⑪あたし達、入れ替わっちゃう!?
聖薇の前にはフルーツパンケーキとキャラメルマキアート。姫野小路の前には、チーズスフレとバニラクリームフラペチーノが置かれていた。
あの後、聖薇と姫野小路は、本当に喫茶店に行くことにしたのだった。
聖薇は、姫野小路のことを全く知らない。彼女も当然、聖薇のことは知らないはずだ。
なのに、姫野小路は自分を助けてくれた。
そして、今もこうして自分にスイーツセットをご馳走してくれている。
裏があるにせよ、良い子であることに変わりはない、と聖薇は警戒心を解いていた。
「実はわたくし、放課後にお友だちとカフェに行くことなど初めてですわ。あなたもですの?」
「ううん、あたしはしょっちゅう」
だから、姫野小路からの問いかけにも、聖薇はフランクに答えた。素直なこの子には、気を遣うことこそ逆に失礼だ。
「こっちも聞きたいんだけど……どうして、あたしのこと助けてくれたの? 初対面だよね?」
「なぜと申されましても……理由などございませんわ。ただあの時は、あなたが大変お困りのようでしたから……いけませんでしょうか?」
上目遣いに尋ねてくる姫野小路。
聖薇は答えに詰まった。困ってる人は助けましょう。小学生でも知ってる道徳心だが、今どきそんなことを実践する女子高生がいようとは。
「あ……そうだ。ねえ、名前。教えてくれない?」
「わたくしの……ですか?」
「そ。助けてくれた人の名前ぐらい知っておきたいの。苗字は姫野小路でしょ? 下の名前は?」
「美咲……と申しますわ」
恥ずかしそうに金色の髪をいじりながら答える美咲に対し、聖薇は「美咲ちゃんかー……」と、嬉しそうにその名前を反復した。
「わたくしだけでは不公平ですわ。あなたのお名前は、何とおっしゃるんですの?」
「あたし? あたしは、城岡聖薇っていうの。よろしくね」
「城岡……さま……?」
聖薇が名を名乗ると、美咲は不思議そうに自分の顔を見つめてきた。
どうしたのだろうか。聖薇は訝しんでいた。確かに自分の名前は珍しいが、そこまで驚かれるほどのものだろうか。
そう思っていると、美咲は口を開いた。
「あの……もしかして。聖薇様は、城岡拓夢様の、ご兄妹じゃありませんこと?」
「えっ!?」
聖薇はあまりのショックに、バーンとテーブルを叩いてしまった。
衝撃でマキアートに乗ったクリームが、湖面のようにカップの上で波打つ。
「美咲ちゃん……お兄ちゃんのこと、知ってんの!?」
聖薇が身を乗り出して尋ねると、美咲は少し怯えた様子で、
「え、ええ……城岡拓夢様、ですよね? あのお方は、聖ジュリアンヌ女学院の、『庶民特待生』ですから」
「庶民特待生?」
「はい」
美咲は、コクリと頷く。そして、庶民特待生について説明してくれた。
一か月前、理事長が連れてきた庶民特待生の拓夢は、寮が完成するまでは学園の客室に寝泊まりしている。仕事は女子達に対し、庶民の生活を教えること。拓夢は学内にいる唯一の男性で、しかもイメチェン後は壮絶にイケメンとなったから、今は女子からの人気が物凄いことになっていることも。
「あ……あの野郎。人の気も知らないで……」
「は……はい? アノヤロウ……?」
「あ、何でもない何でもない!」
美咲の前で汚い口を叩いてしまったことを恥じたのか、聖薇はブンブンと両手を振った。
「それより、ほら。冷めちゃうから、食べよ」
「は、はい。でも……」
「いいんだって。買い食いなんて、jkならみんなやってることよ? それに美咲ちゃんだって、興味あるでしょ?」
「それは……」
美咲は気まずそうに、横目で聖薇を見る。
「いいんだよ、たまには。一緒に食べようよ」
聖薇はニッコリと笑って言った。普段お嬢様が食べているフレンチには届かないだろうし、栄養も取れない。しかし断言できる。女同士のカフェ巡りはどんな高級レストランもかなわないと!
