㉕資料室の中の攻防
そうやって二人なら二分で終わるような作業を、三人で五分ほどかけて行ってるのが現状だ。桜が拓夢に話しかければ、真莉亜もまた拓夢に体をすり寄せてきたりと、乙女の攻防を繰り広げていたからである。そして、ついに資料室へ到着したのだが。
「さて、これをどこに置こうか……」
拓夢はちょっと悩んだ。キチンと棚に陳列するには資料の数が膨大すぎるし、かといってその辺に放り投げていくわけにはいかない。社会の先生に聞いておけばよかったと後悔した。
その時、桜が拓夢に近づき、快活に言った。
「あそこら辺に置けばいいじゃないッッ!」
彼女の形のいい指がさした方向は、受付のカウンターだった。
「ああ……でも、いいんですかね。あんなところに置いて」
拓夢はつぶやいた。利用者の受付をしたり、貸出や返却をしたりする場所だ。乱雑に物が散らばってるのはまずいと思ったのだ。
「だいじょーぶだいじょーぶッ! なにかあったら、わたしが謝るからッ!」
有無を言わせぬ桜にダメ押しされる形で、三人は持ってきた資料をカウンターテーブルに積み重ねた。
両手が開いた拓夢は、室内を見渡す。巨大な展示スペースや整理整頓された資料棚、誰でも利用できる閲覧コーナーに、重要資料を保管している保管庫。
名門学院だけあって、歴史に関係する学本、中でも貴重な資料が多く残されてるようだった。
資料室の中を見学する拓夢に、真莉亜が話しかけた。
「それにしても。なぜ社会の先生は、拓夢さまにこのようなことをさせたのですか?」
「ああ。実は僕、社会の小テストで赤点取っちゃって……その罰なんですよ」
「「赤点!!」」
拓夢の言葉に、桜と真莉亜は何故かハモりながら驚いていた。拓夢がきょとんとしていると、
「じゃあ、来月の中間試験どうするのッ? 拓夢くんこの学校に転校してきたばかりだし、かなり危ないんじゃない?」
「それなら、このわたくしが教えてさしあげますわ。これでもわたくし、学内でも五指に入るほどの成績を収めているんですのよ」
「えっ、えっ?」
食い気味に手を挙げる桜と真莉亜に、たじたじになる拓夢だった。
「そう……わたくしが教えてさしあげますわ♡ 手取り足取り……♡♡ それこそ、わたくしの全てをお教えしたいですわぁ……♡♡♡♡」
特に真莉亜は、昨日までの思いつめた表情が嘘のように、紅潮した顔で拓夢だけを見つめていた。
「ちょっとぉおおおおおおおおおおぉぉぉおおおお!! 真莉亜ちゃん、ズルいよおおおおおおおぉぉぉおおおおおッ! 拓夢くんは、未来のわたしの旦那様なんだからねええええええぇぇえええッッ!!」
それに反抗したのは、言うまでもなく桜だ。当然間にいる拓夢は板挟みにあったような状態なので、居心地は非常によくない。
「ふ、二人とも。少し落ち着いてくれませんか?」
「それなら、桜さんが我慢なさればよろしいのではなくて? なぜならわたくしの方が、桜さんより成績が上だからですわ」
「い――や――――な――――の――――――――!!」
拓夢の声など耳も貸さず、真莉亜と桜は激しく言い争っている。
そんな攻防が、数分間繰り広げられた後……。
「はあ、はあ……っ。真莉亜ちゃん、ちょっと、落ち着こうか……」
「……ええ、そうですわね」
流石に声を張りすぎて疲れたのか、桜は一時休戦を申し出、真莉亜はこれを了承した。
「冷静になってくれて、よかったですよ二人とも」
ホッとしながら拓夢は、廊下の自販機で買ってきたペットボトルを、二人に向かって差し出した。桜と真莉亜はそれぞれにドリンクを受け取ると、拓夢に微笑みかけた。
「ありがとおおぉぉおおおおお~~っ! ちょーど喉乾いてたんだぁぁぁぁぁああああー!」
「拓夢さまのお気遣い、誠にうれしく存じますわ」
真莉亜も馴れない口喧嘩で疲れたのだろう。拓夢から飲み物を受け取ると、早速口をつけた。
しばらく休憩した後……。
「でも真莉亜ちゃん、急にどうしたの? なんで拓夢くんとそこまで仲良くしたがるの? 最近なんか変だよ?」
「……それはですね」
真莉亜はペットボトルを口から離すと、しみじみとした表情で黙った。
考えてみれば、どうして拓夢のことをここまで好きになったのか、自分でもよく分からないのだ。拓夢は美少年ではあるが、特別な能力があるわけでもない。それこそ、婚約者の方が何倍も優れていた。
しかし真莉亜は、婚約者ではなく拓夢の方を選んだ。
「……」
黙りこくる真莉亜を、真剣な表情で桜が見つめている。真莉亜は、そんな桜にゆっくりと視線を向けると、
「……わたくし、拓夢さまに告白したんですの」
「えッッ!!」
桜は、持っていたペットボトルを床に落としてしまった。半分ほど残っていた中身が、床に小さな水たまりを作っていく。
