!!」
「義理とはいえ、やっぱり家族ね。誰かさんと似てるわ」
ね? と夢子はウインクしながら、拓夢に視線を向けた。
「あたしは、お兄ちゃんに罪滅ぼしをしたいと思う」
聖薇は淡々と、でもハッキリと言った。
「それなら、どんな条件だって受け入れる。お兄ちゃんのそばにいられるなら、何てことない」
その言葉に、夢子は「まあ♪」と両手を叩いた。拓夢も顔をほころばせる。
ただ一人渋い顔をしていたのは、ノエルであった。
「私は反対ですね。理事長の決めたことには逆らえませんが……。その方は不法侵入の上、大事な庶民特待生を連れ出そうとしたんですよ? こんな簡単に許した上、そんな特例を認めていいものでしょうか? 最悪譲歩するにしても、ひと月に一度だけとか制限を設けるべきではないんですか?」
クールで整った顔を苦々しくゆがめながら、ノエルは吐き捨てるように言った。正直、ノエルの言うことも分かる。メイドとして学園の生徒の安全を見守っているのはノエルなのだから。何かあった時の対策を考えるのは当然の責務であろう。
「あまり規則規則ってがんじがらめにしても逆効果よ。あなたが聖薇ちゃんの面倒を見れば解決することだわ」
「……それは、命令ですか?」
「別に嫌なら仕方ないけどね~♪ じゃあ顧問は別の人にやってもらう~? でもそうすると、拓夢君と聖薇ちゃんの仲が急接近しちゃうかも~♪ それでもいいのかな~?」
「……チッ。分かりました。やります」
ギロ! となぜか拓夢の顔を睨みつけながら、ノエルは渋々了承をした。
思わず恐怖で足がすくんでしまいそうな拓夢だったが、今はそれどころではない。
「まあ、ノエルの気持ちも分かるけど……。教育者として、保護者として。今私達に出来ることは、感動の兄妹再会を見守ることじゃない?」
夢子は、暖かな視線を拓夢と聖薇に向けた。
「「…………」」
思わず顔を見合わせ、赤くなる拓夢と聖薇。
やはり、気まずいことは気まずい。今までずっと仲違いしてきた関係なのだ。和解したとはいえ、どんな言葉をかければいいのか……。
そんな不安そうな聖薇の髪を優しく撫でると、拓夢は言った。
「お帰り。聖薇」
「……!」
また聖薇の瞳にぶわっと涙の渦が広がった。
どんな言葉をかければいいかなどと、愚門だった。自分が感じた、何気ない言葉をかければいいのだ。
拓夢と聖薇は家族なのだから。
義理だとか、立場の違いだとか、そんなことは問題じゃない。
可愛い妹として再会できた喜びを、そのまま表せばよかったのだ。
「――ただいま、お兄ちゃん!!」
聖薇もまた喜びを全身で表現するかのごとく、勢いよく拓夢に抱きつくのであった。




