④理事長から説明を受ける
五階建ての校舎をエレベーターで上がり、職員室を隔て、北側の端にあるのが理事長室だ。
名前の通り理事長及び職務代理が執務を行う部屋なので、面積はかなり広い。
隣には応接室、その隣には会議室と、重苦しい雰囲気を持つ部屋が続く。これだけでも、拓夢は既に緊張感に飲み込まれていた。
「やっぱり……帰りたい」
ポツリと、拓夢は呟いた。
「拓夢様。ここまで来て帰るのは無しですよ」
「じゃ、じゃあ。せめて、もう少し時間を……」
「ええい、まどろっこしい。失礼しまーす」
拓夢を無視したノエルが、ノックをし返事を確認すると、素早くドアを開けた。
「わぁ……」
拓夢はその人物を見て、感嘆の声を漏らした。
緊張からではない。
その人物がとんでもない美女だったからだ。
細かいウェーブのかかった、肩まで届く赤色のソバージュヘア。拓夢の手のひらにたやすく収まりそうなほど小さな顔、そしてその顔がまた美しいのだ。大きめな垂れ目には、慎み深さと母性が感じられる。その母性を象徴するのが……この爆乳なのだ。
一キロはありそうなほど大きく、それでいて全く型崩れしていない爆乳が、シワひとつないビジネススーツに隠されている。こんな美女を前にすれば、また女性アレルギーが……。
「あ、あのっ、えっと……!」
「どうかしたのかしら? 城岡君?」
女性は、うっすらと微笑みながら尋ねてきた。
それだけの所作が、何とも美しく、また妖艶で……。
「あ。あ……ああっ! ううう!」
直立不動のまま、拓夢は気を失ってしまった。
その後、意識を取り戻した拓夢は、理事長とオフィステーブルを囲んで向かい合っていた。特別会議や執務を行うセットなので、椅子も含めてかなり大きく、またどっしりとした風格がある。
ちなみに、ノエルは拓夢を介抱した後に席を外している。
去り際に「もう気絶しないでくださいね」と拓夢に耳打ちをしながら。
「あ、あの。すみません。僕のせいで……」
「いいのよ。こちらこそ、配慮が少なかったかしらね。これでも、一番地味なスーツを選んできたのだけれど」
そういう問題ではない、と声を上げたかったが、拓夢は止めておいた。軽い胸騒ぎを覚えたからだ。
何しろ、この理事長は校長もまた兼任しているのだ。事実上、この学院で一番偉い人物ということになる。よって、下手なことは言えない。
落ち着かない理由は、もう一つある。さっきから理事長が、視線を外すことなく、こちらをじーっと見つめているからだ。
整った顔だけに不快感はないが、包み込むような澄んだ瞳に見つめられると、心を見透かされているようで、何となくソワソワしてしまう。
「それでは。まず初めに自己紹介をしておきましょうか。私は聖ジュリアンヌ女学院理事長、神薙夢子よ」
「あ、は、はい! ぼ、ぼ、僕は……」
「落ち着いて。あなたは、城岡拓夢君でしょう?」
「そ、そうです! と、と、年は……」
「今年で十六歳。高校二年生になるのよね?」
喋る前に全て言われてしまう。そういえば、ノエルが言っていた。拓夢の情報は、全て調べてあるのだと。おそらくは、拓夢よりも拓夢のデータに詳しいくらいだろう。
「城岡君、緊張しすぎよ。軽い世間話くらいに思って?」
「う……すみません」
今までこんな偉い人間と直接話したことがないし、そもそもこんなに優しくされたのも初めてで……なんて言えず、何とか力を抜き、脱力するよう心掛けていく。しばらくすると、少しではあるが緊張感がほぐれてきた……気がする。
「うん、いい感じよ」
「ほ、本当ですか」
ニッコリ笑った夢子に褒められ、拓夢はようやくリラックスすることが出来た。
「それでは、本題に入ろうかしらね」
表情を引き締め、キリッとした瞳を向けながら、夢子が言った。
拓夢も慌てて佇まいを直す。
そして、質問を投げかけた。
「……あの。庶民特待生の話は、ノエルさんから聞きました。どうして、僕なんかを……」
質問というよりは、確認であった。それほどまでにノエルの話は青天の霹靂だったのだから。
夢子は落ち着いた口調で答える。
「様々な特典を受けられる庶民特待生。卒業までに換算する費用でいうと、だいたい一千万弱かしら? もちろんこれは学費だけの話だから、他にも生活していく上で必要なもの――たとえば食費や医療費、洋服代、雑費――ようはお小遣いね。これらを含めるなら、軽く億は越えるでしょうね」
夢子は歌うようにつらつらと、これから先必要になるであろう費用について計算していく。
億単位の費用負担を軽々と言ってのけるあたり、名門お嬢様学校を経営する理事長たるゆえんが感じられる。
「そこで、審査には細心の注意を要しました。健康状態、学力、素行など……。この学園には、大財閥の娘さんや、社長令嬢、政治家のご息女も在籍しているわ。問題の火種になるような学生を引き取ることは出来ないものね」
