⑥緊張の自己紹介
人生初の転校イベントに、拓夢はかなり緊張していた。
それも、お嬢様ばかりの女子高だ。ちなみに今拓夢がいる場所は二年A組の教室。全校集会とは違って人数こそ少ないが、それでも個室の中ということもあって、今度は生徒達の顔がよく見える。これはこれで緊張するというものだった。
「あ、あの。どうしても自己紹介、しなくてはいけませんか?」
「何を言ってるの? ほら、女子はみんな待ってるのよ。早くしなさい」
拓夢が尋ねると、影島はそう促した。影島というのは、拓夢のクラスの担任だ。黒髪ロングストレートの女性。咲きかけの蕾のような美しさと未成熟さを醸し出しているが、それは影島がまだ新任教師であり、今年初めてクラスを受け持つからだだろう。キリッとした表情は大人の豊麗さがあるが、どこかまだ学生のあどけなさが残っている。
しかし新任なりに使命を果たそうと、非常に燃えていることが分かる。
だが拓夢はというと。自己紹介と言われても、何を話せばいいのかさっぱり分からない。女の子に対して、というのもあるが、それがさらにお嬢様なのだから。
そのお嬢様たちは、皆行儀よく席に座って拓夢のことを見ている。
校則が緩いせいか、みんなそれぞれに着飾っていた。シニヨン、ミセス、シフォンなど……。庶民の間では見かけないような気合の入った髪型をしてる子もいる。通っている美容師は庶民とは違うし、朝のセットなども、メイドに完璧に仕立ててもらっているのだろう。
「……ご覧になって? 庶民がご挨拶をなされますわ!」
「……この歴史的な場面に立ち会うことが出来て、光栄の至りですわ。高名な写真家をお呼びして、お写真をお取りしたいくらいですのにー」
テンションの上がった女子が、ヒソヒソ声で話し合うのが耳に入ってくる。
「それでは、皆さん紹介します! 庶民特待生の、城岡拓夢くんです!」
黒板の前で、影島は進行を始める。
生徒達は内緒話を止め、一斉に月島に注目した。
お嬢様学校なので在籍数はそれほど多くなく、ひとクラスに二十人ほどが計五クラスに別れている。拓夢は庶民特待生なので、ひとつのクラスに留まるということはなく、一週間ごとに各教室を移動するスタイルとなっている。
しかし、どう挨拶をすればいいのか。
庶民高校ならば簡単だ。適当に挨拶してもいいし、テンションを上げて笑いを取ってもいい。ようは自由だ。しかし、ここはお嬢様学校なのだ。当然、言葉遣いやお辞儀のマナー、礼儀作法なども、厳しく躾けられているだろう。
悩みに悩んだ末、拓夢の出した答えとは……。
拓夢は生徒達を前に、深々と頭を下げて、
「皆さん、初めまして! 庶民特待生の城岡拓夢です! お金もないし見た目も悪いし頭も悪いしスポーツもできませんけど、何とか皆さんについていけるよう頑張ります! よろしくお願いします!」
そう、自分を偽らず、そのままを伝えることだった。
拓夢が頭を上げると共に、教室からは拍手喝采が巻き起こった。
「庶民からのお言葉を頂きましたわー!」
「お言葉の意味は分かりませんでしたが、とにかく凄いですわー!」
「ああ……亡きおばあ様にも、この光景を見ていただきとうございましたわ……」
特に最後のは持ち上げすぎなのでは? と思ったが、盛り上がってくれたのはいいことだ。
「み、皆さん。少し大げさですよ」
同じ二年なのだから同い年になる女子たちに対しても、あくまで拓夢は敬語で接した。
「いえいえ。心のこもった、いい自己紹介だったわ。ね? みなさん?」
影島がそう話しかけると、女子達はこくこくと頷いた。
こうしてみると、やはりお嬢様学校なんだなというのを、拓夢は感じていた。前の学校ならば、こんな自己紹介をしたら、次の日からイジメにあっていただろう。
しかし、この学校は違う。女子たちは、好奇と羨望の眼差しで拓夢のことを見つめている。自分を下げるようなことを言ったのに、なぜこのように持ち上げられてしまうのか。後悔先に立たずの拓夢であった。
「では、拓夢くんの席ですが」
「は、はい……」
拓夢は願っていた。一番後ろの一番端がいいと。あそこなら、目立たない。なるべく、女子の視界に入らない場所がいい。
しかし影島は無常にも、中央の席を指さした!
