⑯厩舎の中で「ひひーん」と叫んだ獣
そんなこんなで、始まった真莉亜と拓夢の乗馬対決。
決戦に備えて、拓夢は自分が乗る馬を見に、厩舎までやってきていた。
「すごいな……」
思わず拓夢は呟いた。
小屋というよりは、巨大な一軒家といった方が正しいその施設では、柵の中にいる沢山の馬たちが、牧草を食べたり、または調教師に体を洗われたりしている。
「とりあえず、一頭選ばなきゃ。真莉亜さんに勝たないと……」
拓夢は呟きながら、厩舎内を歩いた。
どう考えても真莉亜にあんな婚約者はふさわしくない。真莉亜は被害者だ。何としても助けなければ。
しかしお家が決めたことだし、お互いの両親まで納得し合っているのだとすれば、自分が介入する余地はないようにも思う。しかし、真莉亜のあの助けを求めるような顔は……。
うまく考えがまとまらず、馬房の前をただ無意味に通り過ぎる拓夢。
真莉亜の考えていることが分からない。元々浮世離れした性格だとは思っていたが。それともただ単純に、自分に勝つことが目的なのだろうか? 拓夢はため息をつきながら足を止めた。
「どうしたの?」
隣を歩いていた桜が、足を止め拓夢の顔を覗き込みながら尋ねた。
拓夢はすぐに首を振る。
「どうかした、とかじゃないです。僕に何か至らない点があったんじゃないかって。反省していたんです」
「気持ちは分かるけど、今は勝負に集中した方がいいと思うよ?」
「それは分かってるんですけど……」
一度気になったことは、とことん気にしてしまうのが拓夢の欠点でもあった。特に、真莉亜は聖ジュリに来てから知り合った、数少ない友達なのだ。だからこそ、自分に何かできることはないかと模索してしまう。
「はぁ……」
再び拓夢がため息をついた、その時だった。
「拓夢くん、拓夢くん」
つんつん、と桜に脇腹を突かれた。
「なんですか?」
「あれ、見てッ!」
桜の大声の指す方向に、拓夢は視線を向けた。
「これは……」
忘れもしない。その馬はかつて桜の家にお邪魔した時に乗せてもらった、フローレンスであった。サラブレッドの元競走馬。三歳の牝馬にして、純白な毛並みが特徴的な、美しい軽馬だ。小柄ながらパワーはすさまじく、拓夢はその圧倒的なスピードをその身で経験している。
「ひひいいいいいいいいいいいいいいいいっん!!」
フローレンスも拓夢のことを覚えていたようで、荒々しい咆哮の中にも、喜びの色がうかがえた。
「こ、これは……どういうことですか?」
拓夢が尋ねると、桜はイタズラっぽく舌をぺろっと出して、
「わたしからのサプライズだよっ♪ フローレンスなら、真莉亜ちゃんの馬とも、互角に戦えるよねっ☆」
まさか、またフローレンスと再会するとは思ってもみなかった拓夢にしては、極上のサプライズだった。
しかもフローレンスとなら、相性も抜群だ。馬は主人と決めた者とそうでない者とでは、土を蹴るスピードが断然に違う。
「うわあああああ……会いたかったよ……フローレンス!」
拓夢がフローレンスに笑顔を見せた、その時だった。
「わたし、ファインプレーでしょ? 拓夢くん。お父さんにも、相当無理を言ったんだからねっ? 今回のことは貸しにしておくから。今度デートすることッッ」
桜はそう言うと、馬房の前にある、スライド式の引き戸を開けた。
「きゅいんっ♪」
開け放たれたフローレンスは、待ってましたと言わんばかりに拓夢に駆け寄り、上目遣いに自らの鼻を拓夢の顔にすり寄らせた。
「ひひっ、ひひっ、ひひーーん」
「ちょ、痛いんだけど!?」
拓夢がビックリして体をのけぞらせると、桜は「あははっ」と笑った。
「相変わらず、フローレンスに好かれてるね拓夢くん。もう、わたしより飼い主っぽい」
「そんなことないですよ。うう、何かベタベタする……」
「まあ、動物だからね~♪」
桜は腰の辺りで両手を組みながら、フローレンスと戯れる拓夢をクスクス笑った。同年代の少女と比べて子供っぽい仕草に、拓夢は思わず頬を緩めてしまう。大金をはたいて自分をイメチェンさせてくれたり、いつも困った時に助けてくれる桜は、拓夢にとってかけがえのない存在だ。
「でも、フローレンスほどの名馬を、僕がちゃんと乗りこなせるかな? ちょっとだけでも、練習させてもらおうかな……」
「コンビネーションはバッチリなんだから。変に練習して余計な癖つけたら、かえって苦戦するよ?」
そうは言うが、真莉亜は全国馬術大会において、毎年総合優勝するほどの名手なのだ。ちなみに桜もかなりいい腕をした騎手なのだが、真莉亜に比べれば平均より上といったところだ。
「いいですね、桜さんは。才能あるから」
「乗馬に才能なんてないよ。わたしは毎日馬と遊んでるだけ。拓夢くんも勝負じゃなくて軽いドライブだと思えば?」
桜はしれっと言うが、拓夢にとってそれは難しかった。何せ、真莉亜の人生がかかってるのだ。
「フローレンスはね。元々は競走馬だったんだ。だから、レースには強いと思うよ?」
「そ、そうなんですか?」
「うん。よくわかんないけど、有馬記念? 天皇賞? G1グランプリとかで、大勝ちしたこともあるみたいだよ」
そんな馬を個人が所有できるのは凄いなあ、と、拓夢は絶句してしまった。そして、フローレンスに視線を移す。
「そっか……お前、凄かったんだな」
そう言ってフローレンスの艶々した白い鬣を撫でると、フローレンスは気持ちよさそうに「きゃるるっ♪」と鳴いて目を細めた。十分に自分に懐いてくれている。これなら真莉亜の馬とも対等に立ち向かえるかも。拓夢は、不安を自信に変え始めていた。
「うん、これなら何とかなりそうだぞ……」
「そうだねッ。でも……」
「……なんですか?」
「そうなっちゃうと、真莉亜ちゃんと婚約するんだよ? 拓夢くんは、真莉亜ちゃんと結婚したいの?」
「えっ、えええっ!? べ、べつに僕は、そ、そんなつもりじゃ……」
拓夢は顔を真っ赤にして否定した。
反対に桜は、真剣な顔で問いただしてきた。
「じゃあ、どういうつもり?」
「……真莉亜さんを、助けられたらいいなって」
拓夢がそう言うと、
「うん♪ わかったっ!」
桜はニッコリと満面の笑みを見せた。
「だいじょーぶ。拓夢くんなら勝てるよっ。そして、真莉亜ちゃんを助けてあげてッ!!」
「はい。とりあえず、まずは勝負に勝たないとですね……」
頷きながら、拓夢は気持ちを切り替えた。桜もフローレンスも、自分のために力を貸してくれるのだ。そして、真莉亜のためにも。この勝負、絶対に負けるわけにはいかない。
拓夢は拳を握りしめながら、決意を新たにするのであった。