チラリと、目線を拓夢に向けながら夢子は言った。
それは事実上、拓夢に向けての警告であった。何か問題を起こせば、庶民特待生から外されるだけでなく、この学園にもいられなくなるぞ、と。
「……と。脅すのはこのくらいにして。あなたが選ばれた理由――それは、あなた自身にあります。つまり、あなたの特異体質のね」
夢子はそこで言葉を区切った。拓夢は即座に、女性アレルギーのことだろうと気づく。拓夢自身も考えていたからだ。女性しかいない学園で、女性アレルギーを持つ男子生徒……どう考えたって無理がある。
「ハッキリ言うけど、あなたの体質こそが、庶民特待生に選ばれた最大の要因なのよ。女生徒と過度に接触することが出来ない。かといって、命を脅かすほどのアレルギーではない。この学園に通う子たちは、皆箱入り娘です。当然男子とのコミュニケーションを考えるならば、出来る限り安心な人選をしたい。分かるわね?」
「……はい。わかります」
大体の事情は飲み込めてきた。タダで学校に通える上にお金までもらえる……そんな楽な仕事ではないらしい。もっとも、ノエルに誘拐された時点で、嫌な予感はしていたが。
「拓夢君。これはね。亡き前理事長……雙葉志拓の意志でもあるのよ」
夢子は拓夢に説明する。雙葉は代々続く名家で、鉄道から球団まで経営している大財閥でもある、と。歴史は長く、この町の住人は何かしら雙葉の事業に関わっていると言われるほどである。この学園を立ち上げたのも雙葉志拓なのだと。
「雙葉志拓はこう唱えました。良家のお嬢様が社会に進出する上で、男性との接触は避けられない。早い内から免疫をつけておく必要があると」
それに、と夢子は言葉を付け加えた。拓夢を庶民特待生に任命する理由はもう一つある。女子高に通う生徒たちに、少しでも男子学生との交流を図らせてあげたい。良家ゆえに、厳しい家のしきたりがあり、異性交遊を禁じられている家も多いのだ。
そこで、雙葉志拓は今から十三年前に、庶民特待生制度を計画していたという。
「かいつまんで話すと、こんなところよ。あとは、あなた次第です」
夢子はそこで言葉を打ち切り、じっと拓夢の顔を見つめた。
言葉を打ち切ったのは、拓夢の覚悟を知りたかったからだろう。虐待を受けていたこれまで以上に困難な毎日が待っています。それでもあなたはわが校に来れますか? と。
もちろん、厄介な問題は増える。それは嫌だ。
しかしそれ以上に、拓夢はこれから始まる新生活に想いを馳せていた。
考えること数分――
「ううう~~~」
……まだ迷っている拓夢がいた。
「あ、あの、城岡君。焦らなくてもいいからね?」
などと、夢子も心配するほど顔を真っ赤にして。
目下のところ、気にしているのはお嬢様ばかりのクラスで、礼儀作法をしっかり身に着けられるかという点。さらには、学力の問題だ。仮にも特待生たる自分が、落第点をもらうわけにはいかない。
うーんうーんと考え込む拓夢だが、こんなに待たせていたら、義母の孝子なら間違いなく平手を食らっていただろう。しかしこの夢子は、悩みに悩む自分にイラつくことなく、答えを待っていてくれている。
そう思うと、一気に心が軽くなった。
「……なんとか、なるよね?」
ボソッと、そうつぶやいた。
「城岡君。それって……」
夢子も、身を乗り出す。期待に大きな胸をさらに弾ませて……。
拓夢には正直、前の家や、聖薇と別れることに、寂しさを感じていた。
しかしそれ以上にこの学園には、人間として大事なものを学ばせてもらえると思ったのだ。
「……はい。僕、この学園に転入します!」
ブラボ―! と夢子は立ち上がり、パチパチと拍手をした。
夢子だけではない。気が付くといつの間にやらノエルもいて、拓夢の後ろで小さく拍手をしていた。
「ノエルさん、どうして……」
「そろそろお話がつく頃だと思いまして。これをお持ちしました」
そういってノエルがテーブルの上に置いたのは、百枚ほどあるA四用紙である。
「なんですか? これ……」
拓夢が尋ねると、ノエルはしれっと答えた。
「転入にあたっての契約書、誓約書、学園の規則等です。明日から転入式なので、今日一日で全て読んでいただき、判を押していただきます」
綺麗な声で、まくしたてるように説明する。
拓夢は一瞬「うっ」となるが、同時に嬉しくもあった。これで自分も、この学園の生徒として認められるのだ。
これだけの書類全てに目を通すのは大変だけど、自分の将来のためだ。頑張らねば……。
「って、今日一日で!? もう夜なんですけど!」
室内に拓夢の声が響き渡る。
「頑張ってね? 城岡君♪」
そして、冴えわたる夢子の慈愛の笑み。
結局全ての説明を受け、サインも終える頃には、朝方になっていたのだった。