「で、では、失礼して……」
美咲はおそるおそるフォークを手に取った。
そして上のクリームを一口食べた途端、目を丸くして固まりだした。
どうやら、驚きで声も出ないらしい。
「どう? なかなかのもんでしょ?」
「は、はい……おいしいです」
「?」
聖薇は訝しんだ。思ったよりも、美咲の反応が悪かったのだ。
聖薇の反応に気づいたのか、美咲は慌てて首を振って、
「ち、ちがうのです。ケーキは本当においしいのです。ただ……あんまりおいしかったので。入院しているおばあ様にも、食べていただきたかったなって」
「おばあ様?」
聖薇は、美咲の言葉を聞き返した。
「美咲ちゃんのおばあちゃん、入院してるんだ?」
「はい……」
と、美咲は伏目がちに語った。両親が仕事で忙しい姫野小路家では、同居している祖母が、母親代わりに美咲を育ててくれたらしい。
そんな祖母が重い病気にかかり、今入院しているという。しかし、今は感染症が流行している時期なので、母は美咲に祖母の見舞いに行くことを禁じているという。時期が時期なだけに仕方がない部分もあるが、美咲は落ち込んでいた。箱入り娘である美咲に、親に逆らう気概があるわけもなく、祖母は高齢で、いつ容体が悪化しても不思議ではない。
「……」
聖薇が口をつぐんでいると、美咲はハンカチで目元をぬぐうと、
「申し訳ありません、聖薇さま……つまらない話を聞かせてしまって……」
「そんなことないっ!」
何バカなことを言ってるんだ、とばかりに聖薇は、大きな声で真剣に言った。
「せ、聖薇さま……?」
「美咲ちゃんっ、おばあちゃんに会いたいんでしょ? だったら、会ってくればいいじゃん!」
美咲は、呆気に取られたような顔で聖薇を見る。
聖薇は、ニッコリと笑って、
「行ってくればいいじゃん。学校なんてサボッてさ。一日くらい、なんてことないよ」
「そ、それはダメですわ!」
聖薇の言葉に、美咲は声を荒げた。どうやら、こういうことらしい。
美咲の家は厳しく、学校に着いたらすぐスマホで連絡を取り合うようになっているらしい。登校のチェックもされていて、ICチップの登録がない場合、すぐさま捜索に向かわれるようSPが待機している。
「……と、いうことですわ。わたくしが学校に行かなければ、おばあ様にもご迷惑がかかります……」
「そういうことかー。ま、ケータイはいくらでも誤魔化しようがあるけど、学校にはきちんと本人が行かないとダメだもんね……」
「ええ。わたくしがもう一人いれば、と、この頃そう考えてしまうのですわ……」
「美咲ちゃんが、もう一人……?」
美咲の言葉に、聖薇はハッとなる。天啓が下りてきたような気分だ。
聖薇は、興奮した様子で美咲に向かい合った。
「美咲ちゃん、行けるよ! おばあちゃんのお見舞い!」
「え? え? ……どういうことですか?」
「あたしに秘策があんのよ♪」
と、聖薇は愛らしくウインクをした。
聖薇の策は簡単だ。二人がそれぞれに入れ替わること。美咲は祖母のいる病院へ、聖薇は聖ジュリアンヌ女学院へ。
聖薇と美咲はよく似ている。ちょっと髪型をいじって、マスクでもしてればバレないほどだ。当日は風邪気味ということでなるべく無口でいればいい。幸い、美咲は大人しいため、クラスに親しい友達はあまりいないようだった。
「つまり。朝家から外に出たら、近くの公園に寄って。そこのトイレで、お互いの服を交換しよ? そしたら後は、あたしが美咲ちゃんの替え玉として学校行くから」
「な、なるほど! そんな発想、思いつきもしませんでしたわ!」
校則違反もいいところなのに、感動したように叫ぶ美咲。聖薇としても、ただ同情心から替え玉を申し出たわけではない。拓夢の存在だ。拓夢が聖ジュリにいることは間違いない。ならば、後は学園に忍び込めさえすれば……。
「それでは、決行日は、いつにいたしましょうか?」
「んー?」
「わたくしは、いつでもいいのですけども。聖薇さまにも、ご都合があるのではなくて?」
「うん。お兄ちゃんがやる……なんだっけ。スペシャルトークショー? あれをやる、初日にやりたい!」
「なるほど。では、しあさってということになりますね。他に何か、用意した方がいいものはありますか?」
「大丈夫! あ、ただ学生証だけは忘れずに持ってきてね! あれがないと、聖ジュリに入れないから!」
「ああ、そうでしたわね。わたくし、ついうっかりしておりましたわ」
拳でグーを作り、可愛らしく自分の頭を叩く美咲に、聖薇も「アハハ」と笑う。
「よし、それじゃあ、Xデーの成功を祈って~?」
「カンパーイ! ですわ!」
聖薇と美咲は、勢いよくグラスを合わせ音を鳴らす。
聖ジュリに潜入さえ出来れば、後は拓夢とのコンタクトだ。庶民特待生スペシャル☆トークショーは、放課後に講堂で行われる予定だ。そこで拓夢と接触し、聖ジュリからの脱出を一緒に計画すれば……。やっと希望が見えてきた、と聖薇は、思わず涙をこぼしそうになっていた。
そう、何もかもが上手くいく。
家を出て行ったお兄ちゃんも、きっと戻ってくる。
この時の聖薇は、本気でそう思っていたのだった。
 