「一番真ん中の席にしましょう。拓夢くんは庶民特待生なのだし、転校生だから、早く生徒達と打ち解ける必要があります」
ええっ!? と驚愕の表情で拓夢は影島を見た。よりにもよって、一番真ん中とは。
「えーっと、影島先生。僕……あまり目立つ席は。出来れば、一番後ろの席で……」
小声で、なんとも情けなく懇願する拓夢。すると、影島は瞳を燃え上がらせて、拳を握りしめながら叫んだ。
「何を言ってるのよ拓夢くん! あなたの使命は、女の子たちに、庶民というものを教えてあげることでしょう!? それが、女子を避けてどうするのよ! 自分から行きなさい! 何事も最初が肝心よ! 最初が!」
何を熱くなっているのか……と思ったが、拓夢は諦めることにした。影島の指摘は事実だからだ。
ただ、拓夢としては出来るだけゆっくりと時間をかけて人間関係を構築したかっただけで……ようは、考え方の違いなのだ。
先ほどとは打って変わってシーンと静まり返る中、渋々拓夢は席へと座った。
「あ、あの……。城岡さま、城岡さま」
縮こまって座る拓夢に、隣の女子がいきなり話しかけてきた。
「お噂でお聞きしたことなのですが、庶民というものは〝電車〟というもので移動されているとのことなのですが、本当なのでしょうか?」
「え……そ、そうですけど……」
「と……ということは、庶民は切符というものをいつも買ってらっしゃるのですか?」
「ち、違いますよ。サピカとか知りませんか? バスとか地下鉄で使える乗車券なんですけど。今はカードを読み取った時に、自動的にチャージされる仕組みになっています」
「は、はい……? チャ、チャージ……ですか?」
その子は、本当に驚いているようだった。最初は馬鹿にされているのかと思ったが、女の子は畏怖と尊敬の眼差しで拓夢を見ている。
そこからは、あっという間だった。
ひとたび会話の口火が切られれば、みな興味津々といった感じで拓夢に話しかける。
「あ、あの! マクドナルドというものを、利用されたことはありますか?」
「あまりないですけど……てりやきチキンセットとか、飲み物はコーラのMサイズが人気みたいですね」
「てりやき……。聞いたことはありませんが、何かこう、厳かな響きがする食べ物ですわね」
「今庶民の間では、どのような芸能人が流行っておりますの?」
「マジカルラブリーとかですね。吊革を使わずに、ガタガタ動く電車の中でずっと揺れてるってネタが面白いみたいです」
「吊革を使わずに!? そのような人間が存在するのですか!?」
……と、口々に質問をしては、みな驚いていく。そして最後は「すごいですわー」で必ず締めくくられるのだが、拓夢としては何が凄いのか全く分からなかった。
「はいはい。みんな気持ちは分かるけど、城岡くんをあまり困らせないようにね? 城岡くんはデリケートなんだから、ほどほどにするように!」
さすがに見かねたのか、影島が割って入った。
「城岡くんの話はいったんお終い! これで朝のHRを終えます。皆さん、速やかに次の授業に備えるように!」
影島は強引に話を打ち切ると、教室から去っていった。浮かれている女子生徒たちも、すっかり熱が引いた感じだ。
一時間目の教師が来るまでの間、拓夢は考えていた。なぜこんなにも心が落ち着かないのか。みな一様に「すごい」だの「えらい」だのと、自分を褒めちぎってくれる。今まで、そんな風に讃えられたことがなかったからかもしれないが。
それからしばらくして、一時間目の担当教師がやってくる。
女子たちは先ほどまでの騒ぎなどなかったかのように、真面目に授業を受けている。
拓夢とてそうだ。拓夢は特待生として、庶民の模範とならなければならない立場なので、授業中に眠ってしまうなどありえない。いかに前日が慌ただしく、数時間ほどしか寝れていないとはいえ、初っ端から居眠りなど到底できるわけがない。
しかし、自己紹介とう大役を終えた今、安心して眠くなってしまうのも確かなもので……。
心の中で言い訳を呟きながら拓夢はストンと眠りに落ちるのであった。