⑤前が見えねェ
理事長室を出てすぐの廊下。
拓夢はテクテクと自室への道のりを歩いていた。
座談会を断ることは出来なかった。夢子が自分を気遣って立ててくれた計画なのだから。
なによりこの学園に転入した日から、イマイチ庶民特待生の義務を果たせていないというか、仕事をしていない気がするのだ。四天使以外のコミュニケーションは未だに微妙だし。
ということで、大きなイベントの前に決意を新たにする拓夢だったが。
ガラス張りのアトリウムを抜けて、ブリッジを渡ったところだった。
「ん……?」
拓夢の視界に、見知った人影が現れたのは。
「冷条院さん、こんにちは!」
「あら、城岡さん……?」
そう、冷条院百合江だ。三年の生徒会長にして、庶民同好会所属。
シャンプーのCMに今すぐ出れそうなくらいサラサラな、萌葱色のロングヘア―をした美少女なのだが、その鋭い相貌には厳しさと静かな迫力を備えている。
そんな彼女は腰から顔半分が埋まるくらいの、プリントの束を抱きかかえていた。一枚一枚は重くないだろうが、あれほどの量を抱えるのは、女子の腕力ではキツいだろう。
「何を硬直しているんですか? 城岡さん?」
「あ、い、いえ……」
不躾にガン見していたことを恥じ、拓夢は目を背けた。大分打ち解けてきたとはいえ、お堅い生徒会長である百合江は、未だに苦手としている。
「私がプリントを抱えてる姿が、そんなに面白いんでしょうか?」
無表情な百合江が、ほんの少しだけ目じりを上げながら尋ねてきた。仕事の途中で呼び止められて、オマケその相手はボーッと無言で自分を見つめているという状況なのである。当然といえば当然だが。
いやいや違う。怯んでいる場合ではない。
拓夢は首を振ると、百合江に近寄り、
「冷条院さん。そのプリント運ぶの、大変じゃないですか? 僕手伝いますよ」
拓夢は、百合江に対して両手を差し出した。女性でも持っていけない量ではないが、階段の上り下りもあるし、二人で運んだ方が安全だろう。
「い、いえ……。別に手伝っていただくほどのことでは」
そう言いながらも、百合江の腕はプルプルと震えている。
「水くさいですよ。じゃあ、半分持ちますね」
そう言いながら七割ほどプリントを受け取った拓夢は、気遣い無用とばかりに、生徒会室に向かって歩き出した。
「すみません……いつもは、ここまで書類整理に追われることはないんですけど……。来月は重要なイベントがあるので。だから今月は忙しかったんです」
申し訳なさそうな表情で、申し訳なさそうに話しかける百合江。
「そうなんですか? じゃあ、今日は庶民同好会の活動は、不参加ですか?」
はい、と百合江は小さく頷いた。まあ、よく分からないサークル活動なんかよりは、生徒会の活動の方がずっと大事だ。
百合江が庶民同好会を大事に想ってくれてることは分かっている。
「大丈夫ですよ。他にも僕に何かできることがあったら言ってください。何でも手伝いますから」
だから拓夢としては、百合江の負担を出来る限り軽減させてあげるつもりだった。
「でも……城岡さんに、そこまで迷惑をかけるわけには」
拓夢の気遣いに、百合江もまた気遣いをもって答えた。
しかし、生徒会の会長を務めながら、同時にサークル活動も兼任している。
しかも、かよわい女性だ。強がってはいるが、味方は一人でも多い方がいいだろう。
「迷惑だなんて、とんでもないですよ。僕、冷条院さんのことを本当に尊敬してるんです。だから、出来る限り力になりたいんです。それとも……僕じゃ、迷惑ですか?」
ガン! と、何かがぶつかる音。
確認するまでもなく、百合江が端にある柱に頭をぶつけた音だった。
「い、いたた……」
「大丈夫ですか!? 冷条院さん!」
拓夢は慌てて駆け寄る。ぶちまけたプリントの山以上に、尻もちをついた百合江のことが心配だった。
「大丈夫です……心配しないでください」
涙目でそう言われても……とは思うけど、プライドの高い百合江は、これ以上心配されても逆に迷惑になるだけだろう。
「じゃあ、プリントを集めますよ」
拓夢はしゃがんで散らばった書類をかき集めた。百合江が持ってた分は大したことはなかったが、それでも重要書類の山だ。汚れがついたら大変だ。
「す、すみません。ご迷惑をおかけします」
ううう、と立ち上がり、涙声で謝罪する百合江。自分のミスなので、ぐうの音も出ないのだろう。
「別に、いいんですよ。ミスは誰だってあることですから」
拓夢にとっては百合江は偉大な人間で、むしろこの程度の失敗は微笑ましく感じるくらいだ。
「……そうでしょうか」
しかし、百合江にとっては、仕事は全て完璧にこなさないと気が済まないのだ。そこに、意識の壁を感じてしまう。
「はい。これで全部ですね」
プリントを集め、ホコリを払い、トントン、と角を揃えてから、百合江に渡す。
