㊷慟哭、そして
ノエルにクズと言われて、当然聖薇は、
「な、なによ! アンタなんかただの雇われメイドでしょ? あたしは今理事長と話してるんだから、関係ない下っ端は黙ってなさいよ!」
「関係ない……?」
聖薇の発した言葉に、今度はノエルの方がわずかに眉を動かした。
「大体、あんたがお兄ちゃんを拉致した実行犯じゃない! お金を積まれたのか、命令だからなのか知らないけど、あんたは理事長に頼まれたら平気で人を誘拐するんでしょ? クズなのはあんたの方じゃない!」
「聖薇さん、それは違います! そりゃ、確かにお腹が痛いフリして僕を騙して、最終的には薬で眠らされましたけど、でもそれは……」
拓夢のフォローも、聖薇には逆効果だったようで、
「ほらねっ! お兄ちゃんだって迷惑だって言ってる! 観念してお兄ちゃんを引き渡しなさいよ! この悪魔っ!」
(違う……迷惑なんてしてない。それだけは、間違いない)
拓夢は心の中で思った。庶民特待生になると決めたのは、あくまで自分の意志だ。
だが客観的な視点で見るなら、聖薇の言うことも最もだ。
要するに、聖薇にはそう見えるのだ。まだ十四歳の女の子に、多角的な考え方を持てという方が、酷なのかもしれない。
「聖薇さん、落ち着いてください。ちゃんと話し……」
合いましょう、は言えなかった。ノエルが聖薇の前に立ちはだかったからだ。
「……あなたに、そんなことを言う権利がありますか?」
鋭い目をさらに鋭くして、見る者全てを凍てつかせるような表情で、ノエルは聖薇を見下していた。拓夢にも初めて見る表情だ。もしかしたら、本気で怒っているのかもしれない。
「ノ、ノエルさんも、ケンカはダメですよ!」
と、拓夢がノエルの元まで駆け寄ろうとした時だった。
「ダメよ、拓夢君」
肩をつかまれ、夢子に阻まれてしまった。
「ゆ、夢子さん……?」
「拓夢君。あなたは本当に優しい子ね。でも、今は少し黙っていて。ここはノエルに任せるのよ」
彼女は拓夢の背後に立つと、優しく耳元にささやきかけた。
「で、でも……」
「大丈夫。ノエルのしてることは、全部拓夢君を思ってのことだから」
拓夢は困惑していた。大丈夫といっても、あの目を見てはとても安心できない。
しかし夢子に言われては仕方ない。「分かりました」とだけ言って成り行きを見守る。
……確かに、あのノエルが我を忘れて激昂することなど、考えられない。
拓夢には、そう願うことしか出来なかった。
「あなた、さっき何て言いました? 私達が悪魔?」
ノエルの問いかけに、聖薇はフンと鼻を鳴らすと、
「そうよ! だから、あたしが助けてあげるの! 女性アレルギー持ちのお兄ちゃんが女子校だなんて、無理に決まってるじゃない!」
「それに関しては、優秀な医療スタッフ監修の元、万全な対策を行っています。拓夢様の女性アレルギーだって、少しずつ良くなってきていますし」
興奮のせいか、少しいからせた肩を抱きかかえるように腕組みをしながら、ノエルは言った。その態度に、聖薇もヒートアップしたらしい。
「そんなのわかんないじゃん! いつ最悪なケースになったっておかしくないんだから! 医者とベッドがあるから何だってのよ!」
「ではあの家に戻せば、拓夢様は元気になるとでも言うのですか?」
ノエルが、ゆっくりとした足取りで聖薇に詰め寄る。
「拓夢様が城岡家でどんな扱いを受けていたか。当然あなたは知っていますよね?」
さざ波ほどの揺れもない真っすぐな瞳で見据えるノエルに、聖薇は戸惑っているようだった。
核心を突かれたからだろう。
優しくて断れない拓夢は、両親から酷い虐待を受けていて。自分はそれを見過ごしていたことに。
「で、でも……そんな、そこまで大したことじゃ……」
「――ふざけるなっっっ!!」
