⑲奈落の底へと落馬
「拓夢さまを抜きましたわっ!」
シルベーヌの上で、真莉亜は叫んだ。
そのままずんずん進んでいく。シルベーヌのペースはなめらかだし、芝の状態も申し分ない。しかし反対に、鐙を踏む真莉亜の足は震えていた。
まだ勝ったわけでもないのに、真莉亜の心臓は高鳴っていた。後ろを振り返り、すがりつくような視線を送る。
「拓夢さまっ……!」
気が付けば、拓夢との距離は2馬身ほど。遥か後ろというほどでもないが、抜き去られる心配もない。
「このままではっ!」
心臓の音はますます鳴り響く。真莉亜は呼吸を整え、手綱を握り直した。
(ここで追い抜く予定ではなかったのですが……)
心の中で反省する。どうして追い越してしまったのだろうか。拓夢とは、つかず離れずの距離をキープしていたというのに。やはり拓夢には荷が重かったのだろうか。そこで自分もペースを落としていれば……。
そんなことを考えながらも、手綱を力強く引く。まだまだ先だと思っていたゴールは、いつの間にか視界に入るところまで迫っていた。
(わたくしは、あの方と結婚させられてしまう……)
真莉亜の胸を、苦しさが支配した。
勝利を目前としているのに、生まれて初めてと言っていいほど、焦燥感が襲っている。
心臓が凍り付いたように痛い。
どうすればいい。一応、家柄でいえば有栖川家の方が格上なので、本気で嫌がれば、婚約自体を破棄することは出来るだろうが。
だがそんなことをすれば、由緒ある有栖川家や両親の顔に、泥を塗るのも同然だ。自分を慕ってくれてる、クラスのお友だちにも示しがつかない。
そんなことを考えていたら、いよいよ最後のコーナーが見えてきた。
腰を落とし、重心をズラそうとする。しかしシルベーヌの動きが緩慢で、方向転換がわずかながら遅れてしまった。結果、真莉亜の上半身だけがふわりと投げ出される形になる。
「あ……!」
溺れかけた人間が水をかくように、真莉亜も必死で手を伸ばした。しかしその手が、手綱を掴むことは出来なかった。
そして眼前に、地面が迫る……。
「真莉亜さあああああああああああああああああああああんっ!」
自分を気遣う、叫び声が聞こえてくる中……。
「きゃあっ!」
真莉亜の体は、地面に叩きつけられていた。




