⑱焦りはミスを生みやすい
「拓夢く~~んッ! 〇〇〇~! ××~!!」
後ろから桜の大声が聞こえてくるが、拓夢は正確に聞き取れていなかった。
「次は池垣か! いくぞフローレンス!」
それを聞くと、フローレンスは身構えた。
「飛べ、フローレンス!」
「ヒヒーーーーン!」
馬着が震えるほどの雄たけびを上げると、フローレンスは天空高く飛び上がった。
見事に池垣を超えた瞬間、鞍から拓夢へ、まるで地震のような衝撃が伝わった。
――わああああああああ~~っっ!!
背後から歓声が聞こえ、拓夢は思わず後ろを振り向く。
「ま、真莉亜さん……」
拓夢から2馬身――少し離れたところに、黒馬と真莉亜が追ってきていた。
「油断大敵ですわ! 拓夢さまっ!」
黒いヘルメットからのぞく金色の髪をたなびかせながら、真莉亜が叫ぶ。
「馬の動きに身を合わせるのです! そして、重心をしっかり保つことを忘れないでください!」
真莉亜はなぜかそうアドバイスすると、シルベーヌを減速させ距離を置いた。
「真莉亜さん……?」
拓夢は目を凝らして、コースの先を見た。目の前には乾濠――水の入ってない堀のようなものが設置されている。目の前で見るとかなりの大きさだ。乗馬素人の拓夢には、文字通りハードルが高すぎる。
「無理だ……!」
絶望してリードを引こうした時、
「ひひいいいいいいいいいいん!」
長いたてがみをなびかせ、フローレンスが勇ましく飛び上がった。
「い、痛っ!」
見事地面に着地したフローレンスだったが、拓夢は無事ではなかった。
車並みのスピード、300キロ近い重力の着地、その全ての反動が、鐙を通じて拓夢の足を貫いたのだ。
「ぐうっ……」
拓夢は痛みに顔をしかめながらも何とか体勢を立て直す。後ろで咆哮とヒヅメの音がする。どうやら、真莉亜の方は無事に飛び越えたみたいだ。
しかし、拓夢は焦っていた。
「……僕は、負けるのか?」
弱音をつぶやく。
「おそらく真莉亜さんは、いつでも僕を抜けるんだ。それを、手の内を見せまいとして……。今だって、フローレンスに助けられなければ、僕は自分からコースアウトしていた……」
「ひひん!」
「フローレンス……?」
拓夢が名前を呼ぶと、フローレンスはまたも「ひひん!」と鼻を鳴らした。
しっかりしろ、と言っているのだろうか。
「分かったよ……信じてみる! お前を、そして自分を!」
拓夢は表情を引き締めた。どんなに高くとも、飛べないハードルなどないのだ。
それに、障害物はもう9個飛び越えている。越えなければならない障害は、全部で13個。もうすぐだ。それまで抜かれなければ、自分の勝ち……。
「って、ええぇーっ!?」
自分を鼓舞した瞬間、拓夢は驚愕の声を上げた。
目の前にあったのは、巨大な丸太だった。
こんなの飛び越えられない! 死ぬ! 絶対死ぬ!
けれども、彼女――フローレンスは、減速しなかった。それどころか、ますますスピードを上げる。そして丸太が眼前まで迫ってきた瞬間、フローレンスは大きく足を上げた。
ヒュオッという風を切る音が聞こえた。
「ううっ!」
と同時に、今度はドシン! という衝撃が伝わる。思わずフローレンスの首にしがみつくと、フローレンスは拓夢を振り落とさないよう、大幅に速度を落とした。
すると……。
「油断大敵と言ったでしょう!!」
「え?」
声を上げる暇もなく、黒馬は走り去っていった。と同時に自分の目の前に立ちふさがることになったシルベーヌ。その上にまたがる真莉亜は後ろを振り向き、そしてこう叫んだ。
「わたくしは、あなたには負けませんわ!」
「まり……」
拓夢が口を開きかけたのを、真莉亜は阻んだ。
「何もおっしゃらないでください! わたくしの心を変えたければ、あなたの誠意で見せてくださいっ!」
そう叫ぶと、真莉亜はもう後ろを向かなかった。その目の前には、飛び越え用の簡単な柵が3つあるだけ……。
「真莉亜さん……」
拓夢の心を、絶望が襲うのであった。