烈火のごとく叫ぶとノエルは、聖薇の頬に平手打ちを食らわせた。
「あうっ!」
よろめきながら床に崩れ落ちる聖薇。心配する拓夢に、ノエルは一瞬だけ申し訳なさそうな視線を向けたが、すぐにまた聖薇へと向き直り、
「拓夢様がここに来た時の体重が、いったい何キロだったと思います? たったの40キロですよ! 食べ盛りの年頃なのに、ろくに食事も与えられなかったっ。聞くところによると、ちょっと機嫌が悪いだけで食事を抜かれると、そう言ってましたっ」
拓夢の前だと、あんなにクールだったノエルが、声を荒げて聖薇を怒鳴りつけている。青い瞳を赤く滲ませ、涙も浮かべている。
「拓夢様が初めてこの学園に来て、最初に着替えをお手伝いした時、私は絶句しました……。拓夢様の体には、無数の傷跡や打撲痕があったからですっ! 全て、あなたの家族がやったことですっ! あなたはいつでも止められる立場にいたのに、自分可愛さから庇いもしなかった……っ」
いつもは真一文字に結ばれている唇が、今は激しくなめらかに動いている。
顔を上気させ、瞳を潤ませながら叫ぶ姿は、拓夢にとって初めて見る「本当のノエル」のように思えた。
「それでも拓夢様は……愚痴や不満をこぼしたりはしませんでした。いつも優しくて、私達のことを気遣ってくださる……だから私は、ずっと拓夢様にお仕えすると決めたんです。確かに、私達のやっていることは間違っているのかもしれない……でも、私達は拓夢様のことを心の底から想っているっ! ここに来て、庶民同好会に入って、拓夢様の笑顔も少しずつ増えてきたっ。肌の色つやも良くなったし、傷跡も薄れて、体重だって増えてきたっ。それなのに、どうして今さらあなた達のようなクズに拓夢様を渡さなきゃいけないんですかっ!!」
「ノ、ノエルさん……」
初めて見るノエルの激昂に、拓夢は声を失っていた。
「拓夢様は……拓夢様は絶対に渡しませんっ!」
髪を振り乱し、涙を滴り落としながら、ノエルは叫んだ。
拓夢の胸に、感動の嵐が渦巻いていた。あのノエルが、自分のために、本気で怒ってくれたのだ。これほど嬉しいことはない。
「あ、あたし……そ、そんな……あたし……」
呆然としながらブツブツと呟く聖薇。拓夢にとっては、聖薇も前の両親にも恨みはない。ただ、分かり合えなかっただけで。でも今は、聖薇と分かり合えそうな気がしているのだ。なぜなら聖薇は、自分を心配してここに来てくれたのだから。それに、ノエルも。その気持ちは両者共に偽りない真心だ。
「う、うぅ……っ」
聖薇がうつむきながら、嗚咽を漏らした。
「せ、聖薇さん、大丈夫ですか……?」
拓夢が声をかけるも、
「お……お兄ちゃあんっ!」
聖薇は拓夢に向かって抱きついてきた。飛びついたと言った方が正しいかもしれない。受け止めきれずに、拓夢は聖薇に押し倒される。
「せ、聖薇さんっ!?」
「お兄ちゃあああああああああああああああああっああああっっあん」
何とかケガをさせずに床に倒れ込んだが、今度は聖薇が泣き出してしまった。
「……って、うううっ」
拓夢は全身に震えが来ていた。女性アレルギーが発症したのだ。
「せ、聖薇さん。出来れば離れて頂けると……」
そう言って聖薇の肩を掴んで起き上がらせると、その顔は涙で覆われていた。
「いやだ、お兄ちゃん……」
拓夢の腕の中で、弱々しく聖薇が呟く。決して離れまいとするように、きつく拓夢の腕を握り返して。
「お兄ちゃん、あたし、あたし……っ」
キラキラと涙を散らせながら、聖薇の感情はついに限界を迎えた。
「ご、ごめんなさ――――――――――――――――――――――――いっ!!」
聖薇は、体の底から絞り出す様にして叫んだ。
それは彼女の、初めて見せる心からの慟哭であった。