「あ……ありがとうございます」
多少まだヒリヒリするのか、赤くなった額を抑えながら、百合江はプリントを受けった。
「それにしても、冷条院さんって、目が悪いんですか?」
「え?」
何を言われてるか分からない、といったふうに、百合江は聞き返した。
「いや……これは勘なんですけど。柱との距離感が、上手く掴めてなかった気がするんで。僕も目が悪いから分かるんですよ。それに、僕がコンタクトにした時、冷条院さん興味深そうに聞いてきたじゃないですか。だから」
視力が大分落ちてるのかなって。そう拓夢は疑問をぶつけた。
「う……」
百合江は言葉に詰まった。どう返答していいか迷ってるみたいだ。
視線を上下左右に動かし。
やがて息を深くつき、しょうがない、といった感じで拓夢を見つめた。
「高校に上がってからなんですよね。多分勉強のしすぎだと思うんですけれど。近眼になってしまったようで。ボンヤリとは見えているのですが……」
恥ずかしそうに告げる百合江。拓夢としては何が恥ずかしいのか分からないが。
「えーっと。じゃあ、メガネをかければいいんじゃないですか?」
すると、百合江は憤慨したような顔で答えた。
「メガネはかけたくありません」
「え、どうしてですか?」
「……だって、私には似合わないし」
「はい?」
「城岡さんのように綺麗な顔立ちをしてれば、普通に似合うかもしれません。でも、私はブスですから。堅物な生徒会長がメガネだなんて、お決まりすぎるじゃないですか。きっとみんなからは、影で隠れて『メガネ猿』というあだ名をつけられるに決まっています」
「い、いや、そんなことないと思いますけど……」
まず、百合江はブスではない。どこからどう見てもS級の美少女だ。眼鏡が似合わないだなんて、とんでもない。それに、メガネをかけてるだけでイジメられるだなんて、今どき聞いたことがない。
拓夢がそう考えていると、百合江は拓夢の顔をじっと見つめて、
「……城岡さんも、そう思ってるんですね」
拓夢の無言を悪い方に解釈したのか、ガックリ肩を落としながら、百合江はため息をついた。
拓夢は慌てて首を振る。
「ち、ちがいますよ! そんなこと思ってません!」
「いえ、いいんです。お気持ちは分かってますから。どうぞお気遣いなく」
寂しそうに笑う百合江を見て、拓夢は悲しい気持ちになった。
どうにかして、誤解を解かなければ。
「……はぁ」
再びため息をつく百合江に、拓夢は意を決して話しかけた。
「冷条院さん。僕は冷条院さんのメガネ姿、見てみたいです」
「なんですか、藪から棒に」
百合江は暗い表情で聞き返した。反対に拓夢は、明るい表情で答える。
「だってっ! すごく似合うと思うんですもんっ!」
拓夢が声を張り上げると、百合江は驚いたような表情で、
「……そんなこと、ありません」
「そんなことありますって! 冷条院さんは凄く美人さんですし! 冷条院さんで似合わなかったら、誰が似合うんだっていう話ですよっ!」
はあ、はあ、と、拓夢は息をつきながら叫んだ。一気にまくし立てたので、顔を赤くしている。百合江もまた、顔を真っ赤に染めていた。話し手と聞き手が同時に赤面するという、異様な状況の中。
「ああ、見てみたいなあ。冷条院さんのメガネ姿!」
「わ、分かりましたから。もう止めてください。廊下でそんな大きい声で叫ばないようにっ」
拓夢の力強い言葉に、ついに百合江は屈した。
というか、さっきまで静かだった廊下には、いつの間にか沢山の生徒で賑わい、野次馬が出来ていた……。今度は、本気で赤面する拓夢だった。
「でも、確かにそうですね」
吹っ切れたように、フッと苦笑しながら百合江は呟く。
「こんな風に、いちいち壁にぶつかって皆さんに迷惑をかけても危ないですし。今日の帰りにでも、メガネを見に行ってみます」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。たとえお世辞でも、褒めてくれた言葉を無駄にするわけにはいきませんから。それより」
と言いながら、百合江はチラリと腕時計を見つめる。
「早く生徒会室に行きませんか? このままでは夜が明けてしまいます」
「ああっ、そうだった!」
拓夢は叫んだ。百合江を助けるために手伝いを申し出たのだ。生徒会に遅れさせるようなことがあってはならない。
「とにかく、行きましょう。手伝ってくれたお礼に、お茶でも出しますから」
「え? い、いいですよ。そんな、お気になさらず」
「そうしないと、私の気が済まないだけです。早く行きましょう」
すっかり冷静さを取り戻した百合江は、拓夢の返事も待たずに歩き始めた。
しかし、生徒会に関係する重要なイベントとは、一体何なのであろうか。
書類を持って歩きながら、ぼんやりと考える拓夢であった。