桜は拓夢のことが好きだ。今は庶民特待生のルールがあるから付き合うのは無理だとしても、この学園を卒業する時には、結婚する気だった。
しかし、自分と拓夢の関係はどうだろうか? 二人きりになる機会は何度かあったが、憧れの白馬に乗った王子様ごっこをした時は落馬したり、お弁当を作ってあげた時は大失敗したりと、あまり仲は進展していないように思える。
それに比べて真莉亜は……。あの有栖川財閥の令嬢で、容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能……想像しただけで、嫌になるくらい完璧なお嬢様だ。
(でも、取られたくない……。わたしは、拓夢くんのことが……)
「桜さん? 桜さんっ!」
「え? な、なに?」
桜が我に返ると、心配そうに自分の顔を覗きこむ拓夢がそこにいた。
「なにじゃないですよ。逆にどうしたんですか? さっきから話しかけてるのに、ずーっと黙ったままだから。心配したんですよ?」
「あ……ご、ごめんッッ!!」
見ると、拓夢はぐっしょり濡れたハンカチを持っていた。どうやら、ボーッとしている間に床を拭いてくれたらしい。
慌てて謝る桜を、拓夢が笑って「いいんですよ」となだめている時。
真莉亜が、口を開いた。
「桜さん。突然こんなことを話して、申し訳ございませんでした」
そういって深々と頭を下げた後、
「ですが、これだけは知っておいてほしいのです。拓夢さまを愛しているのは、あなただけではないということに。わたくしも拓夢さまのことを、心から愛しておりますわ。なので桜さんとわたくしは、これからはライバルということになります。それだけはお忘れないように」
真莉愛は両手の指でスカートを軽くつまみ上げると、「ごめんあそばせ」と部屋から出て行った。
後に残されたのは、拓夢と桜と、重い空気のみだった。
特に桜は、無言で呆然と立ち尽くしている。
「……っ!」
いたたまれず、拓夢は話しかけた。
「あの、桜さん。気にしないでください。真莉亜さんとはまだ僕……」
「……デート」
口を開きかけた拓夢を、桜が遮る。
「……わたしと、デートして。拓夢くん……」
親に置いて行かれるのを怖がるような桜の、幼い子供のような表情に、思わず拓夢はドキッとしてしまう。
「ええっ、デート? 急にどうしたんですか? 桜さん」
「だって……」
いつもは元気いっぱいにハキハキ喋る桜が、信じられないくらいにションボリしながら、
「ほら。わたし、拓夢くんにイメチェンさせてあげたじゃない? 真莉亜ちゃんとの勝負の場に、フローレンスを貸してあげたのもわたしだし。わたし、がんばったでしょ? だから、ご褒美にデートしてほしいの」
もごもごと喋る桜。拓夢からしてみれば、桜にはずっとお世話になりっぱなしだ。ご褒美というのは、何もおかしなことではないが。
「……デートぉ」
瞳に涙を溜めて、今にも泣きそうな顔、震える口調。桜はフラッと展示スペースにあるショーケースによりかかって、拓夢を見上げながら尋ねた。
「わたしとじゃ、いや?」
「そ、そんなことありませんよ!」
父性本能を刺激されたのか、雨に打たれた子犬のような桜に、拓夢は激しく首を振って否定した。
それからはあっという間に、桜は拓夢にデートの約束を取り付けたのだった。
「ありがとおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっっ! 拓夢くううううぅぅううううん!」
すっかり元気になった桜が、にこっと元気に笑っていた。先ほどまでの儚げに憂う様子は、もうどこにもない。
「でも、よかったんですか? デートの場所とか日時とか、全部僕が決めちゃって。大した所に行けませんよ……?」
「いーのっ。庶民のデートがどういう感じなのか、前から興味あったからッ。それに、拓夢くんが連れてってくれる所なら、どんな所だって楽しいよ、きっと」
明るげに話す桜。
確かにデートはお金ではない。屈託なく言ってくれた桜に感謝する拓夢であった。
「それじゃあ……そろそろ僕達も戻りますか。次の予冷、鳴っちゃいますし」
言いながら拓夢は、受付票の退室時間に自分の名前を書き、カギを手に取った。そんな拓夢に桜は、
「拓夢くん。わたし、拓夢くんのことが……」
大好きだよ、という言葉が、なぜか出てこなかった。
いつもなら恥ずかげもなくズバズバ言えるのに、なぜか真莉亜の顔が頭にチラついて。
「ん? どうしました? 桜さん」
拓夢に聞き返され、桜は、
「んーん。なんでもないっ!」
明るく笑いながら、スカートの裾をギュっと握りしめたのだった。